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2009年09月26日

『明智光秀』 高柳光壽 (吉川弘文館)

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 明智光秀研究の基本図書とされている本だが、今回、はじめて読んだ。発表されたのは1958年だが、1976年に新装版が出て現在でも版を重ねている。

 いくら名著とされていても、史料の出揃っていなかった半世紀前の本を今さらと手にとらなかったが、読んでみるとこれは凄い。小説やTVドラマでおなじみのエピソードを根拠を明示しながらバッサバッサと否定していくのだ。

 物理的に不可能な場合や前後の矛盾、確定した史実と相違する場合はどう不可能か、どう矛盾するか、相違するかを簡潔に説明しているし、良質な文献をもとに否定する場合は典拠とした文献を一つ一つあげている。有無をいわさぬ迫力で、読んでいて快感である。

 「誤謬充満の悪書」として特に槍玉にあげられているのは『明智軍記』と『太閤記』だ。『太閤記』については堀尾吉晴の手柄話が出てきたら「例の偽りか」と思えと言い切っている。

 『細川家記』と『総見記』については是々非々で、曖昧にぼかすことなく、ここまでは当てになる、ここからは当てにならないと白黒をはっきりさせている。問題があったらいくらでも批判してくれと手駒のすべてをさらしているわけで、恐るべき自負である。最近、トンデモ説を発表する学者が少なくないが、内容的には大胆でも、論証は曖昧模糊として全然大胆ではない。学者も半世紀で劣化したのだろう。

 おなじみのエピソードが全否定された後に何が残るのか。信長そっくりの果断な合理主義者としての光秀である。

 彼が牢籠の身から信長に抜擢され重用されたのは、彼が信長と同じような合理主義者であり、信長と同じような目的を持っていたからであると思われる。……中略……彼は新日本建設の助力者であっても、決してそれの妨害者ではなかった筈である。ただ彼は日本の社会革命の主人公である信長に代わろうとして敗れただけである。

 本能寺の変の動機については当時主流だった怨恨説を一つ一つ検討し、「要するにそれは後人の想像に過ぎず、しかも事情に殆ど通じない、いってみれば一知半解の説」と全否定している。

 変の後、光秀は守旧派勢力に接近し大盤振る舞いするが、これは信長に脅威をおぼえていた守旧派勢力なら確実に支持してくれると計算したからで、決して光秀の保守性を示すものではないとしている。

 著者は基本的には野望説をとるが、謀反の引き金を引いた直接の要因として長宗我部問題をあげている。長宗我部説は最近注目されたものと思いこんでいたが、実は半世紀前に本書で特筆されていたのだった。

 本書の成果の多くは後の研究者に引き継がれているが(無断で引き継いでいる人もすくなくない)、引きつがれていない成果もある。光秀の教養についての評価である。

 「時は今あめが下しる五月哉」という『愛宕百韻』の発句があまりにも有名なので、光秀は高い教養の持主のようなイメージがあるが、実際のところはどうだったのか。「時は今……」の謎解きをする人はすくなくないが、光秀の教養を論じた人は寡聞にして知らない。

 著者はこの問題についてもふれている。『明智軍法』の内容については評価しているものの、末尾につけられた制定の次第を述べた文章については「気取った文字を使用しているが、難渋であるとうだけで悪文というべきものである」とにべもない。当時の流行の文体なので、学者でもない光秀を責めることはできないと断ってはいるが。

 里村紹巴宛書簡に添えられた発句については「幼稚ではあるが古典と結びつけようとする気持ち」を評価し、「それはやはり光秀の教養といってよいであろう」としている。武将にしてはなかなか勉強していますね、という程度の評価だろう。

 一方、光秀の筆跡にはいい点数をつけている。本書には光秀直筆の文書が写真版で掲載されているが、行書は「謹厚」の風があるとし、「なかなか味深い文字である」と評価している。草書については「すこぶる闊達な感じを与える。小事に拘泥する風は見えない。しかもその間に一種の迫力があり余韻さえある」という誉めようだ。

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