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2008年06月30日

『北京五輪後、中国はどうなる?』 宮崎正弘 (並木書房) & 『日中の興亡』 青山繁晴 (PHP研究所)

北京五輪後、中国はどうなる?
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日中の興亡
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 中国は経済発展で変わったといわれてきたが、長野の聖火リレー騒動で沿道に林立した五星紅旗に、文革時代と同じメンタリティじゃないかという感想をもった人はすくなくないだろう。

 聖火リレー騒動ではマスコミの報道も問題だった。新聞や東京のテレビを見ている限り、「台湾人の男」が一人飛び出してきたことを除けば平穏に終わったような印象だったが、ネットでは中国人留学生による暴行事件や道交法違反が多発したこと、長野県警は留学生の違法行為は見のがし、日本人と「台湾人の男」だけを逮捕したという情報が広まり、後に月刊『WiLL』などの雑誌メディアが後追い報道をした。ちなみに「台湾人の男」は亡命チベット人だったことが判明している。

 NHKの『激流中国』のような例外もあるが、大手マスコミの中国報道は概して腰が引けており、印象操作や語られないことが多い。中国報道に関する限り、比較的マイナーな媒体で中国に対して批判的な姿勢を貫いてきた保守派のジャーナリストの方が信用できると思う。

 今月、保守派のジャーナリストによる注目すべき本が二冊出たので紹介したい。

 まず、青山繁晴氏の『日中の興亡』である。青山氏は共同通信記者から三菱総研勤務をへて独立した人で、テレビのコメンテーターとしてもおなじみである。

 テレビのコメンテーターを「マイナーな媒体」の人と呼ぶのはおかしいかもしれないが、関西の番組では東京より何倍も持ち時間があるので、格段に立ち入った内容が語られているし、東京では出てこない内容もすくなくない(青山氏のファンが青山氏の出演部分を YouTube にアップロードしてくれるので、関西以外でも視聴できる)。

 青山氏が関西の番組で語る内容は考えさせられるが、本書は活字の強みを活かして歴史的背景まで踏みこんでおり、青山氏の危機感がきわめて深刻であることを知った。

 中国は2005年から今年にかけて、インドとロシアとの間で長年くすぶっていた領土問題の決着をつけた。さらには中越戦争以来、ぎくしゃくしていたベトナムとも関係を改善している。多くの識者はこうした動きを中国の国際協調のあらわれと歓迎している。

 青山氏は中国の領土問題の決着こそ、日本にとっての危機だと警告する。それを理解するには歴史をすこしさかのぼる必要がある。

 中国は建国するやいなや、チベットを侵略して全土を占領下におき、建国十年目の1959年にはインドのカシミール地方に侵入した。紛争は3年間つづいたが、中国はインドを圧倒していたにもかかわらずシッキム州のごく一部を占領するにとどめ、それ以上軍を進めなかった。

 中印紛争の十年後、中国は中ソ国境を流れるウスリー河の中洲でソ連と交戦し、アムール河と新疆ウィグル自治区の国境でも衝突している。しかし、前面戦争にはいたらず、中国はわずかな中洲を占領しただけで軍をとめ、長期のにらみ合いにはいった。

 いずれも中国が得た領土はわずかだが、中国はそんな狭い土地を得るために軍を動かしたのではないと青山氏は言う。

 では、なぜか? 青山氏は中国はチベット・新疆・内モンゴルへの干渉をあらかじめ封じようとしたのだと解説する。西隣の大国インドと、北隣の大国ソ連は、チベット・新疆・内モンゴルに干渉しようと思えばいつでもできる位置にある。スターリンがその気になっていれば、国共内戦の隙をついて、内モンゴルの蒙古連合自治政府をモンゴル人民共和国の一部にすることは簡単だったし、新疆の東トルキスタン共和国をソ連に組みこむことだって不可能ではなかったろう。インドはダライ・ラマの亡命を受けいれており、もしその気があれば、チベット独立運動を支援してアフガン化させ、中国を西から脅かすことができたはずだ。

 チベット・新疆・内モンゴルに手を突っこもうとしたら、本気で戦うぞとソ連とインドに示すために、中国は国境で小競り合いを起こしたというのである。

 実際、ソ連とインドは中国には手を出さず、チベット・新疆・内モンゴルは中国による漢族の入植がどんどん進められたのはご存知の通りである。中国は膨大な人口を食べさせていくために、チベット・新疆・内モンゴルの広大な土地と地下資源がどうしても必要なのである。

 中ソ紛争の十年後、中国は今度は南のベトナムに攻めこんだ。インドとソ連との戦いは干渉排除のための威嚇にすぎず、領土まで奪う意図はなかったが、小国ベトナムに対しては十万の陸軍と海軍を動員して領土を奪いにかかった。しかし、対米戦争で鍛えられた陸ではベトナム軍に大敗を喫し、撤退を余儀なくされた。

 ここで注意しなければならないのは、ベトナムは陸では国土を守りきったものの、海では海軍が貧弱だったために南沙諸島を守りきれず、中国に奪われてしまったことだ。

 中国は建国以来、十年ごとに西のインド、北のソ連、南のベトナムを攻めている。中国が唯一攻めなかったのは東だけだ(朝鮮戦争はスターリンによって押しつけられた戦争なので、中国の主体的な意志とはいえない)。

 青山氏は中国が東だけ攻めなかったのはアメリカ軍が恐かったからだと書いている。

 二冊目は宮崎正弘氏の『北京五輪後、中国はどうなる?』である。宮崎氏は雑誌『浪漫』をへてジャーナリズムの世界にはいった人で、中国関係・アジア関係著書が多数ある。週刊朝日の半ページのコラムで名前を知った人も多いだろうが、わたしは「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」というメールマガジンで知った。このメールマガジンは情報の速さと目配りの広さで群を抜いている。

 毒入り餃子、チベット騒乱、聖火リレー、オリンピックを前にした株価の暴落など、最近の話題をとりあげているが、背景にまで踏みこんでいるので、一つの繋がった絵として見えてくる。注目したいのは、日本では毒入り餃子騒動のために報じられることのすくなかった南部の大雪を詳しくとりあげていることだ。欧米では、ヘラルド・トリビューン紙が一週間連続で一面で大雪事件を報道したように、大きな扱いだったという。この大雪は、中国の民衆にあたえた影響もさることながら、インフラのお粗末さがあきらかになっていて、四川大地震に次ぐ大事件だったことがよくわかる。

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『中国の環境問題』 井村秀文 (化学同人) & 『中国汚染』 相川泰 (ソフトバンク新書)

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 毒餃子事件をきっかけに中国のすさまじい環境汚染がテレビで紹介されるようになった。雑誌や単行本では以前から紹介されていたが、テレビの影響力は数段上で中国からの輸入食材が急に売れなくなった。春に飛来する黄砂や九州の光化学スモッグ、日本海に押し寄せるエチゼンクラゲ等々が中国の環境破壊に原因があることも今では常識となっている。日本にとって中国の環境破壊は他人事ではなく直接に影響があるのだ。

 中国の環境はどうなっているのだろうか。二冊選んでみた。

 まず、井村秀文氏の『中国の環境問題』。井村氏は環境庁出身の環境問題の専門家で、経済協力開発機構(OECD)日本代表部と横浜市に出向した後、現在は名大大学院で教鞭をとっている。

 本書は膨大な公刊資料をもとに中国の環境問題の全体像を俯瞰し、コンパクトにまとめた本である。中国政府が公開した統計をもとに数量的に把握しようとしている点が強みで、中国経済に環境要因がどのように影響しているかが素描されている。

 ただ、中国政府の公表した数字にどこまで信憑性があるかという問題はあり、本書中でも疑問が呈されている。

 第二に統計資料をベースにしているので、エネルギー需給や水需給など、資源問題が主になり、汚染についての記述がすくない点である。水不足が深刻なことはよくわかったが、水質汚染については統計が公表されていないのか、あるいはそもそも統計がないのか、著者自身の見聞を述べるにとどまっている。

 ゴミ処理にしても、以前は可燃ゴミがすくなかったので野積みだったが、経済発展にともない都市部では日本のゴミに近づき、ゴミ焼却場が増えているところまでは数量的に示されている。焼却施設はダイオキシン対策をほどこした最新の設備はまだなく、ダイオキシンが発生していると見られているが、どのくらいダイオキシンが出ているかの数字はない。公表されていないだけのか、あるいはそもそも調査していないのかはわからないが、もどかしいところである。

 以上、二つの点で限界はあるが、本書が中国の環境問題を考える上で必読の基本図書である点は変わらないだろう。

 二冊目は相川泰氏の『中国汚染』である。相川氏は鳥取環境大学の准教授ということだが、東大教養学部で国際関係論を学んだというから文系出身だろう。在学中から中国の環境問題に関心を持ち、市民運動をやっていたようだが、北京の中国人民大学に留学した経験があるという。

 本書は三章にわかれる。第一章は松花江事件や太湖のアオコ騒動、癌患者が多発する「がん村」など、中国で頻発する環境汚染の事例を紹介している。いずれも雑誌などでとりあげられた事例だが、背景まで含めて書いているので勉強になった。「がん村」は淮河流域が有名だが、実は中国全土に分布していて、地方によっては癌を伝染病と誤解しているため、癌であることを隠そうとしているそうである。

 第二章は中国の汚染対策を歴史を遡って記述しており、本書の一番の読みどころである。

 中国の環境汚染というと高度経済成長以後に発生したという印象を持ちがちだが、本書によると足尾鉱山型の鉱毒汚染は以前からあり、松花江の水俣病も、日本の水俣病を知った周恩来のお声がかりで調査がはじまった。

 周恩来が日本の公害に関心をもったおかげで、早くも1973年に全国環境保護会議が開かれ、1978年に憲法に環境保護条項がはいったり、環境保護法が制定されるなど法制面は進んでいるが、問題はそれがまったく効果をあげていない点だ。

 著者は中国の環境保護法が環境汚染を解決するどころか、むしろ深刻化しているとしている。中国の環境保護法では汚染物質を排出した企業は「汚染排出費」を払うと定めているが、低い金額に抑えられているために、汚染対策をするより安あがりだというのである。しかも、地方政府は「汚染排出費」を罪源として当てにするようになってしまい、汚染企業に免罪符をあたえる結果になっている。

 汚染があまりにもひどく、健康被害だけでなく経済的被害も出ているので、周辺住民が工場の入口を封鎖するなどの直接行動に出る事例が激増しているが、地方政府は重要な収入源である企業側に立ち、住民側を弾圧することが多いという。

 中国では県レベル(日本の県よりも小さい)までしか直接選挙がなく、三権分立がなく、裁判所は行政の一部門になっているので、住民側に立った環境行政は望むべくもない。暴動が起こるわけである。

 第三章は中国汚染の国境を越えた広がりと日本の協力が紹介されているが、環境問題に対する中国の民衆の関心は急激に高まってきているという。中国民衆の意識変化が唯一の希望である。

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2008年06月29日

『老いはじめた中国』 藤村幸義 (アスキー新書) & 『老いてゆくアジア』 大泉啓一郎 (中公新書)

老いはじめた中国 →bookwebで購入

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 スーザン・シャークの『危うい超大国』に中国は先進国の仲間入りをする前に高齢社会をむかえるとあった。所得が増えるにつれ出生率が低下するのは世界的な傾向だが、中国の場合、一人っ子政策によって人口の抑制をはかったために人口構成が人為的に歪められ、社会の高齢化が急速に進んでいるというのだ。

 重要な指摘だが、それ以上の言及がなかったので、この二冊を読んでみた。

 まず、藤村幸義氏の『老いはじめた中国』である。高齢化をあつかっているのは第一章だけだが、よくまとまっており、中国の高齢化がいかに深刻かがよくわかる。

 国連が出している "World Population Prospects" では65歳以上を「高齢者」とし、高齢者が全人口の7%に達すると「高齢化社会」、14%を越えると「高齢社会」と呼んでいるが、上海は2004年に「高齢社会」になり、重慶、北京、天津、江蘇も「高齢社会」目前である。中国全体でも2026年には「高齢社会」に突入する。高齢化のピークには日本同様、高齢者人口が40%を越える。しかも、中国では定年が男性55歳、女性50歳と早いので、「非生産年齢人口」という意味での高齢者の比率はもっと高くなる。

 高齢化は日本やNIES諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール)の方が進んでいるが、日本やNIESは一人当たりGDPがすでに1万5000ドルを越えており、富裕化してから高齢社会をむかえるが、中国は現在の奇跡の成長率をあと20年間維持できたとしても 3000ドルにしかならない。中国は20年後、貧乏なまま高齢社会になってしまうのだ。

 社会の高齢化を遅らせるには一人っ子政策からの転換が必要だが、昨年1月に一人っ子政策の継続を決定しており、早急に撤廃される見こみはない。また、女性の意識が変化しているために、かりに一人っ子政策を撤廃したとしても、出生率が早急に回復するかどうかはわからないという。

 本書は高齢化というタイムリミットを切られた中国がかかえる環境破壊、所得格差、高度経済成長の終焉などの問題を解説しているが、日経新聞の元北京特派員だけあって記述は具体的であり、新書判ながら情報量は多い。シャークの『危うい超大国』は本筋からはずれた話題は簡単に片づける傾向があるが、本書のおかげであらましのわかった事例はすくなくない。

 たとえば『危うい超大国』の「新設の私立大学のいくつかでは、大学側が約束していただけの価値が卒業証書にないことが判明して、学生たちが大規模なデモを行っている

」という一節である。中国に私立大学があるというのでひっかかっていたのだが、本書によると 、高度経済成長の人材を育成するために1999年に「教育産業」が公式に認められ、各地で公立大学が母体となって「独立学院」という私立大学を設立するのがブームになった。母体となった公立大学と同じ卒業証書を授与すると学生を集めたが、政府の指導で別の卒業証書になったので学生が怒って騒動になったという。中国には私立大学の伝統がなかったために、教育が身もふたもない金儲け主義の対象になってしまったのである。

 中国は高度経済成長を維持するために外資を優遇してきたが、税金の優遇の撤廃を決めるなど外資規制の方向に梶を切っている。今後、国内産業を守るために非関税障壁で抵抗し、それでも守りきれなかったらWTO脱退もありうると著者は見通しを述べている。

 それにしても、 元日経記者が書いたとは思えないくらい悲観的な話がつづき、中国が21世紀の超大国になるという話は夢のまた夢としか思えなくなる。日経の行け行けどんどんの論調を信じて中国に投資してきた人はどんな思いで本書を読むだろうか。

 大泉啓一郎氏の『老いてゆくアジア』は『老いはじめた中国』以上に衝撃的である。高齢化は日本やNIES、中国だけでなく、アジア全体で進行していることを揺るぎないデータと論理で示しているからだ。

 大泉氏は三井銀行総合研究所(現在は日本総合研究所)の研究員で、今年、本書によりジェトロ・アジア経済研究所の「発展途上国研究奨励賞」を受賞している。

 近代化にともない、一国の人口構成は多産多死のピラミッド型から少産少死の釣鐘型に変化していくが、その途中、多産少死の一時期があり、人口比グラフは中間で突出した壺型になる。アンドリュー・メイソンはこの人口比グラフの突出部を「人口ボーナス」と呼び、1997年の「人口とアジア経済の奇跡」で出生率の低下と「生産年齢人口」の割合の急激な上昇がアジアの経済発展をうながしたとする「人口ボーナス論」を提唱した。

 人口ボーナス論は D.E.ブルームや J.G.ウィリアムソンに受けつがれ、1960~90年の東アジアの高度経済成長は 1/3が人口ボーナスによるものだという推計や、人口ボーナスを経済発展に活かすには人口構成の変化に適した政策をとる必要があるとする研究が出ているという。

 人口ボーナス期間のはじまりと終わりをどう考えるかには諸説があるが、著者は生産年齢人口の比率が上昇する時期と下降する時期と明解に定義し、日本は1930-35年にはじまり、1990-95年に終わったとしている。NIES諸国と中国は台湾がやや早いものの、おおむね 1965-70年にはじまり、2010-15年に終わりをむかえる。ASEAN諸国もやはり1965-70年にはじまるものの、終わりの時期は2010年から2040年とばらついている。インドの場合は1970-75年にはじまり、2035-2040年に終わるとしている。

 人口ボーナス期間の前半は高度経済成長が可能だが、後半になると国内貯蓄率が高まり、教育レベルが上がるものの社会の高齢化がはじまるので、産業を労働集約型から資本集約型に転換させる必要がある。その後に来る高齢社会で経済成長を維持するには知識集約型の産業を興さなければならない。

 中国は人口ボーナス期間の前半のうち、最初の10年間を文革で空費したが(1965-78年の経済成長率はわずか3.9%)、後半にはいった現在も10%の成長率を維持している。これは1988年まで私企業の活動が制限されていたために、毎年1000万人増加していた新規労働力を工業部門が吸収できず、農村に滞留していたため、目下、都市部限定の人口ボーナス効果が起きていると著者は説明している。タイも同じような状況だという。

 本書の第四章は「アジアの高齢者を誰が養うか」と題されているが、この章は必読である。日本の将来は暗いが、NIES諸国の将来も暗く、中国にいたっては真っ暗闇らしい。

 先日、自民党は少子高齢化対策として、50年間で「総人口の10%」(1000万人)の移民の受け入れを目指すという提言をまとめた。東アジア、特に中国の若い労働力を呼びこんで日本の産業に輸血しようというわけだが、日本の状況しか見えていない視野狭窄の意見にすぎない。アジア全体が少子高齢化に進んでいる現在、移民に頼ろうなどという安易な解決策はもはや不可能なのである。


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『中国 危うい超大国』 スーザン・シャーク (NHK出版)

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 中国は1971年、ニクソン訪中に先だって15人のアメリカの大学院生を招いたが、著者のスーザン・シャーク氏はその一人に選ばれ、周恩来と親しく言葉をかわした。今は下野して大学で教鞭をとっているが、アメリカ国務省で長らく中国を担当し、クリントン政権時代には国務次官補として東アジア政策を統括する立場にあった。もし民主党政権が誕生したら、初の女性中国大使になると見られているという。

 本書は中国の裏と表に通じた著者が、外部からはうかがい知れない中国の権力構造の内情を描いた本で、眼から鱗というか、発見に満ちている。本書を読んでいて、そういうことだったのかと膝を打つことがたびたびあった。中国に関心のある人にとっては必読といえる。

 毛沢東と鄧小平は文革と改革・解放をはじめるために北京を離れ、上海で烽火をあげなければならなかったが、それは共産党中央宣伝部が北京のマスコミを支配しているためなのだという。毛沢東や鄧小平であっても、中央宣伝部の決定はくつがえせない。実際、中央宣伝部は1966年には毛沢東名義の論文、1992年には鄧小平の論文が「人民日報」に掲載されることを阻止している。毛沢東や鄧小平のような独裁者であっても、地方のマスコミを使って党内世論を動かすしかなかったのだ。

 毛沢東や鄧小平ですらこうだったのだから、江沢民や胡錦濤は中央委員会の操縦に苦労することになる。もちろん、特権の廃止はおろか、汚職の摘発など本気でできるはずもない。

 中央委員会は200人ほどの中央委員から構成されるが、中央委員は5年に一度開かれる党大会で選出される。総書記は最大の武器である人事権を使って子分を増やし、中央委員会で自派を拡大していくしかないのである。著者は総書記と中央委員会の関係をローマ法王と枢機卿会議の関係になぞらえている。

 総書記が責任を負うのは中央委員会に対してであって、一般国民に対してではないが、江沢民も胡錦濤も自分にはカリスマがなく、マルクス主義も権威を失っていることを自覚しており、世論の動向に神経質になっている。

 江沢民は後ろ盾の鄧小平の健康悪化後、権威を高めようとしてナショナリズムと反日を煽り、成功をおさめたが、それは両刃の剣だった。

 もともと中国のナショナリズムは日本を鏡として誕生したという経緯があるが、台湾がからんで、より一層こじれている。台湾は日清戦争で日本に奪われた領土であり、台湾との統一が達成されるまでは列強から侵略を受けた国辱の一世紀が終わらないという教育を中国はしてきたのである。

 中国にとって台湾は国防上の脅威ではなく、統一しても特別な利益があるわけではないが、台湾統一に過度の意味をあたえてきたために、中国共産党は引くに引けなくなっていると著者は見ている。

 日本問題も似たようなものだ。中国の指導層は対日関係を改善させたいと考えているが、インターネットが普及してしまったために、対日強硬論を抑えこむことが不可能になっている。ある人民解放軍大佐は「まだ党が国内の情報の流れを完全に掌握していた十年前なら、できたかもしれないが、今ではもう無理だ

」と語ったということである。

 著者は国務副長官在任中に起きたベオグラードの中国大使館誤爆事件の顚末を詳しく語っているが、たまたま誤爆が法輪功による座りこみ事件の二週間後におきたために、江沢民は不安から過剰反応してしまい、対米関係でも、法輪功との関係でも、後戻りのできない誤りを犯したとしている。

 1995年の李登輝訪米問題と1999年の中国のWTO加盟問題も著者の次官補在任中に起きている。江沢民は中米関係を重視していたが、台湾に対して融和的な呼びかけをおこなった直後にアメリカが李登輝の訪米を認めたために、江沢民は面子を失った。1999年4月のWTO加盟問題では中国側が大幅に譲歩したにもかかわらず、アメリカ議会の賛同がえられなかっために、クリントンは中国の加盟に賛同する文書に署名しなかった。WTO交渉のために訪米した朱鎔基首相(当時)は手ぶらで帰ることになり、中国政府の特別機に同乗した著者は朱鎔基の気落ちした姿を目撃している。実際、北京にもどると朱鎔基は指導層はもちろん、農業団体、産業団体、インターネットの世論からも売国奴と集中砲火を浴び、事前に対米譲歩を承知していた江沢民からも裏切られて贖罪羊にされてしまった。

 結局、その年の11月にWTO加盟問題は解決するが、江沢民指導部とアメリカは手痛い代償を払うことになる。著者はこうした経験から、中国の現在の指導者は権力基盤が弱く、外国に対して過度に虚勢を張らなければならないという確信を固める。強い中国より弱い中国の方が危険だというのが著者の持論である。

 中国の指導者は民衆の反発を買わないように政治問題以外は放任しているが、それ以上に神経を使っているのは反体制指導者になりそうな人間を共産党利益集団に取りこむことだ。資本家の入党を認めたのもそうだが、学生の入党も奨励している。天安門事件直後の1990年の学生の入党率は1.2%にすぎなかったが、2003年には8%に達している。特にエリート大学では勧誘に熱心で、精華大では学部生の20%、院生の50%が共産党員だという。

 悩ましいのは中国が経済的に繁栄すればするほど、中国共産党指導層の権力基盤が脆弱になり、理性的な行動がとれなくなることだ。中国とつきあうには中国の指導者の弱さを理解すべきだというのが本書のとりあえずの結論である。

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『鄧小平秘録』上下 伊藤正 (扶桑社)

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 産経新聞は毛沢東時代の激烈な権力闘争を多くの証言で暴いた名著『毛沢東秘録』を出しているが、本書はその続篇である。著者の伊藤正氏は現在は産経新聞に移っているが、1974年以来、共同通信社の北京特派員をつとめた人で、二度の天安門事件と毛沢東の死の時も北京にいあわせ、本書にも当時の生々しい体験が語られている。

 『毛沢東秘録』は毛沢東の死後、夥しく出版された手記や回顧録をもとに書かれたが、本書も最近出た本と関係者の取材がもとになっている。もちろん、その多くは中国本土では出版できず、香港や台湾で刊行されている。四人組中、ただ一人刑期を満了して出獄した姚文元の回顧録や、第二の天安門事件で失脚後、死ぬまでの15年間、軟禁生活を余儀なくされた趙紫陽のインタビュー集は香港で出版されたというから、一国二制度は無事に機能しているようだ。本書の連載中も情報漏洩はつづいており、第二の天安門事件を策を弄して「反革命暴乱」に仕立てあげた黒幕は李先念だという秘話は最後の章に、毛沢東が遺言で江青を党主席に指名していたという事実はエピローグに書かれている。

 本書は鄧小平の生涯の最大の汚点となった第二の天安門事件からはじまるが、事件の背景に、前年断行された価格自由化の失敗があるという指摘は重要である。

 計画経済で供給が限られているのに、価格を自由化したら物価が高騰するのは当たり前で、実際、その通りになった。価格自由化は鄧小平の承認を受けていたが、物価高騰で国民の不満が高まり、保守派の攻撃が激しくなると、鄧小平は趙紫陽に距離をおきはじめる。趙紫陽は学生が天安門ですわりこみをしている最中に北朝鮮訪問で北京を留守にするという致命的なミスを犯すが、その背景にはある程度騒動が大きくなったところで学生を説得して納め、勢力挽回をはかろうという計算があったようである。しかし、北京を離れている間に、保守派が主導権を握り、「人民日報」に学生運動を「動乱」と決めつけた社説を掲載する。学生側の指導者は運動をコントロールできなくなり、物価高騰で不満を持つ労働者や地方から来た学生が合流したことで、事態はいよいよ暴走をはじめる。

 保守派が学生に対して強硬姿勢を貫いたのは文革の再来を恐れたからだ。保守派といっても、最左翼の文革派はすでに排除されており、事件当時、党中央を構成していたのは文革で迫害を受けたかつての「走資派」だった。鄧小平もその一人である。彼らは「二つの司令部ができた」というように文革時代の言葉で状況を把握しており、権力の座から追われる不安に怯えていたのである。

 血の弾圧後、鄧小平の改革開放政策は停滞する。西側諸国から経済制裁を受けただけでなく、保守派が主導権を握ったために逆流現象が起こったのだ。鄧小平は総書記に保守派を避けて上海の江沢民を指名するが、中央で何の実績もない江沢民は自ら保守派になることでしか権力を維持できなかった。鄧小平は軍権は握りつづけたが、銃と並ぶもう一つの武器、ペンの方は保守派に奪われたままだった。

 第二部では改革解放を決定づけた1992年の南巡講話が語られる。  鄧小平は改革開放政策をもう一度軌道に乗せるために1992年春、南方を旅行し、改革解放の効果があがっていた深圳や上海で重要な講話をおこなうが、これは文革を発動するために毛沢東がおこなった南下をなぞったものだという。走資派で固まった北京に対抗するためには、毛沢東といえども上海で文革の烽火をあげるという方策をとるしかなかったが、鄧小平も保守派の包囲網を突破するために地方から党内世論を動かさざるをえなかったのだ。

 なぜ保守派はこんなに力を持っていたかという謎は第三部以降でわかる。

 第三部では文革で失脚した時点までさかのぼり、復活と二度目の失脚が、第四部では四人組追放後、三度目の復活を果たすまでが語られるが、この時期、鄧小平を守り、後押ししたのが保守派の長老たちだったのだ。

 四人組追放後も、華国鋒ら文革出世組が党中央を握っていたので、鄧小平は復活するまでに一年半かかっている。復活後も、実権派以前として文革出世組の抵抗がつづき、鄧小平が実権を握るまでにはさらに二年かかっている。この間、文革出世組と理論闘争を展開し、鄧小平の権力掌握を助けたのは、後に保守派の中心となって改革解放路線に立ちはだかることになる陳雲だった。歴史の皮肉というしかない。

 第五部では最高権力者になった鄧小平が共産党の正統性の根拠を階級闘争から経済発展に移し、奇跡の成長に邁進する姿が語られる。第六部は鄧小平の没後に吹きだした経済成長の歪みがテーマである。

 上巻巻末に日本に亡命した哲学者、石平氏の「私の見た鄧小平、鄧小平の時代と中国」、下巻巻末にアメリカに亡命した経済ジャーナリスト、何清漣氏の「鄧小平「経済改革神話」の破綻」が収録されているが、どちらもインパクトのある文章である。

 石平氏は『私は「毛主席の小戦士」だった』では鄧小平を独裁者と一刀両断していたが、実際はそこまで割り切れないらしく、複雑な思いを吐露している。

 重要なのは中国の今日の繁栄は鄧小平が復活し、92歳まで生きしたという僥倖の産物だと喝破している点だ。もし鄧小平が文革中に死んでいたら、四人組が追放されたとしても華国鋒ら文革出世組が権力を握りつづけ、金日成後の北朝鮮のような国になっていただろう。また、1988年までに死んでいたら、天安門事件の血の弾圧もなかった代わりに、中国は分裂と混乱の危機におちいり、経済成長どころではなかったろう。そして、1992年以降も長生きしていなかったら、南巡講話はなく、江沢民政権は保守派に逆戻りしていたはずだ。

 中国の今日の繁栄は本当にきわどいところで達成されていたのである。

 何清漣氏の「鄧小平「経済改革神話」の破綻」は、その今日の繁栄が砂上の楼閣にすぎずないことを容赦なく暴いている。

 鄧小平は資本主義を取りいれたといっても、「毛沢東主義を『体』とし、西側の科学技術を『用』とする」という体用論の枠内にとどまり、共産党独裁を維持するための方便にすぎなかった。鄧小平は根っからの共産主義者だという毛沢東の直観は実は正しく、鄧小平の改革解放路線の根本的な欠陥になっているというわけだ。

 共産党独裁は中国社会に安定をもたらした反面、共産党幹部による特権の世襲をまねき、社会的上昇のプロセスを閉ざしてしまった。鄧小平自身、子供たちの官倒行為を見逃すという悪い手本を示した。経済成長と教育の普及にもかかわらず、中産階級が育たず、大学や大学院の卒業者の失業率が高まり、階層対立が激化しているのは、そのためだ。何氏はまた共産党独裁がつづいているために、経済発展が近代的な信用の発達につながっていない点も指摘している。

 何氏は歴史は鄧小平に「最後の独裁者」となる機会をあたえたが、鄧小平は独裁体制の継続を選んでしまったと断罪している。

 中国の繁栄は先が見えたといってよさそうだ。

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