『5万年前』 ニコラス・ウェイド (イースト・プレス)
オッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』と同じく、アフリカを出た人類がどのように世界に拡がっていったかを描いた本である。
「5万年前」という表題は出アフリカをオッペンハイマーより1万年以上新しい5万年前と推定していることによる。北ルートをとらなかった理由としてネアンデルタール人との抗争を想定していることもオッペンハイマー本との違いだ。
著者のウェイドは「ネイチャー」、「サイエンス」という二大科学誌の記者をへてニューヨーク・タイムスにむかえられた科学ジャーナリストで、『恋のかけひきはグッピーに学べ』、『化石は愉しい!』など、多くの著書がある。生粋のジャーナリストだけに語り口は平易にして洒脱、すらすら読める。雑学的な話題が豊富なのも魅力だ。
知らない話やその後の展開が気になっていた話が次から次へと出てくる。たとえば『眠れない一族』には狂牛病に対抗する遺伝子コードを日本人だけがもっていないとあったが、本書によると日本人は別の場所に同様の機能を持つコードを持っていることがわかったそうである。まずは一安心だが、それは日本人もまた過去に食人の習慣をもっていたことを意味するのだろうか。
イスラエルがシルクロードに沿って「失われた十支族」を探していて、ユダヤ人特有のY染色体をもった集団を見つけると、ユダヤ人としてイスラエルにむかえているという怪しげな噂を聞いたことがある。噂の真偽はともかくとして、ユダヤ人特有のY染色体は確かにあるそうである。正確にはコーヘンと呼ばれる祭祀階級に特有のY染色体の
ここまではぎりぎり科学の範囲だと思うが、アシュケナジの知能が高いのは職業差別で淘汰圧が高かったからだとか、アシュケナジ特有の遺伝病と知能の関係だとかとなると眉に唾をつけた方がいいかもしれない。
人種とDNAの関係を調査した研究を紹介した部分は危険は匂いがする。ウェイドによれば肌の色による人種の分類には根拠がないが、リスクの提唱する大陸をもとにした人種にはゲノムの裏づけがあるという。大陸をもとにした人種とは次の五つである。
- アフリカ人
- コーカサス人
- アジア人
- 太平洋諸島人
- アメリカ先住民
「人種」というと頭から拒否反応を示す人もいるだろうが、出アフリカをして初大陸に拡散した人類は長期にわたって互いに交わることなく、各地で独自の発展をとげたのだから(だからゲノム解析で人類の足どりが復元できた)、各大陸ごとに特徴的な遺伝子の偏りが生まれたのは間違いない。同じ大陸の中でも、西アフリカ出身者には短距離走の選手が、東アフリカ出身者には長距離走の選手が多いそうである。ハプロタイプによって得意な競技種目が変わってくるという研究は日本でもやっているそうだが、微妙な話題である。
本書がゲノム解析に次ぐ柱としているのは言語である。言語はDNAより遙かに速く変わってしまうので、比較言語学では数千年さかのぼるのがせいぜいだとされているが、ウェイドは厳密な音韻対応にもとづく比較言語学ではなく、語彙の類似の統計にもとづく言語年代学を援用し、アメリカ先住民の言語から印欧語までを網羅したユーラシア大語族、さらには人類最初の言語である世界祖語にまで話を進める。
世界祖語は舌打ち音を使っていたらしい。ミトコンドリアDNAの最古の枝であるL1に属するサン族(かつて「ブッシュマン」と呼ばれていた人たち)のクン語と、次ぎに古い枝であるL2に属するハザ族のハザ語は舌打ち音を使っているが、両者は似ても似つかない言語で、舌打ち音を使う点以外には共通点はないのだという。舌打ち音を使う言語はアフリカ南部に30あるが、どれも周囲から孤立した言語で、相互の違いも大きいそうである。狩猟採集生活をつづけた小集団が各地で古い特徴を持った言語を維持したということらしい。
ジョーゼフ・グリーンバーグのユーラシア大語族説の紹介も興味深い。ユーラシア大語族とはインド=ヨーロッパ語族、ウラル語族、アルタイ語族、日本語、アイヌ語、カムチャッカ語族、さらには新大陸に拡がったエスキモー・アレウト語族、ナデネ語族、アメリンド語族の共通の祖語として想定される言語で、疑問形には k、否定形には nを含むのだそうである。そういえば、日本語でも「カ」を文末につけると疑問文になり、「ナイ」をつけると否定形になる。近藤健二の『言語類型の起源と系譜』を読んで以来、ユーラシア大語族は気になっていたが、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。







