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2009年10月14日

『空気の底』 手塚治虫 (秋田書店)

空気の底 →bookwebで購入

 「プレイコミック」に1968年から1970年にかけて読みきり連載の形で発表した短編を一冊にまとめたものである。『地球を呑む』と同時期の製作で、この後に『人間昆虫記』がつづく。

 大都社版、講談社全集版、秋田書店版の三種類があるが、一番収録作品の多い秋田書店版で読んだ。劇画調の暗い話ばかりで玉石混淆だが、傑作もすくなくない。

「処刑は三時に終わった」

 元ナチス親衛隊の中尉はユダヤ人虐待で処刑されようとしていたが、すこしも動じない。彼はユダヤ人の天才科学者から時間延長剤という秘薬を手に入れており、処刑の瞬間に逃げだせると思っていたのだ。

 ところが、思わぬ計算違いが……。

 切れ味のいい結末だが、想像すると恐ろしい。

「ジョーを訪ねた男」

 南部出身のガリガリの人種差別主義者の大尉が戦闘で重傷を負い、部下の黒人兵の心臓をもらって生き延びる。黒人の心臓で生かされているという事実を隠すために、事実を知っている遺族のところに口封じにいくが、心臓以前に輸血用の血液は黒人が売血した血だと教えられ愕然とする。輸血用の血液を持ちだすところが医学部出身の手塚の面目躍如だ。

「夜の声」

 休日に乞食になって息抜きをする青年実業家が悪漢に追われたユリという少女を助ける。彼女が好きになった実業家は自分の会社であることを隠して、秘書に応募するように勧める。彼は秘書となったユリに結婚を申しこむが……。

 ユリは手塚が初期に描いていた女の子の顔で、いかにも純朴だが、前科者であることを告白した後はほんのちょっとの変更で、蔭のある表情に。

「野郎と断崖」

 妄想を見せるという崖に迷いこんでしまった脱獄囚の話。残虐無道な犯罪者の心の奥底にもやさしい純なものが残っている。

「グランドメサの決闘」

 西部のガンマンの復讐譚が実はもう一回り大きな復讐譚になっていた。西部開拓時代の終わりという時代の変化で、一捻りしたのが効いている。

「うろこが崎」

 公害もののホラーだが、手塚が売春島に興味をもっていたというのが面白い。

「暗い窓の女」

 近親相姦に悩む男が医者の友人に別の人間にしてくれと懇願する。別の人間になれば妹と結婚できるというのだが、そんなことは出来るはずもなく、物語は悲劇に終わる。近親相姦を医学の問題と考えているところが手塚の限界か。

「そこに穴があった」

 敵対する組の人間を殺し、追われているヤクザが不時着した小型機のパイロットを図らずも助けてしまい、時の人になる。復讐を恐れたヤクザは助けたパイロットに高飛びを助けてくれるように頼むが……。

 凛々しいパイロットの変貌がショッキングだ。

「わが谷は未知なりき」

 ウォード・ムーアの「新ロト記」の後日譚のような話。

「猫の血」

 田舎回りの映画興行師が猫神崇拝の村で美しい娘を見そめ、強引に頼みこんで結婚する。彼は妻を近代的な女に教育するために東京に出るが……。

 ヒロインの猫娘が魅力的に描かれている。映画館の中で村人の目が猫のように光る光景を映像化したら不気味だろう。

「電話」

 内ゲバ事件をヒントにした話。漫画好きの赤学派のリーダーのところに、深夜、未知の女性から電話がかかってきてデートに誘われる。

 待ちあわせ場所に行ってみると、待っていたのは凄まじいブス。誘った女性は対立する青学派の女性活動家で、一ヶ月前に死んだといわれる。

 からかわれたと思ったが、また同じ女性から電話がかかり……。

 この時点で、内ゲバを単なるネタに使っているのは珍らしい。主人公の読んでいる漫画がつげ義春だというのが興味深い。

「カメレオン」

 学生運動でゲバ棒をふりまわしながら、卒業したとたん、企業戦士に化ける世渡りのうまい人種を、手のこんだ復讐劇で本当のカメレオンにしてしまう手塚マジック。

「聖女懐妊」

 土星の衛星チタンの基地で一人観測する南川には女性ロボットという伴侶がいた。二人の仲むつまじい暮しはフォボスの刑務所を脱獄してきた囚人たちによって破壊される。南川は殺され、女性ロボットは酷使されるが、彼女の体にある異変が……。

「カタストロフ・イン・ザ・ダーク」

 事故を防ごうと思えば防げたのに、何もしなかった人気DJが罪悪感から自滅する話。

「ロバンナよ」

 一番いい。人里離れた家で妻と暮らす旧知の天才科学者を訪ねる。科学者はロバンナというロバを可愛がっており、ロバンナもなついている。

 病気で出てこなかった妻は深夜、ロバンナを殺そうとする。夫は妻は狂っているといい、妻は夫は動物しか愛せない不能者だという。

 ところが天才科学者はまったく別の真相を告白する。一口にいえば「蝿男」のロバ版だが、ラスト、妻は科学者とロバンナを殺すために家を爆破する。

「二人は空気の底に」

 冒頭、熱帯魚の水槽の中で愛しあっているグッピーの雌雄が、人間の投げいれた煙草の吸殻で死ぬエピソードが語られる。

 核戦争で人類が滅亡した後、全自動の宇宙旅行用カプセルの中で生き残った。

 男女二人の物語はグッピー同様の悲劇で終わる。

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