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2009年09月27日

『信長殺し、光秀ではない』 八切止夫 (作品社)

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 高柳光壽『明智光秀』がまともな歴史研究の古典なら、こちらは陰謀説の古典である。八切止夫氏はトンデモ歴史の大家で、上杉謙信女性説などの珍説奇説で知られている。

 謙信女性説でこりていたが、谷口克広氏の『検証本能寺の変』で諸悪の根源のような言われようだったので、逆に興味をもった。藤本正行・鈴木眞哉両氏による『信長は謀略で殺されたのか』でも最大限の罵倒を浴びせられている。錚々たる研究者にこれだけ目の敵にされているとなると、何かありそうな気がしてくる。で、この機会に読んでみた。

 著者は最初に「ノンフィクション・ノベル」だと断っているが、書きぶりはどう見ても歴史エッセイで、小説ではない。強いて小説的というなら、本能寺の変を考証した章の間に現代のマカオに南蛮史料を探しにいった旅行記の章をはさむ書き方が小説でよく使われるカットバックの手法にあたるだろうか。

 著者が本能寺の変に興味をもったのは学生時代のことである。当時、モラエス研究家のT.H.先生(花野富蔵氏?)の研究室でアルバイトをしていたが、ある時、T.H.先生から「信長を殺したのは光秀ではない。ちゃんと目撃者もいる」とモラエスが書いていることを教えられる。その言葉が気になり、以来23年間、本能寺の変の研究をつづけたという。

 考証部分ではいきなり光秀にはアリバイがあると断定する。根拠は公卿の日記で、光秀が在京したのは午前9時から午後2時までであり、光秀が京都にあらわれた頃には本能寺の変はあらかた終わっていたというわけだ。

 そして夜、光秀は坂本城にもどったのだから、変の前夜は坂本城にいたはずだと決めつけ、丹波から一万三千の兵を率いてきたのは光秀以外の人間だとたたみかける。

 単独犯行による暗殺事件ではないのだから、現場にいなかったことがアリバイになるとは思えないが、丹波勢一万三千の謎でぐいぐい押していくので、いぶかりながらも先を読んでしまう。

 丹波勢の謎で思わせぶりに長々と引っ張っるが、終わり近くになって、なんのことはない、丹波勢を率いていたのは斎藤利三だと明かされる。長宗我部問題で切羽詰まっていた利三は光秀に無断で丹波勢を動員し、信長と信忠の二人を屠りさった。謀反という既成事実ができてしまったので、光秀は利三の書いたシナリオに乗るしかなかったというわけである。

 斎藤利三が暴走したという味つけがしてあるが、これは要するに現在有力な長宗我部説である。

 陰謀説の首魁にしてはあまりにも普通の結論で、おやおやと思ったが、これで終わりではなかった。最後の最後になって、斎藤利三を操っていたのは信長の正室の奇蝶(帰蝶)だったという落ちがつくのである。奇蝶の後半生はほとんどわかっておらず、どうとでもいえるだけに説得力はないが。

 斎藤利三の暴走といい、奇蝶の謀略といい、いかにも無茶な決めつけだが、あなどってはいけない。これは相当考え抜いた末の説である。

 長宗我部説の難点は、長宗我部問題は斎藤利三にとっては重要だが、光秀にとっては謀反を起こすほど重要ではなかった点にある。長宗我部説をとる人は長宗我部問題が光秀にとっても重要だったことを論証しようと苦労するわけだが、斎藤利三が勝手に軍団を動かしたことにすれば、難点はあっさり解決する。

 奇蝶黒幕説はいかにも馬鹿げているが、実は陰謀説の根本的な問題の解決になっている。

 本能寺の変は信長を殺しただけでは成立しない。織田家の家督はすでに信忠が継いでおり、信忠は武田攻めの成功などで信長の後継者としての権威を確立していた。信忠とその官僚団が健在な限り、信長が暗殺されても織田体制はゆるがないのである。信忠がいきのびていたなら、美濃に健在な織田本軍を率いてただちにとってかえし、明智軍を撃破していたはずだ。もちろん、秀吉の出番はない。

 信長と信忠が少数の手勢だけで同時に京都に滞在するという偶然がそろわない限り、本能寺の変はありえなかった。こんな御誂え向きの偶然を作りだすのは朝廷でも無理だ。陰謀説の致命的な欠陥である。

 ところが奇蝶が黒幕なら、理屈の上では、信長と信忠の同時在京という状況を作りだすことは不可能ではない。あくまで理屈の上でだが。

 八切氏は長宗我部説はもとより、陰謀説の本質的な矛盾を知り抜いた上で、トンデモ歴史で遊んでいたらしい。洒落のきつい人である。

 もう一つ特筆しなければならないことがある。丹波勢一万三千の謎で長々と引っ張ると書いたが、引っ張る間に朝廷陰謀説、義昭陰謀説、家康陰謀説、秀吉陰謀説、さらにはイエズス会陰謀説から信長爆死説まで、今日までに登場している陰謀説のパターンがあらかた登場しているのである。

 本書は1967年に発表されており、本能寺の変陰謀本の嚆矢といってよいが、陰謀説のパターンはバージェス動物群のように、本書の段階でほとんど出つくしていたのだ。本書は陰謀ネタの宝庫であり、以降に出た陰謀本は本書の脚注にすぎない。目の敵にされるだけのことはあったのである。

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