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2010年11月29日

『声の文化と文字の文化』 オング (藤原書店)

声の文化と文字の文化 →bookwebで購入

 欧米で文字学が散発的な試みにとどまり学問として確立していないのはソシュールに典型的に見られるように、文字言語は音声言語の写しにすぎず、たいして重要ではないとする考えが根強いからである。文字がつけくわわったのは人類の歴史では比較的新しく、文字をもたない言語の方が圧倒的に多いこと、文字をもっている言語でも文字の読み書きができる人は最近まで少数にすぎなかったことが傍証とされている。文字があろうとなかろうと、音声言語はびくともしないというわけだ。

 しかし『プルーストとイカ』があきらかにしたように、文字の読み書きができるようになった人間は脳の構造が文字にあわせて再編成されている。文字は単なる写しどころか、人間の脳を作りかえてしまうのだ。文字を知る前と後とでは思考のありようが変わっている可能性があるのだ。

 本書は三十年近く前に出版された本だが、文字が人間の意識・文化・音声言語におよぼした決定的な影響をさまざまな角度から探っており、脳科学以前にもわかる人にはここまでわかっていたのかと驚かされる。著者のオングは16世紀に記憶術の再編成をおこなったラムスの専門家というから、文字以前と文字以後という問題意識は記憶術の関連で着想したものだろう。

 文字以前といっても、われわれはすでに文字によって汚染されているから、無文字社会や無文字時代に作られた口承文芸、文字の読み書きのできない人の観察などによってしか接近できない。

 オングが文字以前を考察する柱としているのは1930年代に中央アジアの奥地でフィールドワークしたルリアの研究と古代ギリシアの口誦文化の終焉を跡づけたハヴロックの『プラトン序説』である。

 ルリアはハンマー、のこぎり、丸太、手斧を示しグループわけしてもらったところ、読み書きのできない者は丸太だけを別グループにすることができなかったという。

 ハンマー、のこぎり、手斧が道具で、丸太が材料だということがわからないのは読み書きのできない被験者がバカだからだろうか? 被験者はルリアにこう答える。

「みんな似たり寄ったりだよ。のこぎりは丸太をひけるし、手おのだった丸太をたたき割れる。どっちか捨てろというんなら、手おのかな。のこぎりのほうがいろんな仕事ができるもんな」ハンマーも、のこぎりも、手おのも、みな道具だときかされても、かれは、そういうカテゴリーによる分類には関心を示さず、あいかわらず状況依存的な思考にこだわりつづける。「なるほどね。でもあれだよ、道具なんかあったってそれだけじゃどうしようもないぜ。やっぱり材木がなきゃはなしにならないよ」

 ルリアは被験者にカテゴリーにもとづくグループわけをなんとか教えこもうとしたが、彼らはそうした抽象的な分類には興味がなく、状況依存的というか実用本位の思考にこだわりつづけた。どちらがすぐれているかではなく、文字以前と文字以後はまったく別の世界なのである。

 書くことを内面化した人は、書くときだけでなく話すときも、文字に書くように話す。つまり、かれらは、程度のちがいはあれ、書くことができなければけっして知らなかったような思考やことばの型にしたがって、口頭の表現までも組織しているのである。文字に慣れた人びとは、口頭で組み立てられている思考が、こうした型にしたがわないという理由で、それを素朴なものと考えてきた。しかしながら、口頭による思考は、きわめて洗練されたものでもありうるし、それ独自のしかたで反省的でさえありうる。

 文字に汚染された人間は文字に汚染された言葉しか喋れなくなっている。無文字社会や無文字時代の口承文芸は繰返しと無意味な決まり文句が多いが、それを幼稚と見るのは文字以後の偏見だろう。

 カテゴリーと形式論理はアリストテレスによって確立されたが、アリストテレスが登場したのはギリシアでアルファベットが発明されてから300年ほど後のことだ。約300年の間にギリシア人はアルファベットを内面化し、文字世界にはいりこんでいった。

 アリストテレスの師であるプラトンは文字の影響力に警戒を隠さなかったし、プラトンの師であるソクラテスにいたっては文字をはっきり否定していた。本書はソクラテスとプラトンの文字批判を考察の重要な柱としているが、この二人の系譜を継ぐアリストテレスは皮肉にも文字以後の思考の基盤をすえたのである。

 アリストテレスの『詩学』は悲劇を論じているが、クライマックスに向かって一直線にのぼりつめていく構造は文字言語なくしては不可能である。悲劇は朗誦されるとはいえ、文字によって完全にコントロールされた最初の言語芸術だった。アリストテレスは文字言語による最初の文芸の理論家でもあったのである。

 とはいえ文字が本領を発揮するのは印刷が普及してからだ。本書の後半は印刷の考察にあてられているが、前半の緻密な展開にくらべてちょっと駈け足になっている印象を受けた。最後の最後に電子メディアの可能性に言及しているが、1982年という発表年を考えると言及したこと自体が慧眼といえよう。

 文明史的な問題に正面から取りくんだ堂々たる著作だが、意外に小ネタが多い。悲劇の次に登場した文字でコントロールされた文学作品はポオの「モルグ街の殺人」だとか(推理小説以前の小説はエピソードの寄せあつめで構成という概念がなかった)、索引が意味を持つようになったのは印刷以後だとか(手写本では本ごとにページ付が違うので本ごとに索引を作らなければならない)、ニュー・クリティシズムには戦うべきオールド・クリティシズムがなかった(英語の文学がアカデミズムの対象になったのはニュー・クリティシズムとほぼ同時期)とか最後までおもしろく読んだ。翻訳はこの種の本としては異例に読みやすい。

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