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2009年09月22日

『火天の城』 山本兼一 (文春文庫)

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 映画化された話題作である。信長の登場する小説は枚挙にいとまがないが、安土城を建てた実在の大工の棟梁、岡部又右衛門を主人公にした小説ははじめてだろう。

 安土城は謎の多い建築だが、近年、近世城郭の常識を越えた破天荒な構造だったことが明らかになり、信長の天才の表現という見方も出てきている。その安土城を作る話なのだから、面白くないはずがない。

 又右衛門と信長の出会いの条が秀逸である。信長は桶狭間の戦いの直前、熱田神宮で戦勝祈願をしたことが知られているが、その時、熱田神宮付きの宮大工だった又右衛門に義元の首を載せるための輿を作れと命ずる。信長は戦う前から勝つつもりなのである。

 又右衛門は急いで小さな輿を作りあげて後を追ったが、途中、凱旋してくる信長軍と出くわす。

 今川義元のお歯黒首が、輿にとりつけた三方に置かれ、首の根が味噌で固定された。四人の足軽が輿を担いだ。

 もちろん、このエピソードはフィクションだろうが、「首の根が味噌で固定された」というディティールにはっとした。そんな習わしがあったのかどうかは知らないが、味噌は兵糧として常備品だったし、傷薬としても使われていた。生首を味噌で固定するという記述にはリアリティがある。

 又右衛門は信長に重用され、数々の城普請をまかされるようになる。史実の又右衛門は武装して合戦にしたがい、工兵隊長のようなことをしていたらしいが、この小説の又右衛門は大工の棟梁の分を越えていない。

 大工は建築家であるから理詰めであり、数字で考える。安土城のような大きな普請では職人を住まわせるための長屋を大量に建てなければならない。長屋を建てるには坪あたり二石の木材が必要になる。付属の御殿は坪あたり八石、天主は坪あたり十二石で、いずれにせよ膨大な木材を調達しなければならない。

 問題は三本の通し柱である。五層の天主の通し柱に使えるような木など、なかなかあるものではない。あるとしたら木曾だが、木曾は武田方の木曾義昌の領地である。又右衛門は無理を承知で義昌に頼みに行くが、義昌は意外にも協力を約束してくれた。義昌は信玄の娘を娶り武田一門につらなっていたが、落ち目の勝頼が無茶な要求をしてくるので、武田からの離反を考えていた。通し柱の一件は織田方によしみを通じる格好の機会だったのである。

 木曾氏の裏切りは武田家崩壊劇の幕開けとなるが、そうした政治のどろどろを吹き飛ばすように、丸太の急流下りという前半最大の山場がくる。せっかくの巨木も折れてしまっては柱に使えない。急カーブを丸太を無事に通せるか、手に汗にぎる場面がつづく。

 一間の長さの問題も興味深い。通常、一間は六尺であり、武家建築でも六尺半だが、安土城は内裏と同じ七尺なのである。

 六角方の乱波は井戸に汚物を投入するなど小技で工事を妨害するが、蛇石という巨岩を運びあげる機会をとらえて大勝負に出る。スペクタクルとしてはなかなかだが、この後に通し柱の短縮という後半の見せ場が来る。信長の厳命で大砲に耐えられるように壁の厚みを変更したために、天主の骨組が想定以上にで沈下してしまい、通し柱との間に不均衡が生じたのだ。又右衛門は息子とともに沈下量を計算し、通し柱の根本を四寸切りおとす決定を下す。作業は精密を要するために他の職人を締めだし、岡部一門だけでおこなったが、ここははらはらした。

 せっかく完成した安土城だが、本能寺の変で事態は急変する。又右衛門も本能寺に滞在していたが、信長の命令で安土城を守るために寺を脱出する。だが、城は灰燼に帰した。

 誰が安土城に火をかけたのかは謎だが、本作は最も常識的な説にしたがっている。ここであっと言わせてくれたら文句なしだったのだが、終わり方がちょっとおとなしいかなという感想をもった。

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