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2009年02月28日

『5万年前』 ニコラス・ウェイド (イースト・プレス)

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 オッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』と同じく、アフリカを出た人類が世界に拡がっていったグレート・ジャーニーを描いた本であるが、同じ事実から出発しながら解釈がずいぶん違う。

 まず「5万年前」という表題からわかるように、ウェイドの立場は絵を描き、歌をうたい、踊りをおどるといった「現代的行動」の能力は5万年前の「創造の爆発」で獲得されたものであり、それ以前の人類は身体だけヒトの格好をした「解剖学的現生人類」だとしている。  「現代的行動」の起源を5万年前におく学者はヨーロッパで獲得されたとする人が多いが、ウェイドは「創造の爆発」が起こったのはアフリカであり、出アフリカした現生人類は皆等しく「現代的行動」をとっていたとするために、出アフリカの時期を5万年前まで遅らせている。通説よりも1万5000年以上遅い。

 5万年前以前の現生人類の痕跡が続々と出て来ているので、これは明らかに無理筋である。

 著者のウェイドは「ネイチャー」、「サイエンス」という二大科学誌の記者をへてニューヨーク・タイムスにむかえられた科学ジャーナリストで、『恋のかけひきはグッピーに学べ』、『化石は愉しい!』など、多くの著書がある。生粋のジャーナリストだけに語り口は平易にして洒脱、すらすら読める。雑学的な話題が豊富なのも魅力だ。

 出アフリカの時期には疑問符がつくが、知らない話やその後の展開が気になっていた話が次から次へと出てきて楽しめた。たとえば『眠れない一族』には狂牛病に対抗する遺伝子コードを日本人だけがもっていないとあったが、本書によると日本人は別の場所に同様の機能を持つコードを持っていることがわかったそうである。まずは一安心だが、それは日本人もまた過去に食人の習慣をもっていたことを意味するのだろうか。

 イスラエルがシルクロードに沿って「失われた十支族」を探していて、ユダヤ人特有のY染色体をもった集団を見つけると、ユダヤ人としてイスラエルにむかえているという怪しげな噂を聞いたことがある。噂の真偽はともかくとして、ユダヤ人特有のY染色体は確かにあるそうである。正確にはコーヘンと呼ばれる祭祀階級に特有のY染色体の変異形ハプロタイプで、セファラディ(アラブ系ユダヤ人)のコーヘンの70%、アシュケナジ(西欧系ユダヤ人)のコーヘンの45%がこのハプロタイプだという。伝説によればすべてのコーヘンはモーセの兄の祭祀長アロンの末裔ということになっているが、ハプロタイプからするとこの伝説は案外正しかったのかもしれない。

 ここまでは科学の範囲だと思うが、アシュケナジの知能が高いのは職業差別で淘汰圧が高かったからだとか、アシュケナジ特有の遺伝病と知能の関係だとかとなると眉に唾をつけた方がいいかもしれない。

 人種とDNAの関係を調査した研究を紹介した条はいささか面白すぎる。ウェイドによれば肌の色による人種の分類には根拠がないが、リスクの提唱する大陸をもとにした人種にはゲノムの裏づけがあるという。大陸をもとにした人種とは次の五つである。

  • アフリカ人
  • コーカサス人
  • アジア人
  • 太平洋諸島人
  • アメリカ先住民

 「人種」というと頭から拒否反応を示す人もいるだろうが、出アフリカをして初大陸に拡散した人類は長期にわたって互いに交わることなく各地で独自の発展をとげたのだから(だからゲノム解析で人類の足どりが復元できた)、各大陸ごとに特徴的な遺伝子の偏りが生まれたとしても不思議ではない。同じ大陸の中でも、西アフリカ出身者には短距離走の選手が、東アフリカ出身者には長距離走の選手が多いそうである。ハプロタイプによって得意な競技種目が変わってくるという研究は日本でもやっているそうだが、これまた面白すぎる。

 本書がゲノム解析に次ぐ柱としているのは言語である。言語はDNAより遙かに速く変わってしまうので、比較言語学では数千年さかのぼるのがせいぜいだとされているが、ウェイドは厳密な音韻対応にもとづく比較言語学ではなく、語彙の類似の統計にもとづく言語年代学を援用し、アメリカ先住民の言語から印欧語までを網羅したユーラシア大語族、さらには人類最初の言語である世界祖語にまで話を進める。

 世界祖語は舌打ち音を使っていたらしい。ミトコンドリアDNAの最古の枝であるL1に属するサン族(かつて「ブッシュマン」と呼ばれていた)のクン語と、次に古い枝であるL2に属するハザ族のハザ語は舌打ち音を使っているが、両者は似ても似つかない言語で舌打ち音を使う点以外には共通点はない。舌打ち音を使う言語はアフリカ南部に30あるが、どれも周囲から孤立した言語で相互の違いも大きいそうである。狩猟採集生活をつづけた小集団が各地で古い特徴を持った言語を維持したということらしい。

 ジョーゼフ・グリーンバーグのユーラシア大語族説も興味深い。ユーラシア大語族とはインド=ヨーロッパ語族、ウラル語族、アルタイ語族、日本語、アイヌ語、カムチャッカ語族、さらには新大陸に拡がったエスキモー・アレウト語族、ナデネ語族、アメリンド語族の共通の祖語として想定される言語で、疑問形には k、否定形には nを含むのだそうである。そういえば井上ひさしも『私家版 日本語文法』の「n音の問題」で同じようなことを述べていた。近藤健二の『言語類型の起源と系譜』を読んで以来、ユーラシア大語族は気になっていたが、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。

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『人類の足跡10万年全史』 スティーヴン・オッペンハイマー (草思社)

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 人類の起源の手がかりはかつては化石しかなかったが、今ではDNA解読と古気候学の進歩によって人類がどのように生まれ、どのように世界に広がっていったか、グレート・ジャーニーの道筋がほぼたどれるようになった。出アフリカをはたしたのはわずか150人ほどの集団で、アフリカ人以外の人類はすべてこの150人の子孫であることがわかっている。

 本書は10万年におよぶ人類の旅を概観した本である。著者のオッペンハイマーは人類学者だが、科学ライターとしても活躍しているよし。

 本書でまず目を引くのは巻頭の8ページのカラーの口絵である。特に最初の3ページには化石から復顔したアウストラロピテクス、ホモ・エレクトス、ネアンデルタール人の写真が掲げられているが、よほどの名人が復顔したのか、見ていて飽きない。

 最初のアウストラロピテクスはルーシーの家族と見られる骨から復顔したそうだが、チンパンジーとあまり変わらない。次のホモ・エレクトスは現生人類に先だって出アフリカして全世界に拡がり、アジアでは北京原人やジャワ原人、ヨーロッパではネアンデルタール人に進化した旧人のルーツであるが、第一印象は人間である。ワイルドすぎる点と鼻と顎にチンパンジーの面影が残るが、眼は人間そのものといってよく、叡智を感じさせる。

 三番目のネアンデルタール人になると、これはどう見ても面長で知的な白人である。最近、ネットでネアンデルタール人の少女の復顔像を見たが、繊細で可憐でさえある。以前はいかにも原始人然としたごつい風貌で描かれることが多かったが、実は現生人類とほとんど変わらなかったのかもしれない。以上の三葉の写真だけでも、本書を買う価値はある。

 とはいえ図版の素晴らしさばかりに目を奪われていると、本書の真価を見誤ることになる。本書は論争の書なのだ。

 オッペンハイマーは出アフリカの時期を8万5000年前とし、現生人類は「描き、話し、歌い、踊りながら」アフリカを出ていったと記している。

 わざわざ「描き、話し、歌い、踊りながら」と書いたのは絵を描き、言葉を話し、歌をうたい、踊りをおどるといった現生人類特有の象徴をあやつる能力は5万年前にヨーロッパで出現したのであり、人類の文化はヨーロッパから全世界に伝わったと考える学者が多数派を占めていたからだ(ウェイド『5万年前』は題名からわかるようにこの立場)。

 確かに世界最初の洞窟絵画も、世界最初の骨笛もヨーロッパで見つかっているが、象徴活動を暗示する出土品は5万年前以前の地層から徐々に見つかっている。そもそも描き、話し、歌い、踊る能力をもたない民族はない。5万年前のヨーロッパではたまたま象徴をあやつる能力を発現させるきっかけがあっただけで、能力としては現生人類が誕生した時からそなわっていたと考えるべきではないか。

 オッペンハイマーが次に挑むのは出アフリカがシナイ半島を通ってレバノンに抜ける北ルートでおこなわれたか、ソマリアの角から紅海をわたってアラビア半島に上陸する南ルートでおこなわれたかの論争だ

 TV番組や類書では簡単にすまされることが多いが、考えてみれば不思議なことである。北ルートはつねに地つづきだったが、南ルートはもっとも海面が低くなった6万5000年前でも104mしか低下せず、水深137mの紅海の入口は海でありつづけたのだ。

 モーセのように紅海をまっぷたつに割ってみせるといった芸当はわれわれの先祖には無理だったろうから、筏かなにかでわたったのだろう。なぜそこまでして出アフリカを決行したのだろう。出エジプトをしたユダヤ人のように誰かに追われていたのだろうか。

 本書によれば出アフリカをうながしたのは気候変動だった。150人の先祖が出アフリカを敢行したのはヴュルム氷期のまっただなかだった。北ルートにあたるエジプトからレバノンにかけての一帯は砂漠化し、ヒトが立ちいれるような状態ではなかった。紅海は完全に外洋から遮断されることはなかったものの内海化し、塩分濃度が高まっていた。塩分濃度が高くなるとプランクトンが激減し、蟹や貝などが育たなくなる。オッペンハイマーは書いている。

 紅海のプランクトン・レベルの低下はさらに浜の採集民の暮らしにも影響をおよぼしただろう。それにひきかえ対岸にあるイエメンのアデン湾の浜は、<悲しみの門>の外にあって栄養豊富で、インド洋から押し寄せる海水によって酸素が供給された。つまり南アラビアの沿岸では浜で採集する条件は非常によかったと思われる。
 紅海西岸のとぼしくなる食料、アデン湾の魅力ある海岸、そして避難地に適した涼しく湿ったイエメンの台地が、わたしたちの祖先をきわめて重要な行動にかりたてたのだろう。

 アラビア半島に上陸した先祖たちは半島の南岸沿いに広がっていき、海面低下で陸地化していたペルシャ湾を横切ってインドに達する。当時のインドは温暖で、ヒトの第二の揺籃地となった。先祖たちはここで人口を増やしてユーラシア大陸の西と東に散っていくのである。

 南ルート説が出てくる前は北ルート説が一般的だった。南ルート説が定説になった後も北ルート説に固執する学者はすくなくない。彼らが北ルート説にこだわる背景にはヨーロッパ人の起源の問題があったようだ。北ルート説なら出アフリカした人類は直接ヨーロッパにはいれるが、南ルート説だと一度インドまで行き、人口が増えてから改めて西進してきたことになる。白人至上主義にとらわれた人にとっては認めたくない事実に違いない。

 本書はまたアメリカ先住民の起源にも多くのページをさいているが、これもまた政治的に微妙な問題である。興味深い指摘がいろいろあるが、詳しくは本書を読んでほしい。

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『狩りをするサル』 クレイグ・スタンフォード (青土社)

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 『ヒトは食べられて進化した』は、初期人類は集団による狩りを通じて認知能力や言語を発達させたというヒト=狩人説を完膚なきまでにやっつけたが、否定する立場の本だけでは片手落ちなので、ヒト=狩人説をもうすこし知りたいと思った。"Man the Hunter" を今さら英語で読むのは億劫なので、本書を手にとってみた。

 本書の内容は予想とは違った。著者のクレイグ・スタンフォードは東アフリカをフィールドにするチンパンジー研究者ということだが、"Man the Hunter" のような古典的なヒト=狩人説はもはや不可能と見切り、新しくわかった事実と矛盾しないようにヒト=狩人説の修正を試みているからだ。

 古典的ヒト=狩人説の難点は狩猟の獲物はわずかだったことにある。初期人類はもちろん、現生人類でも肉食はたまの御馳走でしかなく、主食は依然として植物食だった。脳を巨大化させるためには肉というる高カロリー食物が不可欠だとする説もあったが、濱田穣の『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』は脳の巨大化には肉食が必ずしも必要ではないと指摘している。

 スタンフォードは肉食がたまの御馳走だったという点に注目する。彼は総摂取カロリーの中で肉食の占める割合が微々たるものだったことを逆手にとり、肉食には稀少価値があったとする。肉は「稀少な資源」、「社会的通貨」であり、それをメスに分配する権限をもったオスは子孫を残す機会が増えるというわけだ。

 分配するといっても、チンパンジー社会は微妙なバランスの上に成りたっており、αオスといえども独裁者ではありえない。初期人類もそうだったろう。肉の分配には知恵を絞らなければならず、それが知能と言語の発達を促したというわけだ。

 スタンフォードは書いている。

 肉食行動は、人類や他の霊長類社会では、栄養と同時に政治に関するものである。貴重な資源のコントロールは、権力に関するものである。両性が権力争いに係わっている場合、物理的に優位な性は、しばしば資源をコントロールして、したがって、同様にメスの繁殖をコントロールする。性的な政治は、チンパンジーの肉食行動において、ちょうど、いくつかの伝統的な人類社会における様に主要な役割を果す。哺乳類の肉が頻繁に採食される、ほとんどすべての人類と人類以外の霊長類社会では、オスがメスより頻繁に肉となる動物を狩猟するので、両性間の関係は、肉の捕獲と分配行動の需要部分である。

 訳文が稚拙なので一回読んだだけではわかりにくいかもしれないが、肉という御馳走の分配権を握ったことでオスの優位が確立し、ひいては家父長制が成立したというのがスタンフォードの修正版ヒト=狩人説の要点である。

 おもしろい着眼だとは思うが、サバンナにおける初期人類の無力で哀れな立場を考慮していないのではないか。スタンフォードはチンパンジーや現代の狩猟採集民の観察をもとに推論を進めているが、チンパンジーは安全な森に住んでいるし、現代の狩猟採集民は洗練された武器を手にしている。猛獣の徘徊するサバンナに、石や棍棒程度の武器で放りだされた初期人類に肉の分配に頭を使っている余裕があっただろうか。現生人類もつい最近まで似たような境遇にいたはずである。

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2009年02月27日

『ヒトは食べられて進化した』 ドナ・ハート&ロバート・サスマン (化学同人)

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 表題はセンセーショナルだが、論旨は明解である。森を出て、見通しのいい草原で暮らすようになった初期人類は肉食獣のかっこうの餌食にされた。ヒヒのような牙をもたない非力な彼らは生きのびるために知能と言語を発達させるしかなかった、というわけだ。

 ヒトは肉食獣に食べられないために知能を発達させたという指摘に、なるほどと思ったのはわたしだけではないだろう。ほとんどの日本人は、地動説を抵抗なく受けいれたように、人間=獲物説をすんなり受けいれると思う。

 ところが、西洋人は違うらしい。万物の霊長であるヒトが肉食獣の餌食にされるはずがないと決めこんでいるようなのだ。いや、ヒトだけではなく、サル全般が肉食獣の餌食になることはないと信じられてきた。事実はまったく逆なのに。

 本書は第三章から七章まで全体の半分の量を費やして、ヒトを含むサル類が豹やチーター、ピューマ、ライオン、虎、熊、狼、ハイエナ、ジャッカル、オウギワシ、カンムリクマタカ、アナコンダ等々に食べられてきたことを一々実例をあげて論証している。御苦労様と言うしかはないが、雑学的にはおもしろい部分である。

 珍しい話を集めているが、アフリカ奥地に出かける宣教師のために作られた『蛇に呑みこまれた時の心得』という小冊子には爆笑した。この『心得』によると、大蛇に遭遇したら逃げてはいけないのだそうである。大蛇の方がヒトより速い上に、大蛇は動く獲物を見つけると、胴体に巻きついて窒息させる習性があるので、死んだふりをするべきなのだ。死んだふりをしていると、大蛇は口を大きく開けて足から呑みこみはじめるが、ここで身動きすると巻きつかれるので、絶対に動いてはならない。腰のあたりまで呑みこまれたところで、やにわにナイフを取りだし、大蛇の口の端から切り裂いていけばよい、云々。蛇に腰まで呑みこまれているのに、死んだふりをつづけられるのだろうか。そもそも、頭から呑みこまれたらどうなるのか。

 西洋人にとってヒトは狩る側であって、狩られる側であるはずがない。つい最近までヒト=狩人説が自明のこととしてまかり通っていた所以である。

 ヒト=狩人説を提唱したのはレイモンド・ダートだった。ダートはかつてヒト=死肉あさり説を提出したが、1950年代になって、殴られて凹んだようなヒヒや初期人類の頭骨が発見されると、そうした凹みを作ったのはヒトで、ヒトは狩りをうまくやりとげるために知能を発達させたとした。ヒトは狡賢く凶暴な狩人であり、時には仲間殺しもやる罪深い存在だというわけだ。

 植物食と考えられていたチンパンジーが集団による狩りをおこない、獲物の肉を食べていたという発見は仲間殺しの発覚とともにヒト=狩人説を補強した。チンパンジーや初期人類の「悪魔めいた凶暴さ」が強調され、殺し屋サルキラー・エイプ説がとなえられるにいたった。

 この流れを決定づけたのは1966年にシカゴ大学で開かれたシンポジュウムと、その発表をまとめた "Man the Hunter"(『人間、狩りをする者』)という本だったようだ。日本ではなぜか訳されていないが、欧米では大きな反響を呼んだという。本書は "Man the Hanted" という原題からもわかるように、同書に反駁するために書かれたといっても過言ではない。

 今では頭骨の凹みを作ったのはヒトではなく豹であることがわかっている。豹の牙の形状と頭骨の凹みの形状が一致したのである。ヒヒや初期人類は豹に捕らえられ、頭から齧られていたのだ。チンパンジーの「狩り」にしても、果実や木の芽をあさっている時に、獲物に遭遇した場合に偶発的に起こることであって、最初から獲物を物色しているわけでは決してない。仲間殺しにしても、最近は人間の干渉によって集団が歪んだ結果であり、自然状態ではありえないとする説が有力ということである。

 ダートは死肉あさり説時代から肉食の重要性を力説してきたが、歯列や歯の摩耗具合の研究から、初期人類は植物中心の雑食だったことが判明している。よくマンモスを集団で狩りたてている想像図があるが、大型哺乳類の肉を大量に食べるようにはヒトの体はできていない。歯は生肉の繊維を切断することができないし、消化器も肝臓も大量の生肉には対処できない。肉食文化が生まれたのは火で調理できるようになってからだと考えられており、いわゆる狩猟は最近になってはじまったにすぎない。

 肉食が例外的なものにとどまるとしたら、集団で狩りをするために認知能力や言語が発達したという説は前提を失うだろう。認知能力や言語は狩りのためではなく、捕食者から逃げるために発達したという説の方が納得できる。

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