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2011年02月22日

『ウンベルト・エコとの対話』 シュタウダー&エーコ (而立書房)
『不信の体系』 コトロネーオ (而立書房)

ウンベルト・エコとの対話
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不信の体系
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 ウンベルト・エーコを論じた本を二冊紹介しよう。

 一冊目、シュタウダーの『ウンベルト・エコとの対話』は第一章が『薔薇の名前』論、第二章以降がエーコへのインタビューという構成になっている。

 シュタウダーは『薔薇の名前』を娯楽作品として読んだり、浮き世離れした衒学的な中世小説として読む立場を批判し、現代の状況にかかわったアクチュアルな作品として読むべきだとしている。主人公たちが属するフランチェスコ会は清貧の教えをより徹底した異端であるドルチーノ派によって難しい位置においこまれるが、シュタウダーはドルチーノ派=赤い旅団だと指摘する。

 エコが小説の中でドルチーノに対して、フランチェスコ派の清貧の教義から誤った結論を抽き出したことを批判することにより、暗黙には、赤い旅団が原則として尊重すべき共産主義の教えから誤った結論を抽き出したことをも批判しているのである。

 ドルノーノ派の異端思想にパスカーヴィルのウィリアム(映画でショーン・コネリーが演じた修道士)は笑いで対抗するが、シュタウダーはバフチンのカーニヴァル理論を援用して現代的意義を述べている。

 1970年代のイタリア・テロリズムに対しての、エコがその小説の中で暴力的な宗派ドルチーノ派についてでっち上げた関係に関して重要な事実、それは、彼がこの書評の中で、ラブレーの笑いを"赤い旅団"の盲目的に狂暴な暴力への健全な代替物としてはっきりと記述しているということである。

 第二章『フーコーの振り子』は『ウンベルト・エコ インタヴュー集』第二章の完全版らしく、こちらにだけ出てくる発言はあるものの大筋は同じである。注目すべきはオカルト・マニア(藤川訳では「猟奇魔」、本書では「魔性者」)を転回後のハイデガーになぞらえていることだ。

 エーコは転回後のハイデガーがおちいった無限の解釈をパースの無限の記号作用と対比し、次のように批判する。

 無限の記号作用を通して、発端の記号はだんだんとよりよく認識され、深められていくのに対し、無限の解釈にあっては、ある類推から他の類推へとたんに移行するだけであり、しかも移行のたびごとに、初めにあったものは忘れ去られていくのです。この無分別な迷宮の中では、絶えず喪失がつきまといます。これこそ、私には無限解釈の病、秘密の聖骸布、に思えるのです。

 「転回」が定訳となっているハイデガーの Kehre が本書では「転向」と訳されているが、「転向」という言葉には特殊な意味合いがつきすぎているので好ましくないと思う。

 第三章は『前日島』についてだが、取材にテープレコーダーによる音声メモを使っているなど、創作の舞台裏があかされていて興味深い。

 テープレコーダーをはじめて使ったのは『フーコーの振り子』冒頭の国立工芸院(本書では「国立工芸院」となっているが、学校ではなく博物館なのだから「学院」はまずいだろう)の取材の際で、音声メモを使わなかったらあの克明な細密描写は不可能だったろうという。

 『薔薇の名前』の会話は修道院の図面で歩く距離を算出した上で書いているので、映画化の際に長さがぴったりはまるとスタッフが驚いていたそうだ。

 第四章は『バウドリーノ』を語っているが、エーコは自分の懐疑主義はアレッサンドリア由来だとしてる。

 第五章はエーコの伝記についてで、職人の家系に生れたとか、学生時代にイタリア青年カトリック行動団(GIAC)で活躍したとか語っている。

 エーコは大学卒業後、テレビ局に入社しているが、これは指導教授のパレイゾンとの関係が政治的な理由からまずくなってしまい、大学に残れなくなったことが大きいという。

 第六章はまだ邦訳のない『女王ロアーナの謎の炎』に関してで、ネルヴァルの『シルヴィー』の影響が顕著らしい。

 付録として書誌と古書店の雑誌に載せた「読む理由あれこれ」という短いエッセイがついている。

 さて、コトロネーオの『不信の体系』である。

 表題にいう「不信」とはエーコの記号の考え方が関係している。エーコは『記号論』において記号とは「嘘を言うために利用しうるもの」と定義し、記号論とは「嘘についての理論」とした。コトロネーオのいう「不信の体系」とは「記号の体系」のことであり、記号があるからといって、その記号のあらわすものが実在するとは限らないということである(『記号論』をよく読みこんでいないと本書は理解しにくいと思う)。

 コトロネーオは最初の章で『バウドリーノ』までのエーコの四作の小説の本質を早くも次のように喝破する。

 四つの小説全般にとっての中心テーマ、それは世界、宇宙のあり得ざる秩序というテーマである。もろもろの記号しるしを、上位の、立派で不可欠な運命のアルファベットとして読むという錯覚のテーマである。

 実際、エーコの小説は誤った解釈を軸に転回するのであって、妥当な見方だろう。

 作品論としてはいささかものたりないが、現地の人だけに興味深い情報がいろいろ書かれている。

 『前日島』の題名は『オレンジ色の鳩』が有力な候補だったが、友人はみな『前日島』を推したので『前日島』にしたという。エーコ自身は『オレンジ色の鳩』の方が気にいっていたので、題名決定後、急遽「オレンジ色の鳩」という章を追加したそうだ。

 『薔薇の名前』は19世紀から見た中世で、いわばネオ・ゴシックだが、『バウドリーノ』の方は正真正銘の中世だそうである。

 エーコは『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社、絶版)にあるようにネルヴァルの『シルヴィー』が大好きで、エーコの小説には『シルヴィー』の影響が色濃く残っているという指摘もある。

 付録として「『バウドリーノ』をめぐって」というトマス・シュタウダーがエーコにおこなったインタビューが集録されているが、これは『ウンベルト・エコとの対話』第四章と同じものである。おそらく訳者が独自の判断で集録したもので、原著にはないのではないかと思う。

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