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2009年12月30日

『西洋哲学史』上 熊野純彦 (岩波書店)
『西洋哲学史』下 熊野純彦 (岩波書店)

西洋哲学史 上巻
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西洋哲学史 下巻
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 ヘーゲルは『哲学史講義』の最初の部分で哲学史は単なる私見の陳列室であってはならず、発展する体系でなければならないと述べているが、ヘーゲル的な絶対精神が説得力を持たなくなった今日、発展ストーリーで整理する方がおかしくはないだろうか。

 哲学史ではヒュームの懐疑論に答えるためにカントが超越論哲学を編みだしたとか、カントの二元論を克服するためにフィヒテ、シェリングをへてヘーゲルが登場したというようなストリーが語られるが、ヒュームの提起した問題は本当にカントによって解決されたのだろうか。ヘーゲルの弁証法はカントの二元論を止揚したのだろうか。すくなくともカントによってヒュームが不要になったわけでも、ヘーゲルによってカントを読む意味がなくなったわけではないだろう。

 そもそも哲学の発展などということがありうるのだろうか。もし発展がないなら、歴史上の学説を陳列しただけの哲学史こそが望ましいのではないか。

 熊野純彦氏の『西洋哲学史』を読みながら、そのような疑問が頭に浮かんだ。

 急いでお断りしておくが、熊野氏は哲学には発展はないなどという暴論を主張しているわけではない。熊野氏の本はいい意味で陳列室的な哲学史なので、私が勝手に上記のような妄想をめぐらしただけである。

 熊野本が陳列室的だというのは二つの理由による。まず、新書判で上下巻あわせて500ページという限られた分量なのに、50人近い哲学者を原典のさわりを引用しながら紹介している点。

 概念的な説明だけだったら発展しているように見えたかもしれないが、原典の引用が並ぶと、それぞれが哲学史上の名だたる本だけに存在感が強烈で、とても発展の図式にはおさまりきらないのである。

 第二に学説の紹介にあたり、同時代の文脈から説明するだけでなく、時代を越えた反響にまでふれている点。

 ヘラクレイトスの条ではヘーゲルのヘラクレイトス解釈が引かれているし、古代原子論の提出した真空の問題ではデカルトとガッサンディの真空論争が言及されている。アンセルムスの神の存在論的証明ではデカルトやカント、ヘーゲルだけでなく、フレーゲの二階述語論理まで呼びだされる。ドゥンス・スコトゥスでは「想像的誤読」と断った上でだが、ドゥルーズの存在の一義性をめぐる議論が紹介されている。

 熊野本は一見バランスのとれた優等生的な哲学史に見えるが、中味を読んでみるとスリリングな刺激的な本である。

 ここで目次を紹介しよう。まず、上巻。

古代から中世へ

第1章 哲学の始原へ
タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
第2章 ハルモニアへ
ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
第3章 存在の思考へ
パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
第4章 四大と原子論
エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
第5章 知者と愛知者
ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス
第6章 イデアと世界
プラトン
第7章 自然のロゴス
アリストテレス
第8章 生と死の技法
ストア派の哲学者群像
第9章 古代の懐疑論
メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義
第10章 一者の思考へ
フィロン、プロティノス、プロクロス
第11章 神という真理
アウグスティヌス
第12章 一、善、永遠
ボエティウス
第13章 神性への道程
偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス
第14章 哲学と神学と
トマス・アクィナス
第15章 神の絶対性へ
スコトゥス、オッカム、デカルト

 「ハルモニアへ」では万物流転はミレトス学派の共通の前提だという指摘がある。「知者と愛知者」ではソクラテスは「無知の知」を主張したことはなく、そもそも「無知の知」は論理的におかしいという見方が有力だとある。「生と死の技法」ではストア派の論理学の現代性にふれている。

 「古代の懐疑論」はあまりとりあげられることのないマイナーな哲学者の話で面白かった。「神という真理」ではデカルトの方法的懐疑の原型がアウグスティヌスにすでにあると指摘し、さらに時間論について踏みこんだ解説をくわえている。

 「一、善、永遠」はボエティウスを詳しく紹介していて、上巻では一番面白かった。「哲学と神学と」はトマス・アクィナスをあつかった章だが、アリストテレスの『霊魂論』の能動知性説をめぐる論争が興味深かった。「神の絶対性へ」ではオッカムよりもスコトゥスを大きくとりあげている。最近はスコトゥスの方が評価が高いようである。

 次は下巻である。

近代から現代へ

第1章 自己の根底へ
デカルト
第2章 近代形而上学
スアレス、マールブランシュ、スピノザ
第3章 経験論の形成
ロック
第4章 知識への反逆
バークリー
第5章 モナド論の夢
ライプニッツ
第6章 経験論の臨界
ヒューム
第7章 理性の深淵へ
カント
第8章 言語論の展開
コンディヤック、ルソー、ヘルダー
第9章 自我のゆくえ
マイモン、フィヒテ、シェリング
第10章 同一性と差異
ヘーゲル
第11章 批判知の起源
ヘーゲル左派、マルクス、ニーチェ
第12章 理念的な次元
ロッツェ、新カント学派、フレーゲ
第13章 生命論の成立
ベルクソン
第14章 現象の地平へ
フッサール
第15章 語りえぬもの
ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス

 「経験論の形成」ではロックの想定した論敵はデカルトではなく、ケンブリッジ・プラトン主義者だったという指摘し、生得観念やタブラ・ラサ説に話をつなげている。「モナド論の夢」ではライプニッツと易経の関係までふれている。

 「知識への反逆」はバークリー論だが、下巻ではここが一番面白かった。「経験論の臨界」ではドゥルーズのヒューム解釈が俎上に載せられている。

 「言語論の展開」は啓蒙主義時代をあつかうが、よくある百科全書とか英国かぶれといった視点ではなく、当時流行した言語起源論という視点が新鮮だ。バークリー論とともに下巻の白眉だろう。

 「自我の行方」はフィヒテとシェリングをあつかった章だが、この両所よりもマイモンというリトワニア出身のユダヤ人哲学者の方に紙幅をさいている。ドイツ観念論という難物をあつかうにしては分量が短すぎて何がなんだかわからない。もっと詳しい解説が読みたい。

 「理念的な次元」はフレーゲの数学基礎論の仕事にふれている。最後の章の「語りえぬもの」ではハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスにくわえてデリダまで出てくるが、この長さでは無茶である。

→上巻

→下巻

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