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2008年09月30日

『昭和を騒がせた漢字たち』 円満字二郎 (吉川弘文館)

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 『人名用漢字の戦後史』の円満字二郎氏が昨年出した本である。『青い山脈』の「變文」騒動から幻の煙草「おおぞら」まで、漢字がからんだ事件をとりあげ、背景にある国民の文字意識を自由と平等の相克という視点から考察している。

 漢字ネタをよくこれだけ集めたものだと思うが、表題の「昭和を騒がせた」は正確には「戦後を騒がせた」だろう。戦前の話題は「八紘一宇」だけで、ほとんどは戦後の、それも1950年以降の事件だからだ。

 1950年が節目になるのは、この頃から当用漢字が普及しはじめたことが関係している。福井県庁の掲示板が「福県庁」になっていたり、朝日新聞や毎日新聞の題字の「新」の横棒が一本多かったり、小学校のブロンズ像の台座の文字の人偏の縦棒が突き抜けていたりといったことが新聞沙汰や裁判沙汰になったりすることは、それ以前にはなかった現象だ。

 新聞題字問題は林達夫がちょっとした皮肉として書いたものだったが、林の意図を越えて大真面目に受けとられ、長期間新聞の投書欄を賑わすことになった。

 当時、新聞協会に加盟していた33紙のうち、27紙の題字が一本多い「新」だったそうだが、その多くは戦前からつづいていた新聞だろう。何十年も前から掲げられていた題字がなぜ急に問題にされるようになったのか。

 子供のお手本になるべき新聞や県庁が学校で教える当用漢字表の字体と違う字体を使っていたから問題になったのだが、著者はそこに自由と平等の相克を見る。

 当用漢字という思想も、軍国主義を敵視するという点で、自由を求めるものではあった。しかしそれは、すべての国民に知識獲得の機会を平等に保証しようというものであったがゆえに、「一時の窮屈」を強制するものでもあった。つまり、自由を求めるためにその前提として平等を欲し、そのために自由に枠をはめるという矛盾を、当用漢字は内部に抱えていたのである。

 当用漢字表の矛盾が普及とともに激化し、それが漢字がらみの事件の続発をまねいたという見方が本書の基本になっている。

 だが、自由と平等の矛盾と一般化すると、問題の所在が曖昧になる。引用中に「一時の窮屈」とあるのは毎日新聞1948年11月8日の「硯滴」というコラムの「当用漢字は、いわば漢字の封鎖であるから、一時は窮屈を感ずることを免れない」にもとづくが、これは漢字の制限をいずれやめるという意味ではない。将来の日本人は漢字を使わなくなるので、漢字制限を「窮屈と感ずる」ことがなくなるという意味である。

 漢字廃止論が笑い話になった現在しか知らない若い人は「一時的制限」を「漢字の制限は一時的」と誤解するかもしれないが、事実はそうではなく、当用漢字表は日本人の改造に失敗したということなのだ。当用漢字表の「当用」とは「当座に用いる」という意味であって、将来的には漢字はまったく使わなくなるはずであった。漢字廃止が実現したあかつきには、当用漢字表の矛盾は克服されるはずであった。

 ところが、著者はこう書いている。

 当用漢字表の論理にとって大事だったのは、情報の受け手のみであって、送り手ではなかったのではないだろうか。だからこそ、情報の受け手の便宜のために、送り手たちは「一時の窮屈」を我慢すべきだ、と考えられたのだ。

 これでは漢字制限は一時的で、教育が普及したら撤廃するみたいではないか。結果的にはそうなったが、それは漢字廃止が失敗し、漢字をあつかえる情報機器が発明されたからであって、当用漢字表施行当時は誰も予想していなかったはずだ。

 前著の『人名用漢字の戦後史』をとりあげた際にもふれたが、漢字廃止・制限をめぐる対立を「民主主義/軍国主義」の二項定立でとらえる見方は間違っている。それは漢字廃止・制限派のプロパガンダであって、陸軍が漢字制限の推進派だったこと、カナモジカイが満洲で中国語をカナ表記させる運動を展開していたこと、インドネシアなど南方の占領地でローマ字による日本語教育がおこなわていたことを隠蔽してしまう。軍国主義に迎合していたのはむしろ漢字廃止・制限派なのである。漢字廃止・制限運動の本質は能率化にあって、だからこそ実業界の支援が得られたのだ。

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