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2009年10月12日

『地球を呑む』1&2 手塚治虫 (講談社)

地球を呑む1
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 今年は手塚治虫の生誕80周年にあたり、江戸東京博物館で「手塚治虫展」があったり、「鉄腕アトム」がハリウッドで「ATOM」としてリメイクされたり、新しい文庫全集の刊行がはじまったりとにぎやかである。

 「手塚治虫展」を見たが、原画の迫力にうなった。線の躍動感と切れ味のよさは印刷ではわからない。しかも高いレベルが晩年まで持続しているのである。

 作品の拡がりもすごいが、展示を見ていてあることに気がついた。1960年代末に青年向けコミック誌が一斉に創刊され手塚も狩りだされるが、この時期の手塚漫画を読んでいなかったのである。中学から高校の頃で漫画離れしていた時期に当たっていたこともある。それだけではなく、このあたりの手塚漫画は低迷していたとされており、当時話題になることがすくなかったこともあるだろう。

 評価が低いにしてもなぜ低いのか気になり、この機会に読んでみた。まずは「ビッグコミック」創刊号から連載のはじまった『地球を呑む』である。

 第二次大戦中、アメリカ兵が南太平洋の島で異世界に迷いこみ、謎の美女に出会うというラファティの「崖が笑った」のような出だしである。「崖が笑った」はまだ訳されていなかったはずだが、ちょっと似すぎている。ハガードの『洞窟の女王』を南太平洋に置き換えたような、両者のもとになる作品があったのかもしれない。

 謎の美女はゼフィルといい、アメリカ兵は彼女の写真をもって逃げだすが、その写真はアメリカ兵をとらえた二人の日本兵のものとなる。以上が「プレリュード」である。

 この後、舞台は現代の日本に移り、南太平洋の島からやってきたゼフィルが世界企業をあやつって国際的な陰謀をしかける。その陰謀をさぐるために日本兵の息子の五本松が調査を依頼される。男という男はゼフィルの魅力に負けてしまい、言いなりになるが、五本松は酒以外に慾というものがなく、ゼフィルにたぶらかされることはない。こうなるとゼフィルは心穏やかではなく、なんとかして五本松を籠絡しようとするうちに、逆に五本松に引かれはじめる。

 ゼフィルのたくらむ陰謀であるが、法律の大もとである自己同一性と経済の大もとである貨幣を一挙に破壊し、世界を原始時代にかえそうという途方もないほら話なのである。一応復讐譚の体裁をとっているが、現代文明の破壊という結果は動機とくらべて巨大すぎる。こんなほら話は漫画でしか成立しない。

 「あとがき」で手塚は青年コミックという新しいジャンルをはじめるにあたり、他の作家は読切短編を依頼されたのに自分だけ長編という注文に戸惑い、不満だったと書いている。そして危惧したとおり物語がひろがりすぎてしまい、中だるみに陥ったので、一時読切形式に変えたと書いている。

 上巻から下巻の変わり目、12~14章のことを言っているのだろうが、主筋の枠を越えて暴走していき、むしろ一番の読みどころになっている。特に13章の贋家族のエピソードは独立の短編としても傑作である。この暴走部分がなかったら、凡作で終わっていただろう。

 お色気や世界経済をいれたのは大人の鑑賞に耐える漫画を模索していたからだろうが、とってつけたような感を否めない。この作品の読みどころはむしろ中盤の漫画的なはみ出しにあって、まとまりのなさが最大の魅力になっていると思う。

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