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2011年02月28日

『醜の歴史』 エーコ (東洋書林)

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 『美の歴史』の姉妹編である。造本もレイアウトも『美の歴史』を踏襲した画集・詞華集となっているが、ひとつ異なる点がある。本文の活字が一回り小さいのだ。『美の歴史』は 1行33字だったが、こちらは 1行に36字詰めこんでいる。あてずっぽうだが『美の歴史』より文字量が二割か三割多いようである。

 なぜ『醜の歴史』の方が文字が多いのだろう。一つ言えるのは「美」は「美」単独で語れるが、「醜」の方は単に「醜い」だけでは本として成立しないことがある。虫の好かないものも巧みに模倣されれば美となるというアリストテレスの言葉が序文に引かれているように、本書があつかう「醜」は美的対象に高められた「醜」なのだ。

 もう一つ、幸福な家庭は似たりよったりだが、不幸な家庭はそれぞれ違うと書いた作家がいたが、「美」と「醜」では「醜」の方がはるかに多様なこと。本書を開けば歪んだり、崩れたり、責められたり、血を流したり、苦悶したり、死に瀕していたり、幽鬼のようであったり、怪物じみていたりとおぞましい画像が次々と登場し、「醜」の広がりに圧倒されるだろう。

 「美」の場合は古代ギリシアにおいて比例・調和という柱が確立されたが、「醜」の場合は「悪」が柱となっている。ギリシア文化には地下に黄泉ハデスの国があるが、そこは悪に支配されたおぞましい領域であり、ぞっとするような生き物が徘徊している。それは人を惑わすセイレンであったり、猛禽類と女体が合体したハルピュイアだったり、蛇の髪と猪の蹄をもつゴルゴンだったり、獅子の胴体に人の頭部をもつスフィンクスだったり、人の胴体に牛の頭部をもつミノタウロスだったりする。

 ところがキリスト教が登場すると、「悪」としての「醜」は神の秩序にとりこまれてしまう。宇宙は神が創造したもうた以上、全宇宙は美であり、一見不調和で醜いものも全体的調和の一部だというわけだ(アウグスティヌス『秩序論』)。これでは異教の怪物たちも形なしである。

 それだけではない。キリスト教は罪人として十字架に架けられ惨めに死んだ男を神と崇める宗教であり、「醜」はキリスト教の不可欠な一部なのだ。アウグスティヌス『説教集』から引く。

 十字架にかけられていた主は醜かった。しかし、その醜さがわれわれの美となるのだ。現世では、われわれは醜いキリストにすがりつこう。醜いキリストとはどういう意味か。われらが主イエス・キリストが十字架に架けられなかったら、私が栄光に導かれることはあり得ない。主によって、全人類が私のために十字架に架けられるのであり、私も全人類のために十字架に架けられるのだ。キリストの醜さとはそういう意味だ。

 もっともキリストのむごたらしい死を受けいれるのにヨーロッパ人は千年を要した。初期キリスト教美術で描かれるキリストは理想化された「善き羊飼」であり、十字架は抽象化されたシンボルとしての十字架にとどまった。これにはキリストの神性と人性をめぐる神学論争も関係していたらしい。

 中世後期になると磔刑が写実的に描かれるようになり、ルネサンス以降は十字架で酷たらしく殺され、苦悶するキリストがこれでもか、これでもかと描きこまれる。聖者の殉教もキリスト教美術の重要な画題となる。

 一方、万人に訪れる死を想いださせるための「死の舞踏」や生きている内に悔悟をうながすための「死の凱旋」という画題も流行した。本当は画を貼りつけたいが、無理なのでペトラルカの『死の凱旋』という詩を引用しよう。

此所にて、幸せな人と称されし者ども
教皇、王侯、皇帝ども、今や
まる裸で、悲惨な乞食の有様なり。
かの財宝は、今いずこ? かの名誉、
宝石は、笏杖は、王冠は、
司教位の冠は、緋色の衣は、今いずこ?
滅びゆくものに、希望を抱く人こそ、哀れなるかな!

 北ヨーロッパは深い森に覆われていたが、そこにはキリスト教によって放逐された異教の怪物たちが逃げこんでいた。中世人たちは怪物に引かれ、聖堂の破風や柱頭を怪物で飾った。また怪物に道徳的寓意をあたえることでキリスト教世界にとりこんだ。『フィシオグロス』などの道徳的動物誌が流行した。その一節を引用しよう。

 ユニコーンは額の中心に角が一本生えている。その狩の仕方であるが、汚れなき乙女を使う。ユニコーンは乙女の膝に飛び込み、その乳を飲み、それから王の宮殿へと連れて行かれる。ユニコーンは救世主の象徴である。実は、ユニコーンは処女マリアの膝を棲処としたのである。

 こうした奇々怪々な動物誌は未探検の土地へのあこがれをはぐくみ、旅行記がもてはやされるようになった。さまざまな旅行記が驚異ミラビリアを伝えたが、もっとも成功したのは12世紀にあらわれた作者不詳の偽書簡『プレスター・ジョンの手紙』である(『バウドリーノ』参照)。その一節。

 余、プレスター・ジョンは君主たちの王であり、天が下にあらゆる富、徳、権力において、地上のあらゆる王を凌駕する。
 われらの領地に生息する動物はグリフォン、虎、ジャッカル、ハイエナ、野牛、サギタリアス、野生の人間、角のある人間、ファウヌス、サテュロス、それぞれの種の雄、ピグミー、犬頭人間、四十キュピットの背丈の巨人、一つ目の動物、サイクロプス、フェニックスと呼ばれる鳥、天穹の下に棲まうほぼあらゆる種類の動物がいる。彼らは皆、天からの食べ物しか口にせず、五百歳まで生きる。しかし、百歳になると、そこにある木の根から湧き出る泉の水を三回飲み、若返って力を取り戻す。われらのうちには姦淫する者はいない。いかなる悪徳もわれらに力を及ぼさない。

 醜い怪物は未知の土地だけでなく、ヨーロッパでも徘徊するようになった。悪魔と魔女である。異教の知恵をつたえる女たちが魔女のぬれぎぬを着せられて火刑にされたが、魔女裁判が猛威を振るったのは意外にもルネサンス以降であり、アメリカを含む新教諸国でも盛んにおこなわれた。

 そもそもルター本人からして悪魔にとり憑かれていた。『卓上語録』には次のような笑うに笑えぬ条がある。

 しばしば私は悪魔をおならで追い払った。ばかげた罪で誘惑されたときには、こう言った。「悪魔よ、昨日もお前におならをしてやったが、ちゃんと帳簿につけたか?」

 目が覚めると、すぐに悪魔がやってきて論争をふっかけるので、しまいにはこう言ってやった。「俺の尻をなめやがれ……」

 敵対する集団を悪魔視する傾向はどの社会にもあるだろうが、イスラム教徒とユダヤ人を罵倒した15世紀のフェリクス・ファブリの『聖地、アラビア、エジプトにおける巡礼』のような文献ほどあからさまな例は他にないだろう。

 サラセン人はある種のひどい悪臭を放つが、そのために彼らにはさまざまな種類の沐浴の習慣がある。また我々ヨーロッパ人は臭わないから、彼らは我々が一緒に入浴しても気にしない。しかし、ヘブライ人に対しては同じように寛大ではない。ヘブライ人はサラセン人よりさらに臭うからである。サラセン人は我々ヨーロッパ人が彼らの風呂に入るのを歓迎する。なぜらなら、レプラ患者でさえ健常者と一緒になると喜ぶように――健常者が侮蔑されているからではなく、レプラ患者が健常者との接触が自分の病気を癒すのに役立つかもしれないと考えるからである――、悪臭を放つサラセン人は我々のように臭わない者と一緒になるのを喜ぶのである。

 いちいち紹介しているときりがないので、最後に『バウドリーノ』の聞手となったコンスタンチノープルの歴史家ニケタス・コニアテスの『年代記』の引用で締めくくりとしよう。ビザンチン皇帝アンドロニコス一世が失脚し、処刑される条である。

 これらの拷問に苦しみ、他にもここでは語らない無限の責苦にあわされたのだが、アンドロニコスは強靭な魂の持主であったから、これらの災いに襲われても、果敢に耐えていた。彼が殴りかかってくる者たちの方を振り返って言ったのはこれだけだった。「主よ、憐れみたまえ」、そして「なぜ、お前たちはこのもう折れている葦を押しつぶすのか?」両脚から吊り上げられた後でも、愚かさきわまりない群衆は、責めさいなまれたアンドロニコスを放っておくことも彼の肉体を容赦することもせず、彼が着ていたものを剥ぎ取り、彼の生殖器を切り落した。悪党が長剣を彼の口腔から内臓へと突き刺した。ラテン人が何人か、彼の肛門に新月刀を突き立てた。そして、周りに並んで剣を抜き、どの剣が一番切れ味がいいかを試し、一撃を加えては自分たちの腕前を自慢しあった。

 他にも面白い文書が目白押しだが、ぜひ図版といっしょに味わってほしい。西洋三千年の文明の底知れなさを垣間見ることができるだろう。

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2011年02月27日

『美の歴史』 エーコ&デ・ミケーレ (東洋書院)

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 エーコが美術史家のジローラモ・デ・ミケーレとともに編纂した西洋三千年の美の歴史である。450ページ近い大冊に300点以上の大判のカラー図版がひしめいており、美しい印刷、ゴージャスな装丁、ずしりとした重さと所有欲を満たしてくれる本だ。

 姉妹編の『醜の歴史』も邦訳されているが、第三作となる "The Infinity of Lists"(『無限のカタログ』)も欧米で好評を博している。

 最初に芸術の歴史ではなく美の歴史だと断ってあるように、本書は単なる美術史の本ではない。図版とともに古代ギリシアから現代にいたるさまざまな文章が引用されており、美をめぐる詞華集ともなっているのだ。

 美術史としては特にどうということはないが、哲学や神学や文学、さらには社会史までからめるとなると博識をもって鳴るエーコの独擅場である。

 古代ギリシアにおいて美が自覚的に論じられるようになった時、ピタゴラス派が比例という決定的な理論を提唱する。万物が秩序づけられているのは数学的法則を実現しているからで、美の原因は比例という数学的秩序にあるというわけだ。

 この比例という観念が解体していくことによって美の歴史が展開していくという構図が本書のおおよその骨格となっている。

 宇宙は存在の源からのただ一つの光エネルギー流で作られるとする新プラトン派の思想を受けて偽ディオニシウスが光の神学をあみだす。神は「光」、「炎」、「輝く泉」だとする偽ディオニシウスの思想は中世社会に広まり、輝きが美の原因として認められるようになるが、輝きは質であって比例ではないだろう。そこで輝きを比例に還元しようという試みが何度かくわだてられたが、トマス・アクィナスにいたって輝きは比例とは別の原理とされ、美が存在するには全体性・輝き・比例の三つが必要ということになった。

 ルネサンス期は古代回帰で比例理論がまた力を持つようになったが、後期になると緊張のねじれから美が生まれるという美の観念が生まれ、マニエリスムやバロックにつながっていく。

 18世紀になると理性・規律・計画を重んじる市民階級が勃興して新古典主義が流行するが、新古典主義は比例を復活させるかに見えて、その実、比例の根拠を掘り崩すことになる。新古典主義もまた美は客体の側ではなく主体の側の現象だとする新しい考え方にもとづいていたからだ。

 実際、18世紀には主体の審美能力に係わる「趣味」「天賦の才」「想像力」「感情」が重視されていた。この新しい美学の代表者はヒュームである。『道徳、政治、文学に関するエッセイ』から引こう。

美や醜は、甘さや苦さ以上に事物に内在する性質ではなく、内的であれ外的であれ、感情に全く属していることは明らかであるが、事物の中に、本性によってそのような特別な感情を産み出すのに適したある種の性質が実在することは認めなくてはならない。……中略……もし同一の性質が、持続した構造内にごくわずかな程度しかないために、ある人にははっきりとした喜びや不安をもって感官に作用しないのであればそのような人は精妙さに欠けるとするのである。

 ヒュームの美学を継承し発展させたのはカントである。カントは美的判断とはすべての花でなく、特定の花が美しいと語ることだとした、なぜなら美的判断は原則ではなく感情にもとづくからである。

 この後にロマン主義の渇望の美学が来る。ロマン主義の時代は産業資本主義の勃興期にあたっていたが、産業が社会を変えていくと変化についていけない芸術家たちが芸術至上主義に引きこもり、デカダンスにあこがれるようになる。そしていよいよ20世紀となるわけだ。

 思想史の側面はこれくらいにして、詞華集の面にもどろう。どんな作品が集められているのだろうか。

 『カルミナ・ブラーナ』はオルフの歌曲で有名だが、もともとはベネディクトボイエルン修道院で発見された俗謡集であり、エーコはこんなけしからぬ詩を選んでいる。

私は目的に近づくが、娘はさめざめと泣き、乙女の扉をあけるのをためらいながら、私の炎をさらに掻きたてる。彼女は泣き、私はその甘美な涙をのむ。こうして私はますます酔い、ますます情熱に身を焦がす。

涙に濡れた接吻のいっそう甘美な味に刺激され、心はさらに内なる愛撫へと向かう。情熱に引きずられ、欲望の炎は私の中でますます激しく燃え盛る。そうするうちにコロニスはしゃくりあげながら苦痛を打ち明け、私が頼んでも静まってはくれない。頼みをくりかえし、接吻をくりかえすが、彼女は涙を流しつづけ、私をののしり、私を憎らしげににらんだり、嘆願するように見つめたり、抵抗したり、懇願したり。私は彼女に懇願するが、彼女の愛撫はますます私の願いを無視してくる。

そこで私は大胆になり、力をふるった。彼女は爪を立てて私を引っ掻き、私の髪をひっぱって泣き、全力で私をはねつけ、体を曲げて、恥じらいの扉が開かぬよう、膝を閉じた。

 これはほとんどポルノではないか。

 一方、純愛に殉じた詩人もいる。『バウドリーノ』のアブドゥラのモデルとなったジョフレ・リュデルというトゥルバドゥールである。

わたしを決して見ることのない彼の地のひとを
わたしが愛したとて驚くことはありませぬ
他の恋を喜ぶ心をもたないのですから
この地でそのようなひとに会ったこともなく
他の喜びがわたしを楽しませたこともなく
どのようにしたらよいかわからないのです
ああ、ああ

 時代がくだってロマン主義の時代になると、ナポレオンが自ら書いた小説『クリッソンとユージェニー』の一節が引かれている。

アメリーは美しい身体、美しい瞳、美しい髪、美しい肌色の持ち主で、17歳だった。ユージェニーは彼女より一歳年少で、美しさでも劣っていた。アメリーが人を見つめると、こんな風に言っているようだった。あなたは私に恋をしているんでしょ、でもあなただけじゃないのよ、他にもたくさんいるの、だから私に好かれたかったら、私の機嫌をとらなきゃだめなのよ。私はお世辞が大好きだし、きちんとした人が好きなのよ。ユージェニーは決して男性をじっと見つめたりはしなかった。想像しうる限りもっとも美しい歯を見せるために、優しく微笑むのだった。彼女が手を差し出すときは、おずおずと差し出し、あっというまに引っ込めてしまうのだった。

 文学作品だけでなく哲学や神学の文章も集められているが、ここでは渋いところでヘーゲルの『美学』から引用しよう。

キリストのこの生涯において重大なのは、彼がこの人間としての唯一の存在を捨てたこと、十字架上の苦しみ、霊の長い苦難、死の責苦である。個人としての直接的な存在、外的な、身体的な見かけが否定的なものとしてのまさに拒絶の苦悩において示されるという内容自体にここには暗に含まれているほどである。それは、精神が主観的な独自性と感受性を犠牲にすることによって真実に、天に到達するためであり、この表現の領域を古典的な造型の理想から全く別のものに切離すためなのである。

 視覚的にも好奇心的にももう満腹と思うかもしれないが、まだ『醜の歴史』という姉妹編がある。

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2011年02月26日

『記号論と言語哲学』 エーコ (国文社)
『テクストの概念』 エーコ (而立書房)

記号論と言語哲学
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テクストの概念
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 エーコの記号論を二冊紹介しよう。

 エーコは記号論関係の本をたくさん書いているが、中心となるのは記号論三部作と呼ばれる『記号論』、『物語における読者』と今回とりあげる『記号論と言語哲学』である。

 『記号論』はソシュールからパース、イェルムスレウ、記号論理学、情報理論にいたるまで、記号に関するさまざまな視点を網羅し整理した記号論大全というべき本で、記号を論ずる上での基本図書中の基本図書といえよう。

 『物語における読者』は『記号論』の整理をもとにテクストに複数の読み方が成立するメカニズムを精密に跡づけた本で、1982年の『開かれた作品』の深化といえる。読みの複数性を様相論理学の可能世界論で記述したのがポイントだろう。

 『記号論と言語哲学』は前二作における共時的な議論を歴史的にとらえなおした本で、若い日にスコラ哲学を学んだエーコならではの学説史が展開されている。

 『記号論と言語哲学』は読者は前二作を読んでいるという前提で書かれているが、困ったことに『記号論』の邦訳も『物語における読者』の邦訳も絶版(長期品切?)であり、入手がむずかいくなっているのだ。

 エーコ自身がチェックした英語版で読むという手もあるが("Theory of Semiotics"と"The Role of the Reader")、幸いなことに両著をダイジェストした本が邦訳されている。『テクストの概念』である。

:『物語における読者』は2011年3月に新版が刊行され入手可能になった。翻訳は篠原資明訳の方が格段に読みやすい)

 『テクストの概念』はサンパウロ大学大学院で1979年にエーコがおこなった講義をブラジルで出版したもので、『記号論』と『物語における読者』を要約した内容となっている。いわば二番煎じ本だが、あれもこれも詰めこみすぎの二作と較べるとずいぶん見通しがよくなっているのも確かだ。原著はポルトガル語でイタリア語版は出ていないが、翻訳にあたって講義のもとになったエーコのイタリア語原稿をとりよせたということだから重訳ではない。

 『記号論』にあたる部分ではパースとイェルムスレウを統合した

       解釈項
     /    \
  代表項………………直接対象
  (記号)    (イメージ)
             ↓
           力動的対象
           (物自体)

というおなじみの図式からはじめ、構造意味論で意味の階層構造を紹介した後、換喩と提喩の考察に移っていく。

 換喩とは「沖の白帆」のように「帆」という部分で「船」という全体をあらわすことをいい、提喩とは「痩せたソクラテス」のように「ソクラテス」で「賢者」という上位概念をあらわすことをいう(上位概念で下位概念をあらわしてもいい)。では「春秋をかさねて」のように「春秋」で「歳月」をあらわす場合は換喩だろうか、提喩だろうか。

 こういう曖昧なケースをどう受けとるかは読者の問題になり、ここで読者論に話が移る。読者論では『物語における読者』と同様、アルファンス・アレーの二編の笑劇を題材にして考察しており、大筋は同じである。

 訳文がややぎこちないのが難だが、本書を出してくれたことは感謝したい。

 さて『記号論と言語哲学』である。エーコは言語や人為的記号のみならず、煙が火事をあらわすといった自然的記号をも統一的に論ずるパースの立場を引きついでいるが、それに対するギルバート・ハーマンという論理学者の批判を槍玉にあげることからはじめる。

 ハーマンはパースの記号論は三つの異なる分野の理論――意図された意味の理論、徴候の理論、絵画的表示の理論――を含んでいるが、これら三つの分野が共通の原理にもとづいているという証拠はないとしている。エーコはストア派から中世のスコラ哲学、ロック、フッサール、ヴィトゲンシュタインにいたるまで、こうした三つの分野のための共通の基盤を見いだそうと試みてきたと反論するが、ここで重要なのは「ストア派から」と書いている点である。ストア派の論理学が出てくるまでは言語と記号は別ものと考えられていたからである。

 記号はギリシア語ではセーメイオンだが、糸口、徴候、症状の同義語とみなされていた。一方、言葉は名称オノマと同一視されており、パルメニデスは記号セーマタ名称オノマゼインを対比して論じていた。アリストテレスも記号と言葉は区別しており、言葉にはシンボルという語をあてていた。アリストテレスが記号に距離をおこうとしたのは糸口、徴候、症状という意味での記号は三段論法の根拠として不十分だからだ。熱があるからといって、風邪をひいているとは限らないのだ。

 これに対してストア派の論理学は p⊃q という命題論理学であり、語の意味するものも霊魂の状態でもイデアでもなく、非物体的なものという範疇があらたに設けられ(本書では「無体的」と訳しているが、ストア派の訳語としてはあまり使わないのではないか)、言語理論と記号理論の統合が試みられている。

 言語理論と記号論を最終的に統合したのはアウグスティヌスだそうで、いよいよスコラ哲学者エーコの本領が発揮されるが、興味のある方は本書を読んでほしい。

 ややこしい議論にはこれ以上立ち入らないが、特筆したいのは最後の章で鏡像は記号といえるのかどうかという意表をついた問題提起をしていることだ。鏡を代名詞になぞらえるなど面白い観点を次々とくりだし、記号とは何かという問いに哲学史とは真反対の角度から光をあてている。映画の最後にNG集をつけるようなもので、お堅い本でこういう読者サービスをやるところがエーコである。

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2011年02月23日

『セレンディピティー―言語と愚行』 エーコ (而立書房)

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 ウンベルト・エーコは多くの本を出しているが、主著から派生した著作がすくなくない。いわば二番煎じ本である。

 二番煎じとはいっても、エーコの場合はそれなりの存在理由がある。まず主著では使わなかった材料を用いて主著とは違った視点を打ちだしている場合があること。

 第二にエーコは若い頃にトマス・アクィナスを研究しただけに大全コンプレックスとでもいうべき網羅癖があり、特に主著にあたる本にはあれもこれも詰めこみすぎる傾向があるが、二番煎じ本ではエーコ自身によって要点が絞りこまれ、見通しがいいこと。

 第三に日本の特殊事情だが、エーコの主要著作の邦訳は大手版元から出ているためにすぐに絶版になってしまう。『開かれた作品』、『記号論』、『物語における読者』、『完全言語の探求』、『カントとカモノハシ』、『前日島』はエーコを語る上ではずすことのできない重要な本だが、いずれも絶版ないし増刷の予定のない長期品切である。一方、二番煎じ本は小回りのきく小出版社から出ているためか、現在でもほとんどが書店で買えること。

 本書であるが、ウソから出たマコトを集めた第一章は別として、第二章以降は『完全言語の探求』(平凡社、絶版)の二番煎じである。

 第二章「楽園の諸言語」は起源の言語をさがす試みについてで、バベルの塔以前の人類は何語を話していたか、神は何語でアダムに話しかけたかが真剣に問われた時代の話である。

 旧約聖書がヘブライ語で書かれている以上、失われたアダムの言語は原ヘブライ語と考えるしかないが、起源の言語の探求がラテン語に対する俗語の優位という思想を生みだしたという指摘はおもしろい。

 第三章「マルコ・ポーロからライプニッツへ」は文字の話で、ライプニッツの考えた普遍表記法や普遍文字としての漢字がとりあげられている。

 第四章「アウストラル国の言語」は人工的に作った理想言語を論じているが、『完全言語の探求』ではふれていなかったガブリエル・フワニのユートピア小説『既知の国アウストラル』を例にしている点は注目したい。

 第五章「ジョゼフ・ド・メートルの言語学」では『完全言語の探求』では題名が言及されたにすぎない『サンクト・ペテルブルクの夜』に考察がくわえられている。

 『完全言語の探求』が入手できない現在、本書の存在は貴重だが、谷口訳はあまり読みやすいとは言えない。たとえばこんな具合だ。

 問題への一つの解決策は、マリーア・コルティが提案している。今日までに一般に認められているのは、ダンテを聖トマス・アクイナスの思想の正統な踏襲者としてだけ見なすわけにはいかないということである。状況次第で、ダンテはさまざまな哲学的・神学的典拠を活用した。
 さらに、彼がシジェ・ド・ブラバンを主たる代表者とするいわゆる過激アリストテレス主義のさまざまな流派に影響されたこともよく突き止められている。過激アリストテレス主義のもう一人の重要人物はダキアのボエティウスであって、彼はシジェと同じく、1277年にパリ大司教から破門された。ボエティウスはいわゆる様態論者なる文法家グループの一員だったし、論文『表意様態論』を著したのだが、これは――コルティによると――ダンテに影響をおよぼしたらしい。

 原文を確認したわけではないが、この条は『完全言語の探求』の第三章の使い回しらしい。上村忠男・廣石正和訳の相当箇所を引用しよう。

 マリア・コルティは、この問題にたいするひとつの解決法を提案している。ダンテを理解するにはたんにトマス主義の正統な継承者と見なしていてはだめだというのは、いまや異論の余地のないところである。ダンテは、時と場合によって、哲学や神学のさまざまな源泉を参考にしている。そして、ブラバンのシゲルを最大の代表者とする急進的アリストテレス主義のさまざまな潮流に影響されていたのは、うたがいない。ことに、急進的アリストテレス主義の面々のなかには、様態論者と呼ばれる文法学者たちの最大の代表者のひとりであるダキアのボエティウスもいた(この人物は、シゲルとともに、一二七七年にパリ司教が発布した非難宣告の対象となっている)。このダキアのボエティウスの『表意様態について』からダンテは影響をうけていた可能性があるというのである。

 「シジェ・ド・ブラバン」と「ブラバンのシゲル」はフランス語読みかラテン語読みかの違いである。原文が Siger de Brabant になっているのか、 Sygerius de Brabantia になっているのかはわからないが、大した問題ではないだろう。

 問題は谷口訳ではシジェ/シゲルとダキアのボエティウスが破門されたことになっていることだ。調べてみたが、破門はされていないようである。破門と非難宣告は大変な違いなのだが。

 精力的にエーコを翻訳してくれる谷口氏と而立書房の功績は多としたいが、訳文は日本語としてこなれているとは言いにくいし、全体に荒っぽい印象があるのは否めないだろう。それでもないよりはあった方がいいのは言うまでもない。

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2011年02月22日

『ウンベルト・エコとの対話』 シュタウダー&エーコ (而立書房)
『不信の体系』 コトロネーオ (而立書房)

ウンベルト・エコとの対話
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不信の体系
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 ウンベルト・エーコを論じた本を二冊紹介しよう。

 一冊目、シュタウダーの『ウンベルト・エコとの対話』は第一章が『薔薇の名前』論、第二章以降がエーコへのインタビューという構成になっている。

 シュタウダーは『薔薇の名前』を娯楽作品として読んだり、浮き世離れした衒学的な中世小説として読む立場を批判し、現代の状況にかかわったアクチュアルな作品として読むべきだとしている。主人公たちが属するフランチェスコ会は清貧の教えをより徹底した異端であるドルチーノ派によって難しい位置においこまれるが、シュタウダーはドルチーノ派=赤い旅団だと指摘する。

 エコが小説の中でドルチーノに対して、フランチェスコ派の清貧の教義から誤った結論を抽き出したことを批判することにより、暗黙には、赤い旅団が原則として尊重すべき共産主義の教えから誤った結論を抽き出したことをも批判しているのである。

 ドルノーノ派の異端思想にパスカーヴィルのウィリアム(映画でショーン・コネリーが演じた修道士)は笑いで対抗するが、シュタウダーはバフチンのカーニヴァル理論を援用して現代的意義を述べている。

 1970年代のイタリア・テロリズムに対しての、エコがその小説の中で暴力的な宗派ドルチーノ派についてでっち上げた関係に関して重要な事実、それは、彼がこの書評の中で、ラブレーの笑いを"赤い旅団"の盲目的に狂暴な暴力への健全な代替物としてはっきりと記述しているということである。

 第二章『フーコーの振り子』は『ウンベルト・エコ インタヴュー集』第二章の完全版らしく、こちらにだけ出てくる発言はあるものの大筋は同じである。注目すべきはオカルト・マニア(藤川訳では「猟奇魔」、本書では「魔性者」)を転回後のハイデガーになぞらえていることだ。

 エーコは転回後のハイデガーがおちいった無限の解釈をパースの無限の記号作用と対比し、次のように批判する。

 無限の記号作用を通して、発端の記号はだんだんとよりよく認識され、深められていくのに対し、無限の解釈にあっては、ある類推から他の類推へとたんに移行するだけであり、しかも移行のたびごとに、初めにあったものは忘れ去られていくのです。この無分別な迷宮の中では、絶えず喪失がつきまといます。これこそ、私には無限解釈の病、秘密の聖骸布、に思えるのです。

 「転回」が定訳となっているハイデガーの Kehre が本書では「転向」と訳されているが、「転向」という言葉には特殊な意味合いがつきすぎているので好ましくないと思う。

 第三章は『前日島』についてだが、取材にテープレコーダーによる音声メモを使っているなど、創作の舞台裏があかされていて興味深い。

 テープレコーダーをはじめて使ったのは『フーコーの振り子』冒頭の国立工芸院(本書では「国立工芸院」となっているが、学校ではなく博物館なのだから「学院」はまずいだろう)の取材の際で、音声メモを使わなかったらあの克明な細密描写は不可能だったろうという。

 『薔薇の名前』の会話は修道院の図面で歩く距離を算出した上で書いているので、映画化の際に長さがぴったりはまるとスタッフが驚いていたそうだ。

 第四章は『バウドリーノ』を語っているが、エーコは自分の懐疑主義はアレッサンドリア由来だとしてる。

 第五章はエーコの伝記についてで、職人の家系に生れたとか、学生時代にイタリア青年カトリック行動団(GIAC)で活躍したとか語っている。

 エーコは大学卒業後、テレビ局に入社しているが、これは指導教授のパレイゾンとの関係が政治的な理由からまずくなってしまい、大学に残れなくなったことが大きいという。

 第六章はまだ邦訳のない『女王ロアーナの謎の炎』に関してで、ネルヴァルの『シルヴィー』の影響が顕著らしい。

 付録として書誌と古書店の雑誌に載せた「読む理由あれこれ」という短いエッセイがついている。

 さて、コトロネーオの『不信の体系』である。

 表題にいう「不信」とはエーコの記号の考え方が関係している。エーコは『記号論』において記号とは「嘘を言うために利用しうるもの」と定義し、記号論とは「嘘についての理論」とした。コトロネーオのいう「不信の体系」とは「記号の体系」のことであり、記号があるからといって、その記号のあらわすものが実在するとは限らないということである(『記号論』をよく読みこんでいないと本書は理解しにくいと思う)。

 コトロネーオは最初の章で『バウドリーノ』までのエーコの四作の小説の本質を早くも次のように喝破する。

 四つの小説全般にとっての中心テーマ、それは世界、宇宙のあり得ざる秩序というテーマである。もろもろの記号しるしを、上位の、立派で不可欠な運命のアルファベットとして読むという錯覚のテーマである。

 実際、エーコの小説は誤った解釈を軸に転回するのであって、妥当な見方だろう。

 作品論としてはいささかものたりないが、現地の人だけに興味深い情報がいろいろ書かれている。

 『前日島』の題名は『オレンジ色の鳩』が有力な候補だったが、友人はみな『前日島』を推したので『前日島』にしたという。エーコ自身は『オレンジ色の鳩』の方が気にいっていたので、題名決定後、急遽「オレンジ色の鳩」という章を追加したそうだ。

 『薔薇の名前』は19世紀から見た中世で、いわばネオ・ゴシックだが、『バウドリーノ』の方は正真正銘の中世だそうである。

 エーコは『ウンベルト・エーコの文体練習』(新潮社、絶版)にあるようにネルヴァルの『シルヴィー』が大好きで、エーコの小説には『シルヴィー』の影響が色濃く残っているという指摘もある。

 付録として「『バウドリーノ』をめぐって」というトマス・シュタウダーがエーコにおこなったインタビューが集録されているが、これは『ウンベルト・エコとの対話』第四章と同じものである。おそらく訳者が独自の判断で集録したもので、原著にはないのではないかと思う。

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『ウンベルト・エコ インタヴュー集』 エーコ他 (而立書房)

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 「記号論、「バラの名前」そして「フーコーの振り子」」と副題がついていることからわかるようにエーコの三本のインタビューをまとめた本であるが、おそらく日本で独自に編集したものだろう。

 おそらくと書いたのは本書の出自が謎だからだ(ちょっとわくわくする)。

 「エコの髭―日本語版によせて―」という序文がついており、書誌データには原題が"INTERVIEWS WITH UMBERTO"とあるので、英語で出版された原著があるのだろうと思っていたが、調べたかぎりでは原著にあたる本は見つからなかった。

 第一章のルイス・パンコルボはイタリア人でイタリア語、第二章のトマス・シュタウダーはドイツ人でドイツ語と英語、第三章のセース・ノーテボームはオランダ人でオランダ語と英語の本しか出していない(スペイン語版もあったが、翻訳のようだ)。

 ルイス・パンコルボによる日本語版の序文には「このインタヴュー集をはじめて発表した一九七七年には……」とあるが、第二章と第三章は1988年の『フーコーの振り子』刊行以降におこなわれたはずだから、全体の序文と考えるとおかしなことになる(多分、パンコルボは自分がまとめた第一章のみの序文を書いたのだろう)。

 推測になるが、イタリア、ドイツ、オランダの雑誌にばらばらに掲載されたインタビューを訳者の谷口勇氏がまとめた日本独自の出版と考えるのが自然ではないか(そうだとしたらエーコの国際的な活動を一冊で読める日本の読者は幸福である)。

 詮索はこれくらいにして、まずパンコルボによる「記号論の魔術」である。このインタビューは『記号論』(岩波書店、絶版)の出版された1977年にイタリア語でおこなわれたらしい。アントニオーニの映画の感想を枕に、エーコの主著の一つである『記号論』について聞いているが、当り障りのない話しか出てこない。『ソラリス』のレムが「アフォリズムの大家」として言及されているが、パンコルボはSFを読んだことがないのだろうか。

 第二章のシュタウダーによる「『バラの名前』から『フーコーの振り子』へ」というインタビューは『フーコーの振り子』の刊行後にドイツ語でおこなわれたらしい(英語の可能性もある)。

 エーコの分身というべきベルボの経験はアブラフィアというパソコン内部に残されたファイルからカソーボンが再構成するという手続きを踏むが、なぜそのような趣向をとったかについてエーコはこう語っている。

 私にとっては三つのフィルターを介して物語るための唯一の方法だったのです。こんな話は直接的に物語るわけにはとてもいかなかったのです。だって、そんなことをすれば、戦後の写実主義と変わらないことになったでしょうからね。

 あまりにも率直すぎる発言で、ちょっと引いてしまう。

 オカルトについては1950年代から興味があり、オカルト専用の書棚を作るくらい本を集めているそうである。1970年代になって左翼運動が凋落すると、左翼本の専門書店が一斉にオカルトに宗旨変えし、テロリストが精神世界の指導者グルになってしまったそうである。日本でも同時期に元過激派は自然食品のセールスマンに商売変えしている。

 「ユタ州の実験室における冷凍核融合」という文が出てくるが、cold fusion は日本では「常温核融合」と訳すのが普通である。

 第三章のノーテボームによる「講壇から、ピッツァ専門店から」も『フーコーの振り子』に関するインタビューである。

 前振りがあって、ノーテボームがエーコをアムステルダムのオカルト専門の古書店に案内した思い出が書いてある。店主は一見の客に警戒している風だったが、エーコが玄人だとわかると意気投合し、顧客にミラノ在住のものすごい美人の錬金術マニアがいるから紹介しようともちかける。するとエーコは言下に答える。

「そういう人たちに、私がここにきたことを他言しないでください。信者たちとは何の関係も持ちたくないのです。」

 『フーコーの振り子』に登場する「猟奇魔」は実在するのである。

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2011年02月21日

『バウドリーノ』 エーコ (岩波書店)

バウドリーノ
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 ウンベルト・エーコは北イタリアのピエモント州アレッサンドリア市に生まれた。彼はピエモント人であることを誇りにしていて、故郷のアレッサンドリアにもなみなみならぬ思いいれをもっているらしい。このほど翻訳された『バウドリーノ』もアレッサンドリア市の沿革が発端になっている。

 アレッサンドリア市は12世紀にジェノヴァなど近隣都市国家の援助で誕生した。この小説には20年ぶりに帰郷したバウドリーノが城壁が築かれ、地割りされ、建物がたちならび、どんどん都市らしくなっていく故郷に目を丸くする場面が出てくる。

 市の名前アレッサンドリアは時の教皇アレクサンデル三世にちなむ。新しくできた都市に法的な裏づけをあたえるために、アレクサンデル三世に献納するという手続をとったのだ。

 都市をローマ教皇に献納するのは裏技だった。当時のイタリアは神聖ローマ帝国の一部であり、皇帝の認可なしに新たな都市を作ることなど許されなかった。アレッサンドリア建設の報に赤髭王バルバロッサの異名をもつ皇帝フリードリヒ一世は烈火のごとく怒り、すぐにも攻めようとしたが諸般の事情が許さず、ようやく10年後にアレッサンドリアを攻囲した。だが、戦いは長引き市側も皇帝側も疲弊した。この時、ガリアウドという農夫が牝牛の詭計で市を救ったと伝えられている。

 本作ではバウドリーノはガリアウドの息子という設定になっている。まだアレッサンドリアが影も形もなかった頃、バウドリーノは森の中で狩猟をしていたフリードリヒと出会い、とっさに自分と同じ名前の聖人のお告げと称してテルドーナ征服の予言を伝える。フリードリヒはこの予言をテルドーナとの交渉に役立てようとバウドリーノを実の父親から買いとり、養子にする。

 皇帝の養子になったバウドリーノは天性の語学の才とほら吹きの才を愛され、パリに遊学してほら話の技術に磨きをかけ、一癖も二癖もある友人を作る。バウドリーノは友人ともども皇帝の側近にとりたてられる。いかがわしい聖遺物がもてはやされ、都市の盛衰をも左右していた中世にあって、ほら話は重要な政治手段だったのである。

 バウドリーノは皇帝のためにさまざまなほら話をでっちあげるが(アレッサンドリアを救った牝牛もバウドリーノのしかけで、軍を引く口実を探していた皇帝は策略と承知でしかけに乗った)、最大のほらは司祭ヨハネの書簡だった。

 司祭ヨハネプレスビュテル・ヨハネス(日本では英語読みの「プレスター・ジョン」で知られている)とはイエス生誕の時に訪れた東方三賢王の子孫で、イスラム帝国の東側にあるキリスト教国に君臨しているとされた。十字軍熱の高まった時代、司祭ヨハネと同盟してイスラム帝国を挟み撃ちにしようという夢がたびたび語られたが、バウドリーノは友人たちの協力をえて司祭ヨハネが皇帝フリードリヒに宛てた手紙を捏造する。泥沼のようなイタリアの政治にはまりこみ進退きわまった皇帝を救うためだ(この偽書簡は実際に流布し、フリードリヒの宮廷の作とされている)。

 物語の後半ではバウドリーノは自分がでっち上げた司祭ヨハネ伝説にとりつかれ、司祭ヨハネの国をもとめて、友人たちとともに中世の地理書や旅行記に描かれるままの化物が跋扈する土地を遍歴する。友人の一人、アブドゥラは実在するかどうかすらもわからぬ貴婦人に恋の歌を書きつづるが、司祭ヨハネの国をさがすバウドリーノの情熱もアブドゥラのかなわぬ恋と同じかもしれない。

 エーコのことであるから、ここでもうひと捻りある。フリードリヒ一世が率いた第三回十字軍とコンスタンティノープルに襲いかかった第四回十字軍をビザンチン帝国側から記録したとして歴史に名を残すニケタス・コニアテスがバウドリーノの数奇な生涯を聞かされるという物語が全体の額縁になっているのである。

 エーコの小説は『薔薇の名前』も『フーコーの振り子』も『前日島』も密室的な印象が強かったが、第四作にあたる『バウドリーノ』は一転して明るく開放的だ。笑いも前面に出てきている。これまで邦訳されたエーコの小説の中では本作が一番とっつきやすいかもしれない。

 なお、アブドゥラのモデルになったジョフレ・リュデルの恋愛詩は『美の歴史』に、バウドリーノのほら話の聞き手となったコンスタンチノープルの歴史家ニケタス・コニアテスの『年代記』とバウドリーノたちがでっちあげた(ことになっている)司祭ヨハネの偽書簡は『醜の歴史』に引用されている。

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2011年02月20日

『フーコーの振り子』 エーコ (文春文庫)

フーコーの振り子
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フーコーの振り子
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 本書は1988年に発表されたウンベルト・エーコの長編第二作である。

 17年前、邦訳が出た直後に読みかけたが、夜の博物館の中をうろうろする条で放りだしてしまった。次から次へと出てくる展示物が意味ありげで、いちいち考えていたらなにがなんだかわからなくなったのである。

 『バウドリーノ』が訳されたのを機にもう一度チャレンジしてみることにした。今回は振り子を発明したレオン・フーコーの伝記をはじめとする科学史関係の本を読み、準備万端整えたつもりだ。

 結果からいうとレオン・フーコーも科学史も関係なかった。科学史関係の話柄が出てくるのは最初の50ページだけで、あとの千ページ以上はオカルトと陰謀史観の話なのである。オカルトと陰謀史観なら昔とった杵柄で、どうということはない。

 澁澤達彦の『秘密結社の手帖』や映画になった『ダ・ヴィンチ・コード』でおなじみのテンプル騎士団が一応のテーマだが、オカルト知識を真面目にとりすぎるのはよくない。これは深遠な哲学小説などではなく、お笑い小説なのだ。エーコはオカルト・マニア(本書では「猟奇魔」)をからかいの対象にしていて、笑える場面がこれでもかこれでもかと出てくる。

 この作品とオカルトの関係は『ドン・キホーテ』と騎士道物語の関係に相当する。オカルトのパロディというかパスティーシュであって、本格的なマニアだったら相当傷つくだろうが、わたしはマニアを卒業したので苦笑しながら読んだ。

 出版業界の内幕ものとしても抱腹絶倒である。日本では「協力出版」と称して素人作家からお金をむしりとる商売が繁盛しているが、イタリアでも似たようなものらしい。

 しかし、この小説の一番の読みどころはそこではない。エーコは本作に二人の視点人物を設けている。一人は全体の語り手のカゾボンで、日本でいう団塊の世代にあたる。もう一人はカゾボンの同僚のベルボで、アブラフィアというパソコンに手記を保存している。ベルボはエーコと同じく1932年にピエモンテ州で生まれた戦中派であり、エーコの分身といっていい。

 エーコはカゾボンとベルボという二人の視点を通してイタリアの戦後史を描いたのだ。意外なことにそれは日本の戦後史とかなりの程度重なる。『輝ける青春』という映画を見て、日本とイタリアの戦後史がよく相関しているのに驚いたが、この小説を読んであらためて似ていると思った。

 難解という評判は無視していいが、上下巻で千ページを超えるだけに最初の百ページはかったるい。しかし長い小説の常として、百ページの峠を越せば一気呵成に読める。戦後史を実体験として知らない若い人にはぴんとこないかもしれないが、不惑をすぎた人はこの作品で大いに惑ってみるといいだろう。

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