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2010年12月30日

『磁力と重力の発見』 山本義隆 (みすず書房)

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磁力と重力の発見
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 ウンベルト・エーコの『前日島』に魔術的な治療法が出てくる。深手を負って腕を切断するしかなくなった銃士を救うために傷口にあてていた布をはがして薬液にひたすと一瞬で痛みがとまり、一週間で完治したというのだ。薬は傷口ではなく、傷口にあてていた布につけただけだが、遠隔感応で効いたのである。

 『前日島』はフィクションだが、傷ではなく、傷にあてていた布や傷つけた刀剣の方に薬を塗るという治療法はルネサンス期に実際におこなわれていた。悪名高いパラケルススの「武器軟膏」で、当時からまやかしと批判されていた。

 ニュートンの万有引力の法則も同時代人には「武器軟膏」同様のまやかしに見えたらしい。力という観念はもともと筋肉感覚に由来し、直接接触することによってのみ伝わると考えられてきた。遠く離れた物体に働きかける万有引力が眉唾と受けとられたのもやむをえないことだったろう。

 「武器軟膏」はともかくとして、否定しようのない遠隔力も存在した。磁力である。

 磁石の発する不思議な力については古代ギリシア以来さまざまな説明が試みられてきたが、ルネサンス期になり羅針盤の実用化から地球自体が磁力を発していることが発見されると、磁力は天体どうしを結びつける力に擬せられるようになった。ニュートンがデカルトの渦動重力理論を捨て、万有引力の法則を提唱した背景には宇宙論にまで拡大されていた革新的な磁力論がある。

 本書は『古典力学の形成』の前史というべき本で、著者は古代ギリシア以来の磁力観の発展がどのように万有引力の法則を準備したかを詳細に跡づけている。

 本書は三巻からなるが、まず第一巻の「古代・中世」から見ていこう。

 磁力について最初に言及したギリシア人はタレスらしいが、タレスにつづく自然学者たちが説明を試み、近代にいたるまでくりかえされることになる二つの類型を早くもつくりあげている。

 一つは類似物どうしの感応という物活論的な説明であり、もう一つは微細物質による機械論的な説明である。類似物の感応についてはふれるまでもないだろう。機械論的な説明をはじめておこなったのはエンペドクレスで、プラトンも似たような説明をおこなっている。ここでは二世紀のアプロディシアスから引こう。

 磁石からの流出物は、鉄の通孔を覆っている空気を押しのけて、それらを塞いでいる空気を動かす。一方、その空気がその場を離れたとき、いっしょに流れ出す流出物のあとを鉄がついてゆく。そして、その鉄からの流出物が磁石の通孔まで運ばれると、それらの流出物がそれらの通孔に対応して適合するがゆえに、鉄もいっしょにそれらの流出物のあとについて運ばれる。(アプロディシアス『問題集』)

 この「流出物」は論者によって「水分」になったり「原子」になったり「エーテル」になったりするが、目に見えない微粒子の流れが磁力の本体であり、鉄が引き寄せられるように見えるのは微粒子の衝撃力に押された結果なのだとする点では軌を一にしている。

 磁力観の発展という点では中世まではワンパターンのくりかえしである。説明が類型的に踏襲されるだけでなく、ダイアモンドが磁力をさえぎるとか、ニンニクを塗りつけると磁石は磁力を失うといった明らかな誤りが延々踏襲されているのだ。ダイアモンドはともかく、ニンニクで磁力がなくなるかどうかはすぐにわかりそうなものなのに、権威ある文献に書いてあると無批判に受けいれてしまうのだろう。

 磁力観的にはおもしろみがないが、紹介される話柄のおもしろさという点ではほとんど澁澤達彦を思わせる。澁澤のフアンならこの巻は読んで損はない。

 第二巻「ルネサンス」は魔術の復活と羅針盤の実用化によって磁力の歴史が大きく進む。

 魔術には悪魔に頼る魔術と頼らない魔術の二つがあるとされていたが、ルネサンスにいたって後者が「自然魔術」の名で容認されたのだ。天界と地上の間には「宇宙の精気」が循環し、相互に影響ををおよぼしあっているという考えが広まり、魔術の理論的根拠となった。天界を知ることは地上を知ることであり、占星術が大きな力をもった。

 羅針盤は船乗りの間の秘伝という形で中世後期から密かに使われていたらしいが、磁針が北に向くのは北極星が引き寄せるからだと考えられた。

 しかし磁針の向きが真北からそれる偏角と水平より下を向く伏角が知られるようになると、磁針を引きつける磁力源が天界ではなく地上にあるという考えが有力になり、ついに地球自体が磁力をもつとされるようになった。

 著者はこれを文献本位から経験重視への転換と評価し、15世紀までの宗教的で思弁的な魔術と16世紀の経験的で実証的な魔術は明確に区別すべきだとしている。経験的で実践的な新しい魔術は職人たちの間で培われてきた技術と結びつき「自然科学の前近代的形態」へと変貌していく。

 磁力は自然魔術として研究されていたが、もはや過去の文献を盲信した記述は影を潜め、長い間混同されてきた静電気力と磁力の違いにも目が向くようになる。

 第二巻の後半は職人の活躍に注目し、『自然魔術』の著者で職人の世界と結びついていたデッラ・ポルタに紙幅をさいている。デッラ・ポルタは素朴ながら磁力の強さを定量的に測定する手段まで考案しており、磁力が魔術的で定性的な作用から物理学的で定量的な力へと転換する決定的な一歩を踏み出したとしている。

 第三巻「近代の始まり」は二千年以上におよぶ磁力の歴史の大団円であり、ギルバート、ケプラー、ガリレイ、デカルト、ニュートンという大物が登場する。

 まず『磁石論』のウィリアム・ギルバートである。デッラ・ポルタの章ではギルバートが自己顕示の塊で先人の発見を剽窃して平然としていると批判されていたが、断片的な発見を一つのビジョンにまとめあげ、磁気現象を磁気哲学という包括的自然観のもとに再編成する剛腕を見ると一時代を画する大学者だったと認めざるをえない。

 ギルバートは地球自体が磁力をもつことを論証し、天界の底に淀む冷たくて不活性で汚い地球というアリストテレス自然学の地球像を一新し、諸天体は磁力によって結びついているという壮大な宇宙観を打ちだした。月は第五元素からなる完全な球ではなく地球と同類の天体であり、「あたかも鎖で繋がれているかのように大地に強く結びつけられている」。磁石の接合力は磁石の大きさ・量に比例するという説は結果的には間違っていたが、ケプラーに引きつがれ、ニュートンの質量概念として結実することになる。ギルバートはそれとは知らずに万有引力の理論を準備したのである。

 ケプラーは『磁石論』を出版直後に読んでおり、フォン・ホーエンブルク宛書簡に「私に翼があるならば、イギリスに飛んでいってギルバートと話をしたいものです。彼の基本法則で惑星のすべての運動は証明できるものと私は信じています」とまで書いている。ギルバートの磁気哲学があったからこそケプラーは天体の間に力が働くという観念に到達し、三法則をまとめることができたといって過言ではない。著者はケプラーの三法則を次のように評価している。

 ケプラーによる天文学の改革は、たんに太陽を中心におき、また円軌道を楕円軌道ととり替えたことにはとどまらない。彼の改革の本質的な点は、惑星運動の動因として太陽が惑星に及ぼす力という観念を導入し、天文学を軌道の幾何学から天体動力学に、天空の地理学から天界の物理学に変換させたことにある。

 ケプラーは万有引力法則の手前まで達していた。『宇宙の神秘』第二版の注でケプラーはこう書いている。

 かつて私は、惑星を動かす原因は霊に違いないと信じ込んでいた。しかしこの主導的原因が距離の増加につれて弱まり、太陽の光もまた太陽からの距離に応じて衰えることを考えてみたとき、ここから次のような結論にいたった。すなわち、この力は、文字どおりの意味ではないが、少なくとも漫然とした意味において、ある物体的なもの(alquid corporeum)である。それはわれわれが光を、非物質的なものでありながら物体から放射されるあるものとして、ある物体的なものであると言うのと同様である。

 ただし、その放射力は「磁気」としてイメージされている。

 自身が磁性体である地球はその〔放出する運動〕形象によって月を動かす。同様に、太陽はおのれの放出する〔運動〕形象によって惑星を動かすのであるから、太陽もまた同様に磁性体であるということ、このことはきわめて確からしい。(ケプラー『新天文学』)

 ガリレイとデカルトに対しては点数が辛い。ガリレイはアリストテレスの「自然運動」と「強制運動」の区別から抜けられなかった。アリストテレス的に考えれば惑星の公転運動は「自然運動」なので太陽は引力をおよぼす必要がない。彼は加速度を発見したが、落下も重量物体の「自然運動」なので、重力という発想にはつながらなかったのである。

 デカルトについては慣性の法則をはじめて正確に定式化したと評価する一方、渦動重力理論や右ネジ・左ネジで磁石のN極S極を説明しようとした磁気理論を「自然にたいする知識があまりにも貧しく限られたものでしかない状態にあっては、およそ現実離れしたものにゆきつかざるをえなかった」と一蹴する。

 ニュートンと引力の逆二乗法則の先取権をめぐって争ったフックについては王立協会の書記という仕事が多忙をきわめた上に、数学的能力が欠如していたので先に進めなかったという評価にとどまっている。

 いよいよニュートンだが、著者はすでに『古典力学の形成』を書いているせいか、あっさりした記述である。

 この後に「磁力法則の測定と確定」と題した長いエピローグがつづく。万有引力の法則はニュートンで一応の解決を見たが、磁力の方は解決したとはとても言えない状態だったからだ。

 磁力が難しかったのは磁力の強度を測定しようとすると反対の極の磁力が影響してしまうことだ。だから磁力は近い距離では距離の三乗に逆比例するが、遠距離では距離の二乗に逆比例するというおさまりの悪い結果しか出てこなかった。

 著者はそれまで自らに禁じていた数式を解禁して楽しそうに問題を解いている。文化史の領域にまで踏みこんだ本書は「無免許運転にも近い無謀」と謙遜しているように著者にとってアウェイの仕事だったが、やっとホームにもどったというところだろう。

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