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2009年11月29日

『漢字廃止で韓国に何が起きたか』 呉善花 (PHP新書)

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 幕末から1980年代まで漢字廃止運動という妖怪が日本を跋扈していた。戦前は「我が国語文章界が、依然支那の下にへたばり付いて居るとは情けない次第」(上田萬年)というアジア蔑視をともなう近代化ナショナリズムが、戦後は漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話(実際は陸軍は漢字削減派だった)が運動のエネルギー源となり、実業界の資金援助を受けてさまざまな実験がおこなわれた(キーボードのJISカナ配列はその名残である)。

 1946年に告示された1850字の漢字表が「当用」漢字表と呼ばれたのも、いきなり漢字を全廃すると混乱が起こるので「当面用いる」漢字を決めたということであって、あくまで漢字廃止の一段階にすぎなかった。

 当用漢字表の実験によって漢字廃止が不可能だという認識が広まり、1965年に国語審議会は漢字仮名交じり文を認める決定をおこなったが、漢字廃止派はこの決定を正式の文書にすることに徹底抗戦して会長談話にとどめた。

 不可能だとわかりきっているのに漢字廃止運動が注目されつづけたのは書類作成の非効率のためだった。契約書などの正式な文書は和文タイプで作成されたが、英文タイプと違い和文タイプは時間がかかり間違いが多い上に、習得に桁違いの根気を要した。日本語ワープロが普及すると書類作成の困難は解決し、漢字廃止運動は自然消滅していった。

 今でも漢字廃止を主張しつづけている人はいるが、わたしの見るところ、おおよそ三つの類型に分類できる。

  1. 引っ込みがつかなくなって意地を張っている人
  2. 漢字は視覚障碍者差別だと思いこんでいる人
  3. 韓国で漢字廃止が成功したから日本でも可能だと考えている人

 最初の二類型には何をいってもはじまらない。問題は第三の類型である。日本語と韓国語は文法がよく似ている上に、中国文化の圧倒的な影響下で発展したという歴史も共通している。韓国で漢字廃止が成功したのだから日本でもという主張には一定の説得力があるだろう。

 そこで本書である。著者によると漢字廃止は成功どころか、韓国の文化に致命的な打撃をあたえているという。

 韓国語では一般的な語彙の70%が漢語由来で、専門的な文書では90%以上になるということだが、ハングル表記では同音異義語を区別できない。たとえば韓国語で「チョン」と発音する漢字は全、田、前、典、専、展、電、伝、戦、転、詮など150余もあり、電気、戦記、前期、全期、転機、伝記、転記などがすべて 전기 というハングル表記になってしまうのだ。

 日本語と韓国語の音韻構造は相当違う。現代日本語の音節の種類は300前後だが、現代韓国語では2500から3000種類の音節が使われている。韓国語は音節の種類が日本語の十倍近くあるので、韓国語では同音異義語の問題は日本語ほど深刻ではないのだろうと思っていたが、本書によると違うようである。

 単純に考えれば韓国語の同音異義語は日本語より一桁少なくてもいいわけだが、漢語由来の外来語という点が原因かもしれない。ハングル・ナショナリストはハングルを世界で最もすぐれた文字と頑張っているが、ハングルはあくまで韓国語を表記するために作られたので、rとlの区別がないなど韓国語の音韻構造に密着しており、中国語を完全に表記することはできない。もちろん、四声の区別もない。北京語では全はquan2、田はtian2、前はqian2、典はdian3、専はzhuan1、電はdian4、伝はchuan2、戦はzhan4……と発音が異なるが、韓国語ではすべて 전 に丸められてしまっている。これでは日本語と大差ない。

 同音異義語を避けるには漢語由来の概念語に相当する造語を増やしていくことが考えられ、一部でその試みもあったが、ほとんど普及していないという。アルファベット文化圏では同音異義語がなるべく出来ないように語彙体系が発達し、同音異義語が出来てしまった場合は night と knight のように綴りで区別する工夫がとられてきたが、韓国語は千年以上かけて積みあげらてきた漢語由来の概念語をかかえたまま漢字廃止に突き進んだのだ。

 意外に影響が大きかったのは類推が効かないことだという。専門外の人間でも「素粒子」とあれば素になる粒子、「利潤」とあれば利で潤うことだろうとおおよその意味をとることができるが、発音情報だけではちんぷんかんぷんの外国語になってしまう。そのためハングル専用世代の韓国人は難しい文章や専門外の文章を読まなくなっているという。

 日本の漢字廃止論者は漢字は知識の普及を妨げたと主張するが、事実は逆である。多くの国では英語を勉強しないと高度な知識を身につけられないので、エリートと非エリートの格差が広がったが、日本では漢字のおかげで日本語のまま高度な知識を日本語のまま吸収することができ、専門外の話題にもついていくことができる。日本の近代化は漢字のおかげだといって過言ではないが、本書を読むと漢字のありがたさを再認識する。

 本書は類書のない興味深い内容であるが、問題がないわけではない。本書で漢字廃止の問題をあつかっているのは前半の「漢字廃止・ハングル専用政策の災禍」だけで、これは『「反日」を捨てる韓国』(2000年、PHP)からの再録である。後半の「韓国の言いまわし」と「韓国のことわざ」は『濃縮パック コリアン・カルチャー』(2003年、三交社)所収のエッセイの再録で、漢字廃止とは関係ない。

 推測だが、編集部は「漢字廃止・ハングル専用政策の災禍」を発展させた書下ろし原稿をもとめたのに対し、著者は応えることができず、既発表の文章の再録というかたちでお茶を濁すことになったのではないか。

 著者が2000年発表の文章を深めることができなかったのは時間的な問題もあるかもしれないが、言語学と文字学の知識が欠落している点が決定的だったと思う。現在の文字学では本書のような表音文字と表意文字を対立させる観点はすでに克服されており、著者を戸惑わせた言語学専攻の大学院生の幼稚な反論も簡単につぶすことができる。本書は重要な着眼を含んでいるので、クルマスの『Writing Systems』あたりを勉強してからもう一度挑戦してほしい。

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2009年11月28日

『文字史の構想』 杉本つとむ (萱原書房)

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 国語学者で語源と異体字の研究で著名な杉本つとむ氏が多年にわたって書きためた文字学に関する論文をまとめた本である。杉本氏には本欄でもとりあげた『漢字百珍』という好著があるが、文字学の本は意外にも本書がはじめてだそうである。

 本書は第Ⅰ篇「漢字・仮字の本質を考える」と第Ⅱ篇「漢字はどう研究されたか」の二部にわかれる。

 第Ⅰ篇「漢字・仮字の本質を考える」は理論篇で、日本における漢字受容史と異体字、宛字、仮名を考察した論文が集められている。

 長年、文字を研究してきた碩学だけに興味深い事例がふんだんに登場し、貴重な図版も多数収録されていて勉強になったが、理論的考察となるとどうだろうか。著者には江戸の本草学を紹介した『江戸の博物学者』というすぐれた本があるが、博物学的な観察こそが著者の本領ではないかという気がする。

 片仮名と平仮名がどう違うかを論じた「漢字周辺文字としての<かな>」と「カタカナの本質と位置」は興味深かった。同様の問題は網野善彦氏が『日本論の視座』の第五章「日本の文字社会の特質」で考察しているので、あわせて読むといいだろう。

 第Ⅱ篇「漢字はどう研究されたか」はおもしろかった。異体字関係では必ず名前が出てくる『干禄字書』、新井白石『同文通考』をはじめとして、太宰春臺の一連の漢字研究、山本格安『和字正俗通』、狩谷棭斎と松崎慊堂の学問の交流、吉利支丹版の漢和辞典『落葉集』のライデン大学所蔵本を論じた文章が集められている。

 白石の『同文通考』は日本の文字研究の嚆矢とされる有名な本だが、版本として刊行されるまでに焼却されかかるなどの曲折があったとは知らなかった。

 『落葉集』については『落葉集』自体の重要性もさることながら、同書を世に知らせたアーネスト・サトウの『日本耶蘇会刊行書誌』の書影の捏造疑惑が出てきたという条には驚いた。

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2009年11月27日

『国字の位相と展開』 笹原宏之 (三省堂)

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 ソシュールが文字を研究対象からはずすと宣言したことに代表されるように、言語学では文字はまま子あつかいされてきた。欧米の言語学の移入からはじまった日本の国語学(最近は「日本語学」と呼ぶようであるが)もそうである。

 言語とはまず音声であり、文字は音声のコピーにすぎなかった。漢字は音声のコピーですらないと考えられていたので、能率を求める近代社会の要請を背景に、無視どころか積極的な排撃の対象となった。いわゆる漢字廃止論である。国語学の世界では長いあいだ漢字廃止論者が一大勢力を誇っていた。

 音声に密着したカナ文字については日本語表記論として長い研究史がある。中国の漢字については紀元前にさかのぼる漢字学の伝統と二十世紀になって発見された甲骨文字学によって体系的な解明が進んでいる。だが、日本で作られた漢字となるとかえりみられることはあまりなかった。

 日本製の漢字を「国字」というが、国字は散発的にとりあげられるのみで、組織的な研究はおこなわれてこなかったといってよい。唯一の例外はエツコ・オバタ・ライマン氏の『日本人の作った漢字』だが、範囲がほとんど地名・人名に限られていたので、国字の多様なありようを網羅したとはいえない。

 本書は国字をはじめて体系的かつ実証的に考察した画期的な研究であり、2007年度の金田一京助博士記念賞を受賞している。

 著者は本書の前年に岩波新書から『日本の漢字』を上梓している。『日本の漢字』は本書にいたる研究の成果から一般の読者が興味をもちそうな話題を選んで平明に書き下ろしたものなので、本書と重なっている部分がかなりあるが、記述の精度と深さは比較にならない。

 本書は三部にわかれる。

 第一部「国字とは何か」ではまず国字の研究史をふりかえり、どのように呼ばれてきたかを概観している。作字、倭字、倭俗ノ制字、俗の作り字といった呼称を見ていくと、国語の最前線に位置する文字だということがわかる。

 次ぎにその字が国字かどうかという判定手続が考察されている。中国で使われていないといっても、かつて中国で使われていた字が日本で残ったという逸存字の可能性があるのである。中国にすでにある字と同じデザインの字をたまたま作ってしまったという字体衝突のケースもある(たとえば「鮎」は中国ではナマズをあらわす字である)。

 第一部の圧巻はダニという字を例に国字誕生のメカニズムの追った条で、崩し字を新しい字と誤認したことにはじまり、ついに中国の字書に載るまでを追っている。

 第二部「国字の位相」では社会の一部でのみ使われる国字を「個人文字」、「地域文字」、「位相文字」の三つのケースにわけて考察している。新造字には広く使われて国字となるか、まったく使われなくなるかという両端の間に、限られた範囲でのみつかわれるという中間段階がある。「個人文字」と「地域文字」は説明するまでもあるまい。「位相文字」は特定集団でのみ使われる文字をさす。江戸時代に職業集団が細分化・多様化するとともに漢字表記の機会が増加した結果、位相文字が増えたという。中間段階で安定している字は意外に多く、これが国字の文化に奥行をあたえている。

 第三部「国字の展開」は個人の作った文字が全国区の文字に成長していく過程を実証的に跡づけており、よくここまで調べあげたものだと嘆息した。ケーススタディの対象となっているのは林術斎が作り永井荷風が作品の題名に用いた「濹」と、蘭方医宇田川榛斎が作って解剖用語として社会に定着した「腺」と「膵」(「腺」は中国でも公認の文字となっている。)、明治になりメートル法の導入の際に作られた「粍」、「糎」である。

 最後の章は「コンピュータにかかわる展開」で、著者自身が制定にかかわったJIS漢字コードの顚末が語られている。

 本書は学術書だが、語り口は驚くほど平明で、ずるずる読みつづけてしまう。漢字に興味のある人は読んでおいて損はない。

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