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2010年09月29日

『デカルトの暗号手稿』 アクゼル (早川書房)

デカルトの暗号手稿 →bookwebで購入

 デカルトがストックホルムで客死してから四半世紀がたった1676年6月1日、デカルトが最期まで手元においていた文書を秘蔵するパリのクレルスリエのもとを若きライプニッツが訪れるところから本書ははじまる。クレルスリエは独占欲が強く、それまで他人にデカルトの手稿を見せるのを拒んできたが、ハノーファー公の紹介状とライプニッツの熱心さに負けてしぶしぶ閲覧と筆写を許した。この時書きうつされた文書類の原本は後に失われ、今ではライプニッツの筆写だけで伝わるが、その中に暗号で書かれたとおぼしい『立体要素について』という覚書があった。デカルトは暗号で何を書き残したのか。

 思わせぶりなはじまり方だが、ネタバレ的なことを書いてしまうと暗号は1987年にピエール・コスターベルによって最終的に解読されている。デカルトは正四面体や正六面体、正八面体といったプラトン立体を研究し、頂点と辺と面の数の間に以下の関係がなりたつことを発見していたのだ。

頂点の数 + 面の数 - 辺の数 = 2

 デカルトはこの式がプラトン立体だけでなく、あらゆる三次元多面体で成立することに気がついた。この式は三次元空間の性質をあらわすものだったのである。

 上掲の式はオイラーの多面体定理として知られているが、デカルトはオイラーより一世紀早く多面体定理を発見していた。もし暗号にしていなかったら、デカルトはトポロジーの創始者としても歴史に名を残していたかもしれないのだ。

 なぜデカルトはせっかくの発見を暗号で隠していたのだろうか。またまたネタバレ的なことを書いてしまうと、薔薇十字団がからんでいたというのが本書の結論である。

 薔薇十字団というとトンデモ本のたぐいかと警戒する人がいるかもしれないが、本書は著者の思いこみを垂れ流したたぐいの本ではない。著者のアクゼルは『天才数学者が挑んだ最大の難問』や『偶然の確率』、『フーコーの振り子』で知られる科学ライターで、オカルト畑の人ではない。デカルトと薔薇十字団の関係については賛否両論かまびすしかったが、近年の研究では関係があったことはほぼ確からしい。アクゼルはエドゥアール・メール、リチャード・ワトソン、クルト・ハヴァリチェクらの研究を手がかりに、薔薇十字団との関係という視点からデカルトの生涯を描いている。

 鍵となるのはファウルハーバーというウルム生まれの数学者である。彼は織物職人ながら算術教室を開き、ウルム市の数学者兼測量士に抜擢されるが、要塞や水車の設計にすぐれていたが、ドイツ遍歴時代のデカルトは彼と親交を結び共同研究までしていた(ロディス=レヴィス『デカルト伝』にも出てくる)。

 ファウルハーバーは錬金術に手を染め、薔薇十字団にも関係していたことがわかっている。彼は著書の中でポピュリオスというライプニッツが筆写した手稿の中にしか出てこないデカルトの偽名に言及しているし、デカルトの方は彼から教えられたらしい秘密の記号を手稿の中で使っている。

 驚いたのはウルム人脈経由でデカルトはケプラーと出会っていた可能性があることだ。本当に出会っていたなら、なぜ書き残さなかったのだろう(ガリレイに会えなかったことは書き残している)。

 本書でもう一つ興味深いのはデカルトに対するライプニッツの愛憎半ばする思いである。ライプニッツはデカルトの公刊本だけではあきたらず『精神指導の規則』のオリジナル原稿を購入したり、クレルスリエを訪ねて未公開手稿を見せてもらったり、エリーザベト王女の妹がハノーファー公妃となるとその縁で晩年のエリーザベト王女と文通しているが、その一方、マルブランシュにデカルトをこきおろした辛辣な書簡を送ったりもしている。

 デカルトに屈折した関心をつのらせるようになったのはニュートンとの微積分の優先権争いが影響しているようだ。ライプニッツは独力で微積分をあみだしたのにニュートンをパクったようにいわれたのがこたえ、他人の影響に神経過敏になっていたらしい。ライプニッツがもっとも影響を受けたのはデカルトであるから、デカルトのすべてを知っておかないと不安で仕方なかったのだろう。

 実はライプニッツはデカルトの暗号を解いていたことがわかっている。ライプニッツは16ページある『立体要素について』を1ページ半写しただけでやめ、余白に短いメモを書き残している。暗号を解いたコンスターブルはそのメモを根拠にライプニッツが途中でやめたのは暗号が解けてそれ以上筆写する必要がなかったからだとしている。ライプニッツがパクリ不安にとりつかれていなかったら、デカルトの秘められた発見を発表していたかもしれない。

 デカルトの業績が世に出る機会はもう一回あった。決定版の伝記を書いたバイエはライプニッツがデカルトの手稿を筆写していたと聞き、内容を問い合せていたのだ。ライプニッツは内容を解説してやったが、バイエは数学がわからないので理解できず伝記にはライプニッツへの謝辞だけが書かれているという。

 本書は薔薇十字団に偏りすぎているとはいえデカルトの伝記としてよくまとまっている。ロディス=レヴィスまでは手がでないが手っとり早く最新のデカルト像を知りたいなら本書をお勧めする。

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