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2009年10月15日

『奇子』1-3 手塚治虫 (講談社)

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 奇子と書いてアヤコと読む。アヤカシのアヤだろう。

 「ビッグコミック」に1972年1月から1年半にわたって連載された長編で、最初の構想では『カラマーゾフの兄弟』のような大河漫画になるはずだったが、ヒロインの数奇な生い立ちを語り終え、いよいよというところで終わっている。未完で終わったのは残念だが、現状でも十二分に読みごたえがある。

 奇子は青森の大地主天外作右衛門の次娘として生まれたが、それは表向きで、本当は作右衛門が長男の嫁のすえに産ませた子供だった。長男の市郎は天外家の財産を独占させるという口約束を信じて、妻を父親にさしだしていたのだ。

 物語は次男の天外仁朗がフィリピンの捕虜収容所から復員してくるところからはじまる。仁朗は収容所で生きのびるために米軍の内通者になったが、復員後もGHQのエージェントをつづけており、労働運動家の殺害に関与する。返り血を浴びた仁朗は血まみれの服を洗っているところを奇子に見られてしまう。

 労働運動家を殺した手口が、その直後に起きた国鉄の下山総裁事件(作中では霜山総裁)の手口と酷似していたことから、警視庁が注目するところとなり東京から刑事が派遣されてくる。

 スキャンダルを恐れた天外家は親族会議を開き、奇子を死んだことにして土蔵の中の座敷牢に閉じこめることを決める。奇子は6歳から23歳までの17年間、座敷牢の中で暮らすことになる。

 一族のどろどろあり、近親相姦あり、政治的陰謀あり、裏社会の駆引ありで、手塚流の劇画路線の集大成の観があるが、『地球を呑む』から4年たっているだけに手塚流の劇画スタイルを確立しており、完成度が違う。

 ヒロインの奇子がエロチックなのである。『地球を呑む』のゼフィルや『人間昆虫記』の十枝子のヌードはダッチワイフのようにしか見えなかったが、成長した奇子はぞくっとするほど色っぽく肌の火照りが伝わってくる。もし続編が描かれていたが、奇子は十枝子以上の悪女ぶりを発揮していたことだろう。

 奇子が十枝子の後身と考えられる理由はもう一つある。一仕事終えた十枝子は故郷の村に帰り、亡母の蠟人形に全裸になって甘えかかるが、亡母はどう見ても老婆の姿であって、母子というより祖母と孫にしか見えない。

 奇子は長男の嫁が産んだ子供なので、戸籍上の母親は祖母の年齢にあたり、しかも十枝子の年の離れた母そっくりなのである。

 十枝子が亡母の蠟人形に甘えるのは胎内回帰願望といっていいが、奇子は座敷牢育ちのために、何か不安なことがあるとすぐに箱の中にはいってしまう。奇子は十枝子に輪をかけた胎内回帰願望の持主なのである。

 手塚はなぜ強烈な胎内回帰願望をもった悪女をヒロインにすえたのだろう。男が胎内回帰願望をもつならわかるが、女性の胎内回帰は珍らしい。

 わたしの妄想かもしれないが、奇子と十枝子は単なる女性キャラクターではなく、手塚のアニマだったのではないか。手塚は自分の傷ついたアニマを癒すために、胎内回帰で元気をとりもどすヒロインを造形したのではないか。

 『奇子』のラストは炭の貯蔵穴というまさに胎内そのものの密室空間が舞台になるが、彼女はここで第二の誕生を経験する。もし彼女が手塚のアニマだとしたら、手塚は傷ついたアニマの再生を描いたのかもしれない。

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