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2009年10月30日

『なぜ私は生きているか』 フロマートカ (新教出版社)

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 佐藤優氏が私淑するチェコの神学者、ヨゼフ・ルクル・フロマートカの自伝である。佐藤氏自身が翻訳しているが、佐藤氏の本のようにすらすら読めるわけではない。本文わずか140ページだが、読みきるのに三日かかった。

 本書が読みにくいにはいくつか理由がある。

 まず第一にチェコの歴史・地理を知っている読者向けに書かれていることである。わたしは本文から読みはじめたが、いきなりプロテスタントが山の中に立て籠もる話が出てきて面食らった。よほどチェコに詳しい人でない限り、まず巻末の解説を熟読した上で本文にかかった方がいい。

 第二に自伝とは言い条、具体的な話があまり出てこないこと。生い立ちと経歴にふれているのは最初の30ページだけで、それ以降は抽象的な時代分析に終始している。まるで牧師の説教のようなのだ。

 第三に「プラハの春」に向かう時期に書かれたとはいえ、共産党政権とソ連に対して非常に気をつかった書き方になっていること。留保に留保をかさね何重にも逃げをうっているので、読んでいて苛々してくる。

 たとえば、第二次大戦後のソ連による東欧侵略についてはこう書かれている。

 東ヨーロッパすなわちソ連とのチェコスロバキアの同盟は、私見によるならば、戦前の過ち、戦争の惨禍の不可避の結果であり、ソ連で実現した社会革命の到達目標であった。大戦中のソ連国民の惨禍は筆舌につくし難い。ソ連国民の犠牲者は数えきれないほどである。戦間期にソ連が国際社会から排除されていたことを忘れてはならない。新秩序建設におけるソ連の権利は、ソ連国民が血で払った勝利に基づいている。ソ連は戦争を強いられ、またソ連のエルベ川への進撃は、支配をもくろむ攻撃的傾向から生じたのではなく、生死を賭けた闘争の結果である。さらに、最も困難な危機の際に、チェコスロバキア国民は西欧諸国から見捨てられ、ナチス・ドイツの手に渡されたことを忘れることはできない。

 「支配をもくろむ攻撃的傾向から生じたのではなく」などと書いてあると、バルト併合やポーランド分割はどうなのだと茶々をいれたくなるが、もちろん、フロマートカはそんなことは百も承知のはずである。こういう書き方しかできなかったということはわかるが、それにしてもソ連に気を使いすぎではないか。「赤い神学者」という批判ももっともかと思わないではない。

 真意のとりにくい折れ曲がった文章をたどるのは気分が滅入るが、我慢して読みすすんでいくと、二枚腰のつよさがだんだんとわかってくる。ソ連に迎合しているのは表面だけで、その下には不屈の精神が底光りしているのである。フロマートカはキリスト教のめざすものと共産主義のめざすものは同じであり、キリスト教がやるべきことを怠っていたから共産主義が代わりにやったとくりかえすが、これは迎合すると見せかけて共産主義をキリスト教に呑みこもうとしているのではないか。そう考えると、次の条などは感動的だ。

 教会は、常に動いている信徒の共同体であり、そして信徒は聖なる慈愛に満ちた神に向かってへりくだって行くのである。教会は、人間の強さと弱さのすべての中で、喜びと絶望の中で、人間を忘れたことは決してない。このことによってわれわれは、無防備なところからわれわれを十字架の陰へと導いて下さる方が最終的勝利者であり、今後も最終的勝利者であることを信じることができるのである。

 神学のことはわからないが、共産主義政権と妥協しながらも信念を貫こうとした学究がここにいるということは感得できる。

 こういう人がどんなドストエフスキー論を書いたのだろうか。読んでみたいものである。

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