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2010年01月29日

『ナボコフ伝 ロシア時代』1&2 ボイド (みすず書房)

ナボコフ伝 ロシア時代
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 『群像』11月号のナボコフ特集は泥臭い文芸誌とは思えない充実ぶりだった。名のみ知られていた初期短編「ナターシャ」の翻訳もよかったが、一番の収穫はナボコフ研究の第一人者、ブライアン・ボイド氏の「ナボコフの遺産」という文章である。

 大作家の遺族とのつきあいは難しいものだが、ボイド氏は博士論文を送ったのが縁でヴェーラ夫人にナボコフが暮らしたモントルーのホテルに招かれ、厖大な資料の整理をまかされるようになる。

 『ロリータ』の成功で巨額の印税がはいるようになったナボコフはレマン湖に臨む高級ホテルのスイートルームを五室借りあげ、そのうちの一室を「物置部屋」にしていたが、亡くなった後も「物置部屋」はそのままにされていた。ボイド氏は「物置部屋」で総重量一トンはあろうという資料の整理にあたる一方、税金対策のために50年間公開禁止という条件でアメリカ議会図書館に寄贈されていたナボコフ関連文書にアクセスすることも許された。ボイド氏はヴェーラ夫人の信頼にこたえ、ついには公認の伝記を書く許可をもらうまでになる。

 「ナボコフの遺産」はボイド氏の研究者としての成長とともに新発見のときめきがつづられた好文章で、ボイド氏の名を一躍世界に知らしめた『ナボコフ伝』が俄然読みたくなった。

 ボイド氏の『ナボコフ伝』は「ロシア時代篇」と「アメリカ時代篇」にわかれているが、日本では前半の「ロシア時代篇」のみが上下二巻本で翻訳されている。前半だけといっても、英語圏の学者の書いた伝記だけに本文は上下二段組で660ページ、それに原注が65ページつくという大冊である。

 わたしは構造批評の洗礼を受けた世代なので、正直言うと作家の伝記には抵抗がある。ナボコフの作品は完成度が高いので伝記を読んでも作品を読む妨げにはならないだろうと理屈をつけて読みはじめたが、すぐに引きこまれた。訳文が明快ですらすら読めたということも大きい。

 ナボコフには『記憶よ、語れ』という哀切な美しさに満ちた回想録の傑作があるが、思いつくままの回想なので話が前後するし、時代背景などナボコフ本人にとって言わずもがなのことは書かれていない。記憶の間違いや故意の言い落としや謙遜、歪曲もある。本書を読んでようやく『記憶よ、語れ』の全体像が見えてきた。

 ナボコフの父親(名前が同じウラジーミルなので、本書では「V.D.ナボコフ」と表記)がリベラルな政治家だったことは『記憶よ、語れ』にもふれられていたが、想像していたよりもはるかに大物だった。立憲民主党カデットの幹部で、二月革命までは言論人として重きをなしたが、革命後臨時政府ができると入閣し、ミハイル大公の皇位継承放棄の詔書を起草するなど重要な役割を果たしている。

 十月革命が起こるとクリミアに逃れて当地の臨時政府の閣僚となったが、結局、亡命を選ぶ。貴族の中には情勢の悪化を見越して、預金を海外に移すものがすくなくなかったが、ナボコフの父親は愛国者だったので資金移動を潔しとせず、そのため亡命後、ナボコフ家は経済的に逼迫することになる。

 ナボコフ家はいったんはロンドンにおちつくが、一家は奨学金でケンブリッジに入学した二人の息子を英国に残し、すぐにベルリンに移る。白軍の壊滅後、百万人を越える亡命者がロシアを後にしたが、その多くは物価の安かったベルリンに流入し、ベルリンは亡命ロシア人の中心都市になっていたからである。

 亡命者の多くは教育を受けた知識人だったから、ベルリンはペテルスブルクやモスクワをしのぐロシア文化の中心地となった。1920年代前半、名のある作家や芸術家の多くはベルリンに居を定めており、なんと86ものロシア語の出版社が鎬を削り、ベルリンで発行された本や雑誌、新聞はアメリカやアジアなど世界中でロシア人亡命者に読まれていたという。

 ナボコフの父親は「舵」という新聞を創刊して亡命ロシアの文化的指導者となり、立憲民主党カデットの活動を再開したが、ここで悲劇が起こる。立憲民主党カデットの創設者、ミリュコーフの歓迎会でミリューコフを襲った狂信的王党派の暗殺者を押しとどめようとして落命する。

 父を喪った日のナボコフの長文の日記が引用されているが、これだけで一つの文学作品になっている。

 ケンブリッジ卒業後、ナボコフはベルリンにもどり銀行に就職するが、わずか三時間で退職してしまう。以後、定職に就かず、ロシア語の家庭教師やテニスのコーチ、果樹園の労働者などの職を転々としながら詩と小説を書きつづけて、亡命ロシア人作家として実績を積み重ねていく。

 定職に就かなかったために、ケンブリッジのルームメイトで反ユダヤ主義者のミハイル・カラシニコフの従妹との婚約は破棄されてしまうが、すぐに別の出会いがある。生涯の伴侶となったヴェーラ夫人である。

 ヴェーラ夫人はユダヤ系ロシア人だったために、ナチスが台頭してくるとヨーロッパにいては危険になる。貧乏暮らしをつづけていたナボコフにはアメリカに渡航する費用は用意できなかったが、ナボコフの父親が反ユダヤ主義に果敢に反対したことを憶えていたユダヤ人組織の指導者のはからいと募金で一家は1940年5月、危ういところでフランスを出国する。「ロシア時代篇」はここで終わる。

 下巻には『ディフェンス』と『賜物』についてのまとまった批評があり、勉強になった。『ディフェンス』はあまりいいとは思わなかったが、読みが足りなかったのかもしれない。

 「アメリカ時代篇」が読みたいので原書を注文しようとしたら絶版だった。「アメリカ時代篇」の一日も早い邦訳を願う。


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