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2010年04月29日

『人類史のなかの定住革命』 西田正規 (講談社学術文庫)

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 縄文時代を人類学の視点から研究してきた碩学による論集である。原著は1986年に出たが、2006年に講談社学術文庫にはいっている。松木武彦氏の『進化考古学の大冒険』でも大きくあつかわれていたが、有名な本らしく、おもしろくて一気に読んでしまった。

 おりおりに書かれたエッセイや論文を集めた本なのでスタイルはさまざまだが、三つの部分にわけることができる。

 第一章「定住革命」から第二章「遊動と定住の人類史」、第三章「狩猟民の人類史」、第四章「中緯度森林帯の定住民」、第五章「歴史静態人類学の考え方」までは定住革命に関する論考。第六章「島浜村の四季」と第七章「「ゴミ」が語る縄文の生活」、第八章「縄文時代の人間―植物関係」は西田氏がフィールドにした福井県島浜村の縄文遺跡を手がかりにした縄文論。第九章「手型動物の頂点に立つ人類」と第十章「家族・分配・言語の出現」は書下ろしの人類起源論であり、定住革命のエピソード1である。

 巻頭に置かれた「定住革命」はコロンブスの卵というか、みごとな価値転換をおこなった目の醒めるような論考だ。下手な要約をするより西田氏の水際だった文章を引こう。

 定住化の過程について、それを支えた経済的基盤は何であったかとのみ問う発想の背景には、遊動生活者が遊動するのは、定住生活の維持に十分な経済力を持たないからであり、だから定住できなかったのだ、という見方が隠されている。すなわちここには、遊動生活者が定住生活を望むのは、あたかも当然であるかのような思いこみが潜んでいるのである。
 だが考えてもみよ。人類は、長く続いた遊動生活の伝統のなかで、ヒト以前の遠い祖先からホモ・サピエンスまで進化してきたのである。とすれば、この間に人類が獲得してきた肉体的、心理的、社会的能力や行動様式は遊動生活にこそ適したものであったと予想することもできる。そのような人類が遊動生活を捨てて定住することになったのである。とすれば、定住生活は、むしろ遊動生活を維持することが破綻した結果として出現したのだ、という視点が成立する。

 まさにその通りだろう。遊動生活に適応するように進化してきた人類にとって定住は幸福な生活どころかストレスであり、そのストレスを緩和するために発明されたのが文明だと西田氏はたたみかける。

 定住苦痛論は二章以下で周到に肉づけされている。わたしは素人なので一々の当否はわからないが、どれも十分説得力があるように読んだ。

 つづく島浜村遺跡を中心とする縄文論は交響曲でいえば緩徐楽章で、怒濤の展開の後にほっと息がつける。

 中休みの後、ふたたび怒濤の展開がはじまる。今度は動物の進化史全般を背景にした人類起源論である。

 西田氏はルロワ=グーランの示唆を受けて動物を手型動物と口型動物にわける。口型動物は霊長類以外のほとんどの動物で、攻撃・採食・餌の運搬・育児・身体清掃・毛づくろいを口でおこなう。もちろん、哺乳類だけでなく魚類、両生類、爬虫類、鳥類も口型動物である。

 それに対して手型動物というか霊長類はこうした作業を口だけでなく、手でもおこなう。霊長類の中でも原猿類やサル類は口を使う比率が高いが、類人猿ではより手を使うようになり、人類にいたって手の使用が頂点に達するというわけだ。

 人類が脳を巨大化できたのは頭を振りまわさなくてもよくなったからだという指摘は意表をつかれた。脳が重くなると頭を動かしにくくなるだけでない。頭を激しく動かすと脳が損傷を受けるのだ。脳は豆腐のように軟らかで、壊れやすいのである。

 手型動物となった人類は漸新世以降大型化してきたヒヒなどオナガザル類に対抗するために石や棍棒を持ち歩いたと著者は推定する。初期人類はヒヒと同じくらいの大きさで、生活圏が重なるヒヒと競合関係にあったらしい。

 ちょうどいい石や棍棒はどこにでも転がっているわけではないから、持ち歩くしかない。加工をくわえたとなれば、なおさらだ。石は肉食獣の食べ残しの骨を砕くのに、棍棒は地中の根や昆虫を掘りおこすのに使うが、振りまわせば武器になる。石と棍棒という得物が初期人類と他の動物の関係を変えただろうと著者はいう。

 だが、武器は他の動物に対してだけでなく、仲間に対しても使うことができる。石や棍棒は鋭利な犬歯以上の凶器となる。石と棍棒を持ち歩くようになった初期人類は集団内に危険をかかえこんでしまったのだ。

 著者は人類が言語を発達させたのは仲間どうしの殺しあいを避けるためではないかと空想する。

 人類は、満身の怒りを言葉に託し、それを投げつけて、暴力を回避することができる。「口より先に手が出る」ということがあるが、多くは口のけんかで済ますことができるのである。そんためにぜひとも必要な言葉は、アホ、バカ、マヌケ、カス、ボケナス、シニソコナイといった類のものである。……中略……棍棒や石を持ち歩き、大きな破壊力を手にした人類社会が発達させたであろう原初的な言語は、現代のわれわれの言語活動になぞらえて言うなら、挨拶やムダ話、罵倒や非難などの場面で使う「安全保障のための言語」活動であっただろう。

 ダンパーは霊長類の毛づくろいは集団を維持する上で不可欠なコミュニケーションであり、ヒトの言語は毛づくろいコミュニケーションの延長で発達したという説を唱えたが(『ことばの起源』)、西田氏のアホ、バカ、マヌケが言語の起源だという説はその先を行っており、まさにコロンブスの卵である。

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