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2010年12月28日

『錬金術師ニュートン』 ドッブス (みすず書房)

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 ニュートン錬金術研究の第一人者だったB.J.T.Dobbsの最後の著書の邦訳である(Dobbsは「ドブズ」、「ダブズ」等と表記されることもある)。

 Dobbsはケインズがオークションで落札しキングズ・カレッジに寄贈したいわゆるケインズ手稿を分類整理した研究者として知られている。彼女は手稿の錬金術記号や暗号を解読してニュートンがまぎれもなく錬金術の世界に生きていたことを論証し、その成果を『ニュートンの錬金術』(平凡社から出ていたが絶版)にまとめている。本書はそれにつづく研究で、万有引力理論の形成と錬金術の関係を掘りさげている。

 ニュートンは45歳で『プリンキピア』を出版したが、万有引力の法則自体は23歳の時に発見していたと語っている。ペストの流行のためにケンブリッジから生家にもどり、リンゴの木から実が落ちるのを見て云々という例のお話である。しかしこれは微積分と万有引力の法則の先取権をめぐって争うようになった1710年以降にはじめて出てくる話であって、資料的な裏付はない。

 それどころか『プリンキピア』直前までニュートンがデカルトの渦動重力理論を信奉していたという証拠ならたくさんある。

 『プリンキピア』執筆のきっかけとなったハレーの訪問の9年前だが、渦動重力理論を語っている書簡(オルデンバーグ宛)があるので引用しよう。ニュートンは重力は天空から地球の中心に向かって下降してくるエーテルの圧力によって引き起こされると明確に述べている。

 〔エーテルは〕下降しながら諸物体に浸透していって、そのさい働きかける諸部分すべての表面積に比例する力で運び下ろすのであろう。ちょうど同量の物質が空気の姿をとって、地球内部からゆっくりと上昇することで、自然は循環をなすわけだが、この気体物質はしばしのあいだ大気を構成するにしても、下方から立ち昇ってくる新たな空気、発散気、蒸気によって絶え間なく持ち上げられ、ついにはエーテル空間へ再び消え去るのであり、たぶんそこで、ゆくゆくは性質を和らげ、希薄になって第一原理へと戻るのであろう。

 20代の頃のニュートンはエーテルに重力作用を認めるのみだったが、この書簡を書いた頃になると生命力をもたらす「水銀の精」とエーテルの統一をはかろうとしていた。「日ごとに活力を蘇らせるためのエーテル的気息とヴァイタルな醱酵素」が太陽系全体にみなぎり、天体の「食物」となっているというわけだ。

 ところが『プリンキピア』の執筆中(Dobbsは1684年8~11月の期間と推定している)、天体の運行は向心力の逆二乗法則できれいに解けることがわかり、重力を引きおこすような密度をもったエーテルが天体間に存在するなら必ず起こるはずの天体の減速が一切ないという問題にぶつかる。エーテルが天体の運行の妨げにならないほど希薄だったら重力(下降圧)を生みだすこともないだろう。ニュートンは自明のこととして受けいれていたデカルトの渦動重力理論を放棄しなければならなくなる。

 ここで登場するのが錬金術の「能動的原理」である。

 重力問題では、ニュートンは物質的・機械的原因が役立たずであることを理解しており、物質的原因との訣別を余儀なくされていた。手持ちの証拠は物質的エーテルの存在を否定していた。だが重力は作用しており、まるで諸物体のまさしく中心まで浸透しているかのごとく作用するように思えた。物体の表面かつ/または内部の諸部分の表面への作用によって摩擦抵抗となることなく、そのように浸透しうるのは霊のみであった。ピロンやリプシウスの解釈によるストア思想の文脈では、もちろんすべてに浸透する霊とは、受動的物質原理に浸透して結びつけるべく至るところで働いている能動的原理であった。神の文字どおりの偏在性に包摂された能動的原理、万物をひとつに結びつける霊的力という重力概念は、長年にわたってニュートンの役に立つことになった。ストア派の着想に間違いはなかった。しかしニュートンはそれのプラトン化版を用いた。そこでは絶対者=神は完全に非物質的であり非有形的であるが、しかしすべての浸透する存在であった。

 もっともニュートンはこうした試行錯誤は表には一切出さず、『プリンキピア』では重力がどのように働くかだけが問題で、なぜ働くかは問う必要がないという現象主義の立場を貫いている。

 意外だったのはニュートンは『プリンキピア』以後もエーテルの存在を信じつづけていたことである。ニュートンが否定したのはエーテルの重力作用だけで、生命作用の存在は依然として認めていたというのだ。

 ニュートンには宇宙空間に物質をいくらか残しておく必要があったのであり、現に宇宙エーテルを語る彼の言葉のほとんどには、明かにいくらかの残留物質の存在が読みとれる。『重力について』で彼は、すべての空間は物質に関して空っぽであるとは言わなかった。正しくは、「空っぽの空間」が存在すると言ったのであり、「エーテル空間の圧倒的大部分はエーテル粒子のあいだに散らばる空虚だ」と言ったのである。『重力について』にはいくばくかの粒子が残存しており、ニュートンは刊行された『プリンキピア』でもこの残存宇宙エーテルについて書きつづけたのであった。

 ニュートンは『プリンキピア』の原稿を王立協会に送るとすぐさま錬金術工房にもどり、1684年のハレー訪問で中断したところから実験を再開しているので、意外に思う方がおかしいのかもしれない。ニュートンがまともな科学研究をしていたのは『光学』と『プリンキピア』を執筆していた数年間だけで、それ以外は錬金炉やオカルト文書にはまっていたのである。講義はわけがわからなかったので受講者はほとんどおらず、ルーカス教授職をついだ弟子のウィストンですら講義をまともに聴いたことはなかったという。

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