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2009年10月20日

『ライオンブックス(5)』 手塚治虫 (講談社)

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 講談社全集版では「ライオンブックス」シリーズ第五巻として収録されているが、中味は1971年に「少年ジャンプ」に連載された『百物語』である。

 手塚治虫はゲーテの『ファウスト』を三度漫画化したが、『百物語』は二度目にあたる。舞台は江戸時代の東北地方に移され、主人公のファウストは一塁半里という下級武士、メフィストフェレスは娘に化けた妖狐として登場する。一塁半里という名前ははハインリヒ(半里)・ファースト(一塁)の語呂合わせで、変身後は不破臼人ファウストと名乗るようになる。完全に時代劇に換骨奪胎されていて、作品の完成度は三つの中では一番高い。

 物語は勘定方の下っ端の一塁半里がお家騒動に巻きこまれ、切腹させられるところからはじまる。一塁は武士とはいっても剣術はさっぱりの意気地なしで、死ぬのが怖くてたまらず、風神の屏風に「死なないでいいんならタマシイを売ってもいいからよォ」と愚痴る。

 それを聞いていたむく犬が切腹の場に駆けこんでくる。むく犬は一瞬狐の正体をあらわしたかと思うと妖艶な娘の姿をとり、スダマと名乗る。スダマはタマシイとひきかえに三つの願いをかなえてやろうと一塁にもちかける。

 切腹しないですむのだから否も応もない。一塁は「たっぷり人生を楽しむ」、「天下の美女を手にいれる」、「一国一城のアルジになる」ことを条件にタマシイを売る契約を結ぶ。

 あわやのところで命拾いした一塁はイケメンに変身し、不破臼人と名前を変えるが、剣術は弱いままだ。スダマに苦情をいうが、三つの願いに「強くなる」を入れなかったのが悪いと突き放される。

 実の娘に恋されたり、恐山に巣くう玉藻前という女妖怪に精を抜かれそうになったりと不破はバカをくりかえすが、いざかなってしまうと欲望は虚しい。彼は努力をして剣術を修行するようになり、人間的に成長していく。スダマはそんな不破に引かれるようになる。

 修行の甲斐があったのか、物語の大詰では不破は晴れ晴れと腹を切る。不破の骸から抜けだした魂をスダマは一度は抱きとり、いとおしそうに頬ずりするが、最後は悪魔の掟を破って解放してやる。この場面はただただ美しい。

 原作では自分がかつて裏切って絶望の淵に突き落としたマルガレーテの許しがファウストに救いをもたらしたが、『百物語』では修行で煩悩を克服していく不破の姿にスダマ=メフィストがほだされるのだ。

 キリスト教徒は別として一般の日本人には原作が高らかに歌いあげる恩寵は理解の外ではないか。知識としてわかったつもりになっても、腑に落ちることはないと思う。1950年版の『ファウスト』ではとってつけたような救いで終わっていたが、あれがウソであることは手塚自身よくわかっていただろう。

 救いをリアリティのあるものにするために、手塚が選んだのは煩悩と解脱という仏教的な救済譚に換骨奪胎することだった。『ファウスト』の二度目の漫画化を時代劇に仕立てたのは必然だったのである。

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