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2009年10月18日

『罪と罰』 手塚治虫 (講談社)

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 手塚治虫は1952年に医師免許を取得してから大阪から東京に居を移し、プロの漫画家として八面六臂の活動をはじめるが、ちょうどその頃、書下ろし作品として執筆したのが本作である。

 ドストエフスキーの漫画化だが、同じ原作ものにてしても1950年の『ファウスト』は当たったのに、こちらはさっぱり売れなかったらしい。

 それでも年齢の高い読者の受けは非常によかったそうで、「これほど学生やおとなの読者から、おほめの言葉をいただいたものはありませんでした」と述懐している。

 世評がいいのは知っていたが、まだ漫画が子供向けの娯楽だった時代に描かれた『罪と罰』はたいしたことあるまいとたかをくくっていた。今回はじめて読んだが、なかなかやるじゃないかというのが第一印象だった。

 長大な原作をたった130ページにまとめたのだから、大胆な省略と改変がおこなわれている。神学的な議論は跡形もなく削られ、ラスコーリコフの葛藤は犯行が発覚するかもしれないというサスペンスに単純化されている。

 はっきり言って原作とは別物だが、首尾一貫した作品になっているのはさすがである。

 ただ、どうしょうもなく古い部分もある。

 原作では悪徳資本家だったはずのスヴィドリガイロフが手塚版では颯爽たる革命家になっており、クライマックスではラスコーリニコフに金持ちの側につくか労働者の側につくか決断を迫り、ついには労働者を扇動して武装蜂起に踏み切る。『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段のようなコマも出てくる。

 最後にラスコーリニコフが群衆から孤立するのは同じだが、原作では魂の問題に目覚めて孤立したのに対し、手塚版では革命についていけない遅れた人間として民衆からはじき出されている。

 ドストエフスキーは『悪霊』で革命家グループを狂信的なテロ集団として描いたが、『罪と罰』でも革命運動に対する懐疑が濃厚である。ところが手塚治虫は『罪と罰』を原作とは正反対の革命礼賛漫画にしているのだ。

 手塚が革命運動を本気で礼賛していたとは思えない。なぜ魂の問題が革命の問題にすりかわってしまったのだろうか。

 推測だが、手塚が革命礼賛のポーズをとった背景には、まだ市民権をえていなかった漫画を一生の仕事として選んだことが関係しているのではないか。当時は左翼全盛時代だったから、革命礼賛のポーズをとっていれば漫画家でも文化人としてあつかってもらえると思ったのではないか。

 そもそも『罪と罰』を漫画化するという無茶な企画自体、漫画をなんとかして芸術として認知させたいという下心が働いていなかったとはいえまい。若い人には想像もつかないだろうが、この作品が描かれたのはそういう時代だったのである。

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