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2009年01月31日

『マラルメの想像的宇宙』 ジャン=ピエール・リシャール (水声社)

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 ある流派が成功するかどうかは、努力が報われるかどうかにかかっているという説がある。努力しなくてもできるような流派は最初からはやらないが、いくら努力しても才能がなければ格好がつかない流派もはやらない。しかるべく努力すればしかるべき成果があがるという期待が流派の成功には不可欠だというわけだ。

 文学研究の世界で実証主義が長らく主流を占めているのは、まさにこの理由による。文学的感性はあったほうがいいが、なくてもコツコツ調べれば、調べただけの論文を仕上げることができる。努力は報われるのである。

 実証主義の地歩を一時は脅かした構造主義批評や脱構築批評もこの法則の例外ではない。もちろん、構造主義批評や脱構築批評でも傑作を書くには才能が必要だが、才能がなくても、努力しさえすれば一応の格好がつくような方法が確立されているのだ。

 構造主義批評の流行のきっかけはバルト=ピカール論争でロラン・バルトが実証主義を代表するレイモン・ピカールに勝利をおさめたからだが、論争の発端となった『ラシーヌ論』は皮肉にも構造主義批評の産物ではない。『ラシーヌ論』は物語の構造分析を言いだして構造主義批評に軸足を移す前に書かれた、ヌーヴェル・クリティック時代の成果だ。

 ヌーヴェル・クリティックは現在ではすっかり忘れられており、批評理論を紹介した本に「テーマ批評」とか「現象学的批評」という名称でわずかに名残をとどめているにすぎない。しかし、読んでおもしろい批評はヌーヴェル・クリティックが第一だというのがわたしの考えだ。

 ヌーヴェル・クリティックには錚々たる作品があるが、現在、日本語で読めるのはバルトの『ラシーヌ論』と『ミシュレ』、そしてジャン=ピエール・リシャールによる本書くらいしかない。

 ヌーヴェル・クリティックにもさまざまあるが、共通点は現象学、特にメルロ=ポンティの身体論の影響を受けていることだ。ヌーヴェル・クリティックは構造批評の抽象的な世界とは対蹠的な感覚の横溢した世界を展開するのである。リシャールやバシュラール、スタロバンスキの批評は感覚の悦びにあふれている。

 リシャールの批評は「テーマ批評」と呼ばれるが、この場合の「テーマ」とは作品の主題とか主張という意味ではなく、固着観念のように作品に繰りかえし登場する無意識的なテーマを意味する。本質的な作家は固着観念にとり憑かれているものだが、その固着観念を拾いだし、固着観念間のネットワークをあぶりだすために、従来見すごされてきた周縁的な作品まで含めて、あらゆるジャンルの作品を横断的に引照し、引用のパッチワークを作り上げる。

 本書でいうと、リシャールは詩や散文詩はもとより、書簡、ファッション雑誌『最新流行』の記事、副業として書いた英語の参考書までを網羅している。断簡零墨まで目を通すには努力が必要だが、努力だけでも不十分である。鍵となる固着観念を発見するには文学的感性が不可欠だし、どの部分を引用するか、引用をどのように配列するかでも文学的感性が如実に出てしまう。

 本書を読めばわかるが、リシャールがやっているのはため息が出るような名人芸であって、これ自体、一つの文学作品となっている。こういう本は真の才能がなければ書けるものではない。自戒をこめて書くが、才能もないのに「テーマ批評」を試みたら、無様な失敗をさらすのが落ちだ。

 神輿をかつぐ人がいないので忘れられた形だが、批評の快楽を堪能したい人は本書を読んでほしい。人類が生みだした最高の詩を論じた、最高の批評がここにあるのだから。

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『マラルメ論』 アルベール・ティボーデ (沖積舎)

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 チボーデが1912年というきわめて早い時期に書いたマラルメ論である(邦訳は1926年の改訂版にもとづくが、訳者解説によるとそれほど大きな異同はないらしい)。

 チボーデはヴァレリーと同世代の戦前のフランスを代表する批評家である。ヴァレリーが問題を核心に向かって深く掘りさげていくのに対し、チボーデは該博な知識を背景に広い視野から俯瞰するという違いがある。チボーデの『小説の美学』や『フランス文学史』は必読の本だったが今では絶版で、入手できるのは本書とフロベール論くらいらしい。多くの大学で仏文科がなくなる御時世だから、チボーデが忘れられるのも仕方のないことなのかもしれないが、もっと読まれていい批評家だと思う。

 本書はマラルメの本格的な研究としては最初のもので、その後の研究を方向づけたとまでは言えないにしても、基本文献であることは間違いないだろう。ギイ・ミショーは「マラルメ作品の非常に多彩な面を世人に高く評価させることに成功した」と評している。

 1912年はもちろん、1926年の時点でも全集はおろか書簡集も出ておらず、異文の刊行はようやくはじまったばかりだった(「エロディヤード」の異文は改訂版の刊行直前に公開されたそうで、本書中で特筆されている)。何が書いてあるのだろうという興味で読みはじめたが、意外に現代的である。

 マラルメはパリに出てきてから『最新流行』というファッション雑誌を独力で編集し、多くのペンネームを使いわけて誌面の大半を埋めていた。また、英語教師の副業として英語の参考書も執筆している。『最新流行』や英語の参考書はジャン=ピエール・リシャールによって再評価されるまで無視されていたとばかり思いこんでいたが、チボーデはすでに『最新流行』と『英単語』を読みこみ、詩作を読み解く鍵として用いていたのである。

 弟子のモクレールが喧伝していたヘーゲル主義に対しては「マラルメの観念論を哲学的な起源に関係づけたり、彼がおそらく読んでいない思想家の影響に結びつけることは誤りであろう

」と一蹴している。チボーデはマラルメの観念論の影響源はリラダンだと喝破している。

 凝縮したあまり電報文のようになってしまったマラルメの詩句をマネのモザイク的な描き方と関係づけた指摘は印象批評といえば印象批評だが、新鮮である。最近のマラルメ論ではリラダンやマネの名前はあまり出てこないようだが、マラルメは彼らとしょっちゅう行き来していたわけで、影響しあわないはずはなかったのだ。

 もっとも、時代を感じさせる部分もある。わたしが気になったのはベルクソンを援用した部分だ。両大戦間のフランスはベルクソンの全盛時代だった上に、チボーデはリセでベルクソンに教えを受けただけに、ベルクソンの影響が顕著だが、本書も例外ではなかった。

 マラルメの詩にベルクソン的な持続を見出そうとした部分の多くは無理な印象を受けたが、ベルクソンの援用が成功している部分もある。チボーデは「エロディヤード」と「半獣神の午後」を対比し、「エロディヤード」は絵画的・静止的で高踏派の枠内にとどまっているのに対し、「半獣神の午後」は新しい詩境を開いたと述べている。

 マラルメにおいて支配的なのは活動的、視覚的、触覚的イメージのいずれでもなく、動性的イメージである――また触覚的、視覚的、聴覚的イメージも彼のなかでことごとく動態化され、他の感覚においてそれに対応するイメージへ移行する傾向を示すが、その場合にも力点は出発点や到達点にではなく、それが描く軌跡そのものに置かれる。
 あらゆる造形的イメージは捕捉され定着された瞬間に『半獣神の午後』で半獣神が抱擁する二人のニンフのように手をすりぬけて逃れ去る。『半獣神の午後』はこのようなイメージの動性をもっとも顕著に示す作品であり、そこでは同一の文章の枠内で様々なイメージが絶えず互いの中に消失し溶解してゆくのである。

 こういうベルクソンの使い方なら説得力があると思う。

 「書物」についての指摘も興味深い。「書物」は空間的な固まった存在であり、ベルクソン的持続の対極にあるが、「余白」によって動きと神秘が生みだされるというのである。構造主義化されたマラルメとはまったく別のマラルメを発見するヒントになるかもしれない。

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2009年01月29日

『ステファヌ・マラルメ』 ギイ・ミショー (水声社)

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 フランスではマラルメの入門書として定評のあった本だそうである。初版は1953年に出たが、1971年に改訂版が出て、それを邦訳したのが本書である。初版刊行後に出たリシャールの『マラルメの想像的宇宙』などがたびたび引照されていることからすると、相当大きな改訂がおこなわれたようである。

 本書の価値はまず、1971年までのマラルメ批評史を概観した「序」にある。ミショーはマラルメの読み方には二つの局面があったと指摘する。

 第一の局面は伝統的な実証主義と1950年代にはじまったヌーヴェル・クリティックをあわせたもので、マラルメをその時代の中で理解しようとする接近法である。

 これに対して第二の局面はマラルメを構造主義とポスト構造主義という現代の文脈で読もうとする試みであり、マラルメのテキストには構造主義とポスト構造主義を先取りした部分があるとする。すこし長いが、「序」から引用しよう。

 ようやく今日に至って、これほど長いあいだマラルメが「理解されない人」とみなされてきた、いくつかの本当の理由がわかり始めた。それらの理由は、彼の作品が晦渋だから近づきにくいのだとする偏見より以上に、彼の生きた時代が抱いていた根本的な誤解にもとづいていたのである。歴史、文献学、分析に夢中になっていた世紀が、どうして、構造、言語に関する科学、あるいは「精神の楽器」としての<本>に関する彼の《たわごと》を異様と思わずにいられようか。いかなる誇張もなく断言することができるのだが、マラルメは、ソシュールより半世紀前に、自分なりの方法で構造言語学の基礎を築いたし、レヴィ=ストロースとジルベール・デュランより一世紀前に、「類推の魔」によって、言語、神話、人間精神、世界の諸構造間の、今日類質同型イゾモルフィスムと呼ばれるものを研究し、「万象間の諸関係の総体」を把握していたし、そしてバルトよりやはり一世紀前に、詩的言語をひとつの複数性の言語、つまり通常の言語の性質とは異なった性質をもつ言語であるとほぼ定義していたのである。

 マラルメが構造主義=ポスト構造主義という現代の知を先取りしていたというのはその通りだろう。今日、マラルメが注目されているのはまさにその点による。

 ミショーは第二の局面の重要性を強調しつつも、本書はあえて第一の局面にとどまり、伝記という伝統的な接近法を貫いたと述べている。これはこれで立派な見識である。

 さて、伝記として読んだ場合、古さは否めない。改訂版の出た1971年時点では、マラルメの書簡集は四巻のうち、最初の二巻しか出ていなかった。豪華本『大鴉』を出版したレスクリードの書簡はもちろん発見されていなかったし、「アナトールの墓」は刊行されていたものの、なぜか本書では無視されている。孤高の面や妹の死をクローズアップしたり、ヘーゲルの影響を額面どおりに受けとっているのも時代を感じさせる。改訂版が出てから40年近くたっているが、その間のマラルメ学の進歩は大きかったのだ。本書だけでマラルメの生涯がわかったつもりになるのは危険であって、マラルメの生涯が知りたかったら柏倉康夫氏の『生成するマラルメ』を併読すべきだろう。

 伝記としては古びているが、しかし、マラルメの作品の読解としては本書は今でも十分読みごたえがあると。ヌーヴェル・クリティックの最良の成果をとりこんでいるだけでなく、神秘学的な観点を持ち込んでいる点も味わいを深くしている。ここでは憂愁にみちた世紀末詩人としてのマラルメに出会えるのである。構造主義かされたマラルメにあきたりない人は本書を紐解かれるとよい。

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2009年01月28日

『マラルメの「大鴉」』 パッケナム&柏倉康夫 (臨川選書)

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 1875年、33歳だったマラルメは学生時代から念願だったポオの「大鴉」の翻訳を、マネの石版による挿画6葉をえて、版画社という個人経営の出版社から二折版七ページの豪華本として上梓した。二折版は新聞よりも一回り大きな版型で、製本されていなかったようだから、本というよりは画帖といった方が適切かもしれない。

 定価は中国紙刷が35フラン、オランダ紙刷が25フランだった。同時期にマラルメが編集していたファッション誌『最新流行』が色刷版画つき1.25フラン、版画なし0.5フランだったこと、マラルメの英語教師としての初任給が年俸2400フランだったことを考えあわせると、当時の1フランは今の1000円くらいだろうか。とすると、25フランは2万5000円前後になる。

 豪華本『大鴉』は240部印刷され、現在、60部ほどの現存が確認されている。古書店では1500万円の値段がついているそうであるが、1875年時点ではマラルメはごく一部で知られるだけだったし、マネはお騒がせ画家としての知名度はあったものの、まだ本格的な評価はされていなかった。『大鴉』はたいして売れず、版画社を主宰するレスクリードは刊行の1年半後、破産する破目になる。

 マラルメとマネの『大鴉』は出版史上有名な本だが、1994年にレスクリードの書簡がまとまって発見されたことにより、出版前後のごたごたが詳細に明らかとなった。本書はレスクリード書簡を発見したパッケナムの著書の邦訳に、柏倉康夫氏が長文の解説をくわえて刊行した本である。巻末には『大鴉』の全ページが写真版で掲載されている。

 パッケナムの本はレスクリードの書簡を中心に、マラルメやマネらの返信、新聞雑誌に掲載された広告、書評までを時間順に配列していて、実に興味深い。当時はまだカーボン紙は発明されていなかったが、プレス機で薄葉紙にコピーする技術があり、出版社を経営するレスクリードは自分が出した手紙のコピーをすべて保存していた。残念ながら返信は一部しか残っていないが、それでも経緯はよくわかる。

 レスクリードはスポーツ紙の走りである「挿画入り自転車」新聞を創刊したり、普仏戦争でパリがドイツ軍に包囲されると、飛行船を使ってパリのニュースを地方に届ける「飛行船郵便/包囲されたパリ」を発行したりと、アイデアが次々と湧いてくるタイプの出版人だったらしい。1973年に「版画のパリ」誌を創刊して美術分野に乗りだし、1974年にはシャルル・クロスの『河』をマネの挿画つきの豪華本として出版している。

 ところが『河』はまったく売れなかった。レスクリードは失敗の原因を宣伝不足と総括し、二冊目の豪華本となる『大鴉』では新聞・雑誌に広告を出し、書店にはポスターをくばり、さらに書評を載せてくれそうなところに大量の献本をばらまいた。

 万全の策を講じたはずだったが、レスクリードの思惑通りにはいかなかった。まず、印刷が遅れた。マネは刷りに細かく注文をつけ、刷り直しを要求して高価な紙を無駄にした。マラルメは一度わたした原稿に執拗に直しをいれ、校正を延々と引きのばした。印刷費用がかさんだだけでなく、予告した発行日を延ばさなければなくなり、広告を出し直すことにもなった。

 パッケナムはレスクリードを「善意のかたまり」と評しているが、マラルメとマネの非常識な要求に手紙の文面はしだいに険悪になり、刊行直前の5月27日付マラルメ宛書簡ではついにこんな悲鳴をあげている。

親愛なる詩人殿

 それがどれほどの遅れを私たちにもたらすかは分かりませんが、私は気力を削がれています。
 私は非難の的になっていますし、果てしない遅延に、明らかにうんざりしている多くの書店の罵詈雑言を浴びています。
 この仕事は誠実な契約に基づくものと信じており、あなたにそれを申し上げるのは、こうした凝った出版の場合は、才能の有無以前に、期日を守ることが不可欠だからです。
 私たちはすでに――出版の経費以外に――百から百五十フランの無駄な経費を費やしています。本当に希望がもてる仕事に、これ以上のお金を失わないで済むかどうか疑問に思いはじめています。

 マネとマラルメという完全主義の権化のような芸術家二人とつきあったのが運の尽きである。

 さて書評であるが、一番期待していた「フィガロ」紙にはとうとう載らなかった。多くは義理で誉めてくれたが、辛口の書評を載せるところあった。たとえば、6月5日付の「ル・ゴロワ」紙である。

 マラルメ氏は、「ル・ゴロワ紙」の読者にとってはまったく未知の人というわけではない。数ヶ月前に「高踏派の人々」に関する記事が掲載されたが、氏はこの流派のなかでも最も変わった人物として紹介されていた。よきにつけ悪しきにつけ、評論家から重んじられている人物である。

 マラルメ氏はもちろん英語に堪能で、「大鴉」を字句に出来る限り忠実に翻訳した。ボードレール以来の大変な力業である。まずは詩の第一節の訳をテクスト通りに採録して判断してみよう。

 ……中略……

 確かにこれは字句通りの訳である。それ以上云うことはない。ここにはすべてが訳されている。それは英語というより、米語を忠実に、その技法を含めて写しており、ほとんど電文といったところである。だが、われわれはアメリカ人ではなくフランス人であり、もう少しはっきりと、角を丸めて[訳しても]、この不思議な詩の意味や色合い、とりわけ深い憂愁を損なうことはなかっただろう。マラルメ氏は正確を期そうとして、「ネバー・モア」というこの素晴らしい凋落の感じを、完全に失ってしまったように見える。翻訳は干からびたものになってしまった。

 わたしにはマラルメの訳文を云々する力はないが、やはりという気がしないではない。

 パッケナムの本は『大鴉』刊行から11年後の1886年4月、デュジャルダンの『疲れた人々』の裏表紙に載ったヴァニエ書店の『大鴉』の残部ありますという広告で終わっている。マラルメの文名があがってきたので、どこかに眠っていた『大鴉』の売れ残りが表に出てきたということだろう。

 ポオの「大鴉」は日本でも日夏耿之介の名訳がドレの挿画つきの豪華本で出版されている。三千円くらいの普及版も含めて何種類かの版があるが、現在はどれも絶版である。訳文だけなら『伝奇ノ匣』という文庫本でも読めるが、あの絢爛たるバロック調の日本語は大型本でゆったり読みたい。

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『生成するマラルメ』 柏倉康夫 (青土社)

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 高等中学時代の文学の目覚めから「エロディヤード婚礼」の改稿にとりくんでいるさなかにみまった死まで、マラルメの文学的生涯をたどった評伝である。『ユリイカ』に2002年から26回にわたって連載した原稿が元になっていて、各章は15ページ前後の読みきりになっている。

 著者の柏倉康夫氏は大学でマラルメ研究に手を染めたが、アカデミックな道には進まずNHKで外報部記者として活躍した人である。NHK勤務中も研究を継続し、パリに赴任した際には稀覯本などの資料の収集につとめたという。柏倉氏はこれまでに『マラルメの火曜会』、『マラルメの「大鴉」』などのモノグラフを発表しているが、その成果は本書にとりこまれていてマラルメ研究の総決算となっている。ジャーナリストとして経験をつんだからなのか、高度な内容にもかかわらず文章はきわめて平明で、すらすら読める。マラルメを論じた本で、これだけわかりやすい本は他にないだろう。

 マラルメは孤高の詩人というイメージが強く、ヴァルヴァン行は伝説化している。イメージだけでなく、マラルメが孤独の中で純化した文学理念は今日まで時代を越えた影響をおよぼしている。その一方、マラルメは無類の社交好きであり、ついには地方での安定した教師暮しを捨て、無鉄砲にも友人のいるパリに家族を連れて出てきてしまう。友人の奔走でリセの英語講師の職にありつき、その後正式採用されるが、二人目の子供が生まれようとしている時期にこんな冒険をする一面がマラルメにはあった。

 マラルメは友人に恵まれた。マネとの家族ぐるみのつきあいや象徴派の詩人の梁山泊となった火曜会は有名だが、本書では無名時代からの交友関係が丹念に紹介されている。同時代人に理解されたとはとても言えない難解な作品が日の目を見たのは交友関係のおかげだったし、マラルメの名を一躍知らしめたヴェルレーヌの『呪われた詩人たち』とユイスマンスの『さかしま』も交友関係の中で書かれたものだった。

 マラルメが孤独と文学仲間との社交を大切にしていたのはその通りだが、そうした面ばかりが注目されるあまり、家庭人としての面は閑却されてきた。本書は最新の研究を参照して、マラルメにも夫であり父である面があったことを描きだしている。自分勝手なところはあったにしても、マラルメは意外に子煩悩であり、息子のアナトールの死に深い打撃を受けた。マラルメは愛息の死を受けいれるために「アナトールの墓」という未完の作品を書いていた。この作品の存在が明らかになったのは1961年だが、晩年の『骰子一擲』につながっているという。

 マラルメは推敲魔だった。校正刷りをなかなか返さないことで悪名高く、中にはマラルメに校正させない出版社まであったほどだ。

 新たな作品を書くよりも、旧作に手をくわえるのにはるかに多くの時間を費やした。マラルメの詩の大半は二十代に原型が書かれており、三十年かけて推敲しつづけたともいえる。マラルメではどのように作品を練りあげていったかという異文研究が重要な意味をもつが、素人にはなかなか近づけなかった。本書では詩は基本的に初出の形態で紹介されており、どのように書き換えられていったかが簡潔に示されている。一部の作品については初出と最終版が対比されている。「罰せられた道化」を見てみよう。まず、初稿。

彼女の眼、――青い朝の光が差し込む美しい睫毛が
植わっているこの湖で泳ぐために
女神よ、私、――あなたの道化である私は、窓を乗り越え
あなたのケンケランプの燻る私たちのあばら家を逃げ出した。

 女性の眼を湖に見立てるというありがちな手法で、繊細な感性が光っているものの、それ以上の魅力はない。23年後、この詩は次のように変貌している。

眼、湖、単なる蘇生の陶酔から、
羽ペンのようにケンケランプの汚れた煤を
身振りによって呼び起こす道化役者の身を忘れ
私は天幕の壁に窓をあけた。

 わかりやすい具象画がイメージが衝突し、映発しあう立体派の絵画に変わったようなもので、これこそマラルメの世界である。

 解釈にあたってはギイ・ミショーとジャン・ピエール・リシャールを参照することが多いが、「半獣神の午後」を論じたみごとな条は著者の独自の見解だろう。

 マラルメに興味のある人はなによりもまず本書をひもとくとよいだろう。こんなに行き届いた、贅沢な入門書があるのだから、今の人は幸せである。

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