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2008年05月31日

『私は「毛主席の小戦士」だった』 石平 (飛鳥新社)

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 『売国奴』の三氏のうち、黄文雄氏と呉善花氏の本は読んでいたが、石平氏の本は読んだことがなかったので本書を読んでみた。

 本書は表題からわかるように、中国共産党からの訣別を語った自伝であるが、日本に来たから訣別したわけではなかった。毛沢東思想からの脱却は19歳で故郷の四川省を離れ、北京大学に入学した時におこなわれた。

 石平氏が北京大学に入学したのは改革解放政策が本格化した1980年のことである。

 石平氏は1962年の生まれであり、文革期に少年時代をすごした。当然、共産主義教育をたたきこまれ、「毛主席の小戦士」たろうとした。

 ところが1978年に鄧小平が全権を掌握すると、文革批判がはじまり、隠された事実が次々と暴かれていった。その中心となったのが北京大学だった。北京大学には毛沢東と四人組によって打倒され、拷問され、集会で辱めを受けた高級幹部の子弟が集まっていたからだ。

 彼らは当然、この暴露・批判運動のリーダー役となったが、何よりも重要だったのは、かつて共産党政権の中枢と知識界の中心に身をおいた彼らだったこそ知り得た、毛沢東政治の内幕と深層が、次から次へと暴かれたことである。
 そして、それらの一連の暴露と批判派、地方から北京大学にやってきた私のような田舎育ちの者にとって、かつて「毛主席の小戦士」であったこの自分にとって、まさに驚天動地の連続であった。

 地方出身で、素朴に毛沢東を信じていた著者がどれだけ精神的打撃を受けたかは想像にあまりある。著者は学生寮で同じ精神的打撃を受けた仲間たちと涙を流しながら議論しあった。その苦しみの中から、民主化運動の理念がしだいに固まっていった。それは単に毛沢東を否定するのみならず、共産主義の金科玉条であるプロレタリア独裁の否定に先鋭化した。

 暴君としての毛沢東は、確かに悪だが、毛沢東という暴君を生み出し、その恣意的な権力乱用を可能にした共産党の一党独裁体制は、さらに悪、ということになる。
 だとすれば、毛沢東のような暴君が、二度と現れてこないようにするためにも、国家と人民が、二度と生き地獄に陥ることがないようにするためにも、こうした一党独裁の政治体制を打破し、国家の法制を整備し、人民に民主主義的権利を与えなければならない。
 それがすなわち、私たちの世代の若者たちが、心から信じた政治改革の目的であり、民主化運動の理念であった。

 中国の民主化運動がここまでつきつめたものだったとは、不勉強にして知らなかった。よく言われる欧米の影響といったものでは必ずしもなく、文革の深刻な反省から生まれたものだったらしい。

 もちろん、こんな運動を中国共産党が許すはずはない。毛主席は誤りをおかしたが、罪よりも功績の方が大きいというのが共産党の公式見解である。

 石平氏は大学卒業後、四川にもどって大学の助手となり、学生に対して民主化運動の啓蒙活動をはじめるが、大学当局から厳しい警告を受ける。さらに追い打ちをかけるように、1987年に胡耀邦が失脚する。

 天の配剤というべきか、石平氏は友人の引きで1988年に日本に留学するが、日本に来た翌年、天安門事件が起こる。

 石平氏は純朴な人柄らしく、読んでいて痛々しくなるが、救いは革命と文革で失われた中国の古典文化を日本に発見したことである。

 石平氏は成都の生まれだが、大学の教員をしていた両親が文革で下放されたために田舎の祖父の家に引きとられ、そこで小学校に通った。

 祖父は名医といわれた漢方医だったので紅衛兵の迫害を受けずにすんだが、孫である石平氏に秘かに本を暗記させた。意味を教えず、ただただ文章を書きとらせるだけだったが、そんな勉強をしていることは決して口外しないようにと厳命され、文章を書きとった紙は深夜、こっそり燃やすという念のいりようだった。

 石平氏は日本に来て、祖父が暗記させた文章が何だったかを知る。それは『論語』だった。そして、日本の書店の棚には『論語』に関する本がたくさんならび、中国人が弊履のように投げ棄てた「礼」が日本に残っていたことに気がつく。

 石平氏の日本文化開眼の条は感動的だが、こそばゆくもある。そんなに理想化してもらっては困るというのが正直な感想だが、中国の人々の喪失感がそれだけ深いということなのだろう。中国は遠藤誉氏が描きだした「大地のトラウマ」のようなことを半世紀にわたってつづけた。人心が殺伐とするのは当然である。共産主義という思想はどうしようもない。

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『売国奴』 黄文雄&呉善花&石平 (ビジネス社)

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 中国、台湾、韓国から日本に留学し、そのまま日本にとどまって、著述活動をつづけている三人の論客による鼎談集である。座談の記録なのですらすら読めるが、語られている内容は深く、時に腕組みをしながら読んだ。

 「売国奴」という表題は穏やかではないが、母国の側から見れば、日本から母国批判をおこなっているのだから、立派な売国奴である。黄文雄氏は台湾が民主化したので売国奴とは呼ばれなくなったが、韓国出身の呉善花氏と中国出身の石平氏は今現在、売国奴呼ばわりされているそうである。

 中国も、台湾も、韓国も、日本も漢字文化圏であり、漢語を基礎とする共通のボキャブラリーをもっているが、実はこの共通のボキャブラリーが曲者である。なまじ共通であるために、誤解が生じるからだ。

 たとえば「国家」という言葉である。日本人はごく当たり前に、近代的な国民国家の意味に解するが、他の国ではなかなかそうはいかない。

 たとえば、近代以前の中国には、今の日本人が考えるような「国家」概念は存在しなかった。中国人の念頭にあったのは「国家」ではなく、中原を中心とする「天下」という世界であり、天下観はあっても国家観はなかった。

 「国家」は『易経』に出てくる古い言葉だが、『易経』の中の「国家」とは朝廷のことであって、国民は含んでいない。杜甫の「国破れて山河あり」の「国」も朝廷を意味していた。

 そもそも中国には国名がなかった。秦や漢、明は王朝名であり、支那は地域名だった。清末になって、天下が全世界を覆っているのではないと気がつき、国名をどうしようという議論になった。その時、候補にあがったのは「大夏」、「夏華」、「中国」に三つで、三番目の「中国」が選ばれた。天下から近代的な国家にいかに転じるかが、中国近代知識人の思想的課題だったのだという。

 儒教思想も近代国家「国家」概念の定着を危うくしている。

 儒教の影響が中国よりも強い韓国では「孝」を最上位におくために、「国家」への忠誠という概念がなかなか受けいれられなかった。

 日本の場合は、ヨーロッパと同じように、戦士階級による中世的支配の期間が長かったので、先祖に対する「孝」よりも主君に対する「忠」が優先されるようになり、それが「国家」への忠誠に発展したが、韓国では「孝」の優位が崩れなかったので、家族の拡大版としての「国家」概念しか生まれなかった。

 微妙な話なので、呉善花氏の発言を引こう。

「というより、近代国家を形成するにあたって、どうしても家族への孝を国家への孝へと本格的に拡大する考えの必要性が生じたわけです。そういう孝の価値観による以外に、国家への忠誠というモラルを生み出すことができなかったんですね。孝を超える忠ではなく、国家への孝が忠となるということです。
 私が家の父に対して親孝行する、それを民族的に拡大したところで大統領が体現している国家に対して孝を尽くす。本来は家族と国家は次元の異なる世界なのに、韓国では連続するひとつの世界であるかのように感じてしまうんです」

 このように説明してもらうと、韓国の歴代大統領の身内が懲りもせずに汚職をする理由も、北朝鮮で金正日のことを「情愛あふれるお父様」と呼ぶ理由も、なるほどと納得できる。

 国家観が違うのだから、「売国奴」概念も日中韓で相当な隔たりがある。

 日本では「売国奴」は数ある悪口の一つにすぎないが、中国や韓国では泥棒呼ばわりされるよりもひどい、全人格を否定する最大級の罵倒語なのだそうである。

 中国ではもともとは「売国奴」ではなく「漢奸」(漢民族への裏切者)と言った。ところが天安門事件以後、「漢奸」という言葉を避けて、もっぱら「売国奴」と言うようになった。

 理由は少数民族問題だという。「漢奸」の代表としては女真族の建てた金朝と屈辱的な条件で講話を結んだ南宋の秦檜などがいるが、現在の中国では女真族も中国人なので「漢奸」は具合が悪いのだそうである。

 一方、韓国ではアメリカや中国の味方をして韓国を批判しても「売国奴」呼ばわりされることはなく、もっぱら日本限定だそうである。「日本を評価して韓国を批判することが売国奴となる」というのだ。

 反日の行方についても、中国と韓国ではずいぶん違う。中国共産党は時代時代によって「敵」をころころ変えてきた。最初は地主階級だったが、途中から国民党とアメリカになり、ソ連になり、日本になった。天安門事件以後の中国共産党は、抗日戦争を戦って民衆を救ったということにしか正統性の根拠を主張できなくなった。だから、中国共産党が潰れれば、中国の反日は消えると石平氏は言う。

 一方、呉善花氏は反日は韓国人のアイデンティティの一部になっているので、未来永劫絶対になくなることはないと語る。剣呑な隣国を持ってしまったものである。

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『中国動漫新人類』 遠藤誉 (日経BP社)

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 日本のアニメとマンガは今や世界中で注目されているが、特に子供向けの娯楽のすくなかった中国では爆発的に流行し、中国政府があわてるほどの影響力をおよぼすようになったという。

 表題の「動漫新人類」とは日本アニメと日本マンガを幼い頃から浴びるように見て育った中国の「80后」(1980年以降に生まれた世代)をさす。彼らは江沢民の愛国主義教育の申し子で、時として過激な反日行動に走るが、その一方、かつてないほど日本文化に影響された世代でもあるのだ。極端な反日と親日がどうして中国の若者の心の中に同居しているのか。本書は若者の日本動漫熱という視点から中国の反日の行方を見すえた本である。

 著者の遠藤誉氏は1941年満洲生まれの女性である。1953年に一家で帰国するまで中国で育ち、小学校で共産主義教育を受けた。成人してからは物理学の道に進み、筑波大と帝京大で教鞭をとったが、中国への思いから中国人留学生を担当したり、日本から中国に留学する学生のために『中国大学全覧』の編集にたずさわるようになった。

 著者は仕事柄多くの中国人学生に接していたが、1990年代半ばからある変化に気づいたという。それは日本動漫への熱中と愛国心の希薄化だ。以前の留学生は燃えるような愛国心と祖国を発展させようという使命感にあふれていたが、1990年代後半以降に日本にやってきた留学生は、愛国主義教育を受けているはずなのに、そして時として過激な反日的言動や行動に走ることがあるのに、日常ではクールな「現代っ子」になっていて、中国という国家を突きはなしてみるようになっていたのだ。

 著者はこうした中国の若者の気質の変化と日本動漫の流行が関係があるのではないかという仮説をいだくようになり、2005年から本格的な調査に着手した。その成果をまとめたのが本書である。

 この調査のために著者は『スラムダンク』を全巻読破したり、『セーラームーン』のDVDを最後まで見たり、ネットの掲示板をのぞいたりして、サブカルチャーの勉強をはじめたという。

 本書が貴重な試みであり、中国サブカルチャー情報の宝庫であることを評価した上で言うのだが、還暦を過ぎてからのにわか勉強は無理があったようで、首をかしげたくなるような記述がすくなくない。

 たとえば小泉首相の靖国参拝を機に中国で反日気運が盛りあがり、中国人クラッカーが日本のサイトを攻撃した事件。

 そして2001年2月16日18時、当時の小泉首相の靖国参拝と教科書問題を受けて、この「中国紅客聯盟」は、日本の中央行政官庁や議員あるいは日本の大企業やNTT等に関して、一気に激しいハッカー攻撃を開始した。そのハッカー行為は約10日間に及び、これら日本国家の生命線のようなサイトには、真っ赤な五星紅旗がヒラヒラとたなびき、ほとんどのパソコンの画面は赤旗で占領されてしまったのである。

 確かに中国からのDDoS攻撃でダウンしたサイトはすくなくなかったし、ホームページが改竄されたサイトもいくつかあったように記憶している。しかし、改竄されたといっても反日メッセージが書きこまれる程度だったし、それもすぐに修復され反日メッセージを目にした人はほとんどいなかった。まして「真っ赤な五星紅旗がヒラヒラとたなび」くというような派手なクラッキングなどはなかった。もしそんなことが起こっていたら、ネットは盛大な祭りになっていただろう。

 推測だが、中国のネットワーカーの間では「戦果」が白髪三千丈的に誇張されて語りつがれていて、当時の事情を知らない著者はそれを鵜呑みにしてしまったのではないか。

 日本アニメにボランティアで字幕をつける「字幕組」の活動をコミケの同人誌をやっている日本のマンガファンと「非常に似通っている」とするのも的外れだ。「字幕組」に相当するのは「字幕職人」と呼ばれる人たちである。

 また、ただ同然で手にはいる海賊版が日本動漫の普及の鍵となったという仮説を著者は世に受けいれられにくい大胆な仮説と考え、慎重に論証を進めているが、パソコンの歴史をふりかえれば自明のことであって、何をそんなに身構えるのかといぶかしく思った。もっとも、そのおかげで『海外における著作権侵害の現状と課題に関する調査研究』という統計を発掘することになったのだが。

 この統計もそうだが、著者はサブカルチャー理解の不足を補うために数字にこだわっていて、本書にはアニメやマンガに関する多くの統計が集められている。サブカルチャーの定量的な研究として、本書は後世に残るだろう。

 だが、本書の一番の読みどころはそこではない。日本動漫は入口にすぎず、本書の考察はさらに深いところに届いているからだ。

 日本動漫は1990年代に中国の子供たちの間で大ブームとなるが、この時期は江沢民政権によって愛国主義教育が徹底された時期でもあった。日本動漫ブームと愛国主義教育はたまたま時期を同じくしたのではなく、実はつながっていた。両者とも1989年の天安門事件の産物だったからである。

 中国では日本のアニメは1981年に解禁された。1980年代は改革解放の時代であって、西側の文化全般に門戸が開かれ、日本動漫の解禁もその一環だった。

 しかし、西側文化の流入は若者たちの意識を変え、民主化運動を生んだ。その結果が1989年6月4日の天安門事件である。

 民主化運動を大虐殺で抑えこんだ中国共産党は西側文化による若者の精神汚染を警戒し一度開いた門戸を再び閉ざしたが、日本動漫だけは規制されなかった。たかがマンガ、たかがアニメと油断したからである。

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2008年05月30日

『「反日」解剖 歪んだ中国の「愛国」』 水谷尚子 (文藝春秋)

「反日」解剖 歪んだ中国の「愛国」 →bookwebで購入

 四川地震に日本が救援隊を派遣したことで中国ではにわかに親日ムードが盛り上がり、ふだんは日本を罵倒する発言だらけのネットの掲示板にも日本に感謝する書きこみがあふれたという(『大陸浪人のススメ』というblogに文体まで再現した紹介がある)。

 だが、一夜にして生まれた親日ムードは一夜にして反日に転じかねない。長野の聖火リレーに結集して五星紅旗を振りまわし、日本人を旗でくるんで袋叩きにする蛮行におよんだ中国人留学生の豹変ぶりがネットで伝えられるのを読むにつけ、中国の若者に刷りこまれた反日の根深さに暗澹たる思いをいだかざるをえない。

 本書は『中国を追われたウイグル人』の水谷尚子氏が反日の実態について現地の関係者に広く取材して書いたルポルタージュであり、やはり大変な労作である。

 反日活動家のみならず、次々と作られている反日ミュージアム、反日映画、その反日映画で日本兵を演じてきた悪役専門の俳優たち、反日をテーマにしたコンピュータ・ゲーム、さらには日本人が巻きこまれる中国麻薬事情まで、実に多彩な事例をとりあげているが、第一章で紹介される三つの反日事件には慄然とした。

 三つの反日事件とは西安寸劇事件、北京サッカーアジア杯決勝戦暴動事件、上海日本人留学生殺人未遂事件である。西安寸劇事件の日本人狩りやアジア杯決勝戦の暴動のすさまじさは日本の報道をはるかに超えるものだったらしい。だが、まだ話題になったからいい。三番目の上海日本人留学生殺人未遂事件の方は小さく報道されただけで、そんな事件があったことすらほとんど知られていないのではないか。

 事件は2005年4月9日に起こった。華南師範大学に留学していた白木優志さんが友人と大学近くの飲食店で食事をしていたところ、見知らぬ中国青年から「お前たちは韓国人か日本人か」と聞かれ、日本人だと答えると、突然ビール瓶で後頭部を殴打された。犯人はもう一人の仲間とともに、倒れた白木さんの頭をビール瓶が割れるまで執拗に殴りつづけ、止めにはいった白木さんの友人たちにも椅子を振りまわして暴力をふるった。

 公安がやって来て事件の当事者たちを派出所にワゴンで連れていたが、車中、警官は被害者を「小日本人」とか「日本人は殴られて当然だ」と罵倒しつづけた。

 事情聴取でも差別的なとりあつかいがあった。二人の犯人は逮捕もされず、すぐに返されたのに対し、吐き気や眩暈がすると訴える白木さんをなかなか病院に連れていかなかった。やっと連れていった病院も外国人向けの診療窓口のある病院ではなく、近場の一般病院で、病院のエレベータの中では日本人は精神病だと嘲った。派出所にもどる際は、車の振動で傷が痛むという訴えに対し、警官は数十分にわたって急発進、急ブレーキ、急旋回をくりかえしたという。

 その後、長時間の取調べがつづいた。白木さんは領事館に連絡したが、「一つに対応すると全ての事件に対応しなければならなくなるため、行くことができない」と断られた。白木さんたちは領事館の助けのないまま、難解な法律用語の出てくる中国語で調書をとられ、サインをさせられた。

 「一つに対応すると全ての事件に対応しなければならなくなる」という言葉からすると、白木さんたちが巻きこまれたような暴力事件はよく起こっていて、泣き寝入りしている被害者が他にもいるのかもしれない。

 公安側は飲食店の女性従業員と白木さんがつきあっていたことから、四人が二人に暴力を受けた傷害事件ではなく、一人対一人の色恋沙汰で片づけようとし、事件の二日後、ようやく面会した領事館員も、公安の筋書きでの決着を迫った。法人保護よりも「日中友好」を優先したのである。

 長野の聖火リレーでは長野県警は中国人留学生の道路交通法違反行為や、日本人に対してふるった暴力は黙認し、日本人とチベット人だけを逮捕したが、上海の日本領事館も「日中友好」のために日本人を見捨てたのである。「日中友好」といっても、所詮は経済進出にすぎないのだが。

 もっとも「日中友好」と称する実利のために国民を押さえつけているのは中国政府も同じだ。

 中国政府は「愛国主義教育」の名のもとに学童に反日ミュージアム詣でをさせ、反日映画をテレビでくりかえし流す一方、反日活動家に対しては活動を制限しようとしている。

 日本では反日活動家は中国当局に黙認されているとか、支援されているという見方があるが、実態は異なるようである。本書には反日活動家が多数登場するが、政府の支援を受けるどころか公安の監視下におかれ、多くは職を失い、不安定な生活をおくっている。

 当局が特に目を光らせているのは経済交流を妨害するような活動だ。日本から新幹線技術を導入しようという計画に反対するインターネット上の署名活動は、単なる署名の段階でつぶされた。この運動は日本に対する感情的な反発からではなく、国産技術を育てるべきだという建設的な動機から生まれたにもかかわらずである。

 支援しているのは下積み生活をしているような恵まれない人々のようだ。飲食店で著者がインタビューしていると、見知らぬ青年が「大哥アニキ、ぜひ飲んでください」と飲み物を差し入れにきて、日本人である著者に蔑みの目を向けてくることがあったと書いている。

 中国の一般民衆は政府が反日活動を抑えようとしているのを知っているので、反日活動家の釣魚島(尖閣諸島)上陸のニュースなどは喝采するが、自分の子供が反日活動にかかわろうとすると絶対に止めるという。

 中国の若者が日本に対して反感を持ったきっかけは、学校の校外学習でゆく反日ミュージアムで見た残虐な展示のようである。多くの反日活動家がそう答えているし、反日ミュージアムを運営する側の人間も子供たちが展示を恐がり、お化け屋敷になっているとぼやいているほどだ。

 「愛国主義教育基地」と呼ばれる反日ミュージアムは江沢民時代の「愛国主義教育」で急増した。全国級、省級、市級、地方政府(区・鎮)級と、さまざまな行政単位で設置していて、すべて合せると数千になるらしい。

 展示内容は行政単位が末端になればなるほど怪しくなるという。全国級の北京の中国人民抗日戦争記念館でも、同館が編纂した論文集には田中上奏文が偽文書であることを指摘した論文を載せているのに、展示の方では本物あつかいしているそうだ。全国級でこれでは、推して知るべしだろう。

 なぜ江沢民は反日教育を広めたのか。著者は江沢民が国家主席に出世するきっかけとなった1989年の天安門事件が影響していると述べている。

 確かに、「愛国教育」ならば中華民国時期にも存在していたし、「愛党教育」ならば中華人民共和国の建国初期の方が、いま以上に組織だって広範に行なわれていた。それらと「愛国主義教育」が異なる点は何なのか。それは一言でいえば、この時期の「愛国主義教育」は、共産党政権への信頼が揺らぎつつあるという深刻な危機感のもとで行なわれているという点である。つまり、教育の最大目的は、求心力の低下した共産党政権を延命させることにある。中国の明日を担う青年層に、「共産党がなければ中国はあり得ない」と、政権の「正統性」を認識させるには、ことさら抗日戦争における党の功績を強調せねばならなかった。

 現在の胡錦濤政権は四川大地震の外国救助隊の受けいれ第一号に日本を選び、日本隊に好意的な報道をさせるなど、反日の方針を転換しようとしているようである。

 週刊文春や週刊新潮の伝えるところによると、現地の人民解放軍は最新の装備をもって乗りこんだ日本隊を生存者の見こめない地区を転々とさせ、活動を陰に陽に妨害したという。テレビや大新聞は日本隊が中国の民衆に歓迎されているとしか報道しないが、実情はそんなところだろう。

 反日教育という負の遺産は日中関係に今後も喉に刺さったトゲのように、日中両国を悩ましつづけるにちがいない

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『中国を追われたウイグル人』 水谷尚子 (文春新書)

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 世界各地に散った13人の亡命ウィグル人にインタビューした聞き書き集であり、大変な労作である。

 新疆ウイグル自治区をとりあげた本はけっこうあるが、ほとんどがシルクロード紀行的な本で、わずかに今村明の『中国の火薬庫』と陳舜臣の『熱砂とまぼろし』が一般読者向けに近代史を紹介している。ウイグル人の現況を伝えた本は本書が最初かもしれない。

 著者の水谷尚子氏は日中関係史の研究者で、731部隊や反日活動家に関する本をこれまでに発表しているという。『諸君』や『SAPIO』のような保守系メディアに記事を書くようになったので恩師から「破門」されたということだが、左翼から右翼に転向したということではなく、関係者に直接あって話を聞くという「現場主義」に徹しただけだという。実際、ウイグル問題では『世界』や毎日新聞のような左翼メディアがいちはやく報道していたことを評価している。

 チベットの場合、ダライ・ラマと亡命政府を中心にまとまり、国際的に支持を集めているが、ウィグルには中心となる組織がなく、象徴となるような人物もいない。ウイグル人はトルコ系民族のイスラム教徒なので、よけいわかりにくいが、『コーラン』を持っているだけで罪になるなどの宗教・民族文化の弾圧状況と、残忍無道な弾圧はチベットと変わらない。中国共産党は弱い相手は徹底した残虐に痛めつける。

 イスラム教徒とトルコ系民族ということから、ソ連から独立した中央アジアのイスラム教諸国やトルコの支援を受けているのだろうとか、拠点をもっているのだろうと漠然と思いこんでいたが、実情はまったく違うようである。

 そのことを端的に示すのは、アフガニスタンで米軍に捕らえられ、グアンタナモ基地に拘留されていた5人のインタビューである。

 アフガニスタンのような危険なところに入国すること自体、われわれの感覚から見れば不可解であり、アルカイダとの関係を勘ぐりたくなるが、彼らは中央アジアに出稼ぎにいったものの、悪徳警官から中国に強制送還するとぞ賄賂をせびられ、生活に窮していた。中央アジア諸国は上海協力機構に加盟後、親中国に転じ、ウイグル人を摘発するようになった。新疆にもどろうにも、独立運動との関係を疑われるので、帰国できなくなっていた。

 アフガニスタンには厳しい入国審査がなく、イスラム神学生の作った国という期待があったので、中央アジアで食いつめたウイグル人の吹きだまりになっていたそうだが、アフガン戦争がはじまると、地元民は助けてくれるどころか、一人五千ドルでウイグル人を米軍に売りわたした。イスラム教の連帯は看板倒れのようである。

 アメリカは2002年にはアフガニスタンのウイグル人とアルカイダが無関係だという確証をえていたが、無実なだけにあつかいに苦慮した。グリーンカードをあたえてしまうと、グアンタナモ基地に拘留している他の無実の捕虜にもあたえなければなくなるからだ。多くの国に受け入れを打診したが、中国との関係悪化をはばかって受け入れるところがなく、2005年になってようやくアルバニアが5人を引きうけることになった。

 トルコもあてにならない。以前はトルコ民族の宗主国としてウイグル人を受けいれ、いくつもの亡命者団体が本部を置いていたが、中国と友好条約を結んで以後は状況が一変した。本書に登場する「世界ウイグル会議」事務局長のドルクン・エイサ―と、新疆随一の人気コメディアンだったアプリミットはトルコからドイツに、新疆の核汚染の告発をおこなったアニワル・トフティ医師は英国に再亡命している。

 ヨーロッパでの亡命生活も楽ではない。アニワル・トフティ医師は高名な心臓外科医だったが、英国は外国医師免許を認めないので、皿洗いで暮らしている。ドルクン・エイサ―は妻に生活費を稼いでもらい、昼は「世界ウイグル会議」の事務局につめ、夜はピザ・ハットの配達をやって活動費を捻出している。インドに脱出した亡命者に緊急に生活費を送らなければならない時は、売血することもあるという。事務局長が売血で金を作るとは、いやはや。

 ウイグル人亡命者がインドに逃げるのは上海協力機構のために中央アジア・ルートが使えなくなったためだ。中国に弾圧されている者どうしの連帯で、チベット人がヒマラヤ越えの手引きをしてくれるのだという。

 これまで顔となる人物のいなかったウイグル人亡命組織だが、ラビア・カーディル女史を中心にまとまりつつあるらしい。彼女はノーベル平和賞の有力候補の一人だという。

 ラビア・カーディル女史はかつては「中国十大富豪」の一人ともてはやされ、全国政治協商会議委員などの栄職を中国共産党からあたえられていたが、懐柔されないとわかるや、新聞の切り抜きを外国に送っただけなのに「国家安全危害罪」をでっちあげられて投獄された。彼女は有名人だったので身体的な拷問は受けなかったが、若い政治犯の拷問を見せつけるという精神的な拷問をくわえられた。

 わずか十六歳のシェムンナという美しい少女を、公安がひどく殴っているのを見ました。彼女は敬虔なムスリムで、黒いベールをかぶり、断食礼拝をし、子供にイスラムの教義を教えたかどで、政治犯として投獄されたのです。彼女の悲鳴に「おまえの娘の声が聞こえるだろう」と公安は嘲笑いました。ある時は、手と足を一緒に鎖で繋がれた姿で、大きく前屈みになって歩かされていました。惨めな姿のまま、彼女は目で私に挨拶しながら通り過ぎて行きました。そのように、公安はわざと若い政治犯の惨めな姿を私に見せるのです。

 彼女は2005年のライス訪中の直前、釈放され、アメリカへの出国を許されたが、その年の終わり、不可解な自動車事故で重傷を負う。乗っている車に大型バンが三回も衝突してきたというのだから、間違いなく故意だろう。亡命ウイグル人の周囲では謎の交通事故がすくなくないという。

 ウイグル問題が世界で知られるようになったのは1998年に英国で製作された「シルクロードの死神」Death on the Silk Roadという、新疆の核汚染を告発したドキュメンタリー番組がきっかけだという。

 中国は新疆で1980年まで地上核実験をつづけてきた。漢人の居住区が風上になる時にしか実験をおこなわなかったというが、原爆症のような症状は漢人にも出ているという。

 この番組の取材に協力し、亡命せざるをえなくなったアニワル・トフティ医師は次のように語っている。

「中国では被爆者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし、国家から治療費も出ない。中国政府は『核汚染はない』と公言し、被害状況を隠蔽しているので、海外の医療支援団体は調査にも入れない。医者は病状から『放射能の影響』としか考えられなくとも、カルテに原爆症とは記載できない。学者は大気や水質の汚染調査を行うことを認めてもらえないから、何が起きているのか告発することもできない。このように新疆では、原爆症患者が三十年以上放置されたままなのだ」
「被爆国日本の皆さんに、特に、この悲惨な新疆の現実を知ってほしい。核実験のたび、日本政府は公式に非難声明を出してくれた。それは新疆の民にとって、本当に頼もしかった。日本から智恵を頂き、ヒロシマの経験を新疆で活かすことができればといつも私は考えているけれど、共産党政権という厚い壁がある」

 日本の非難声明が知らないところでウイグル人を力づけていたとはうれしいが、しかし「シルクロードの死神」は日本では放映されていない。世界83ヶ国で放映され、ローリー・ペック賞などの賞を受賞しているのに、なぜ被爆国である日本で見ることができないのか。

 反核団体は何をしているのか。かつて日本共産党は資本主義国の核兵器は汚い核兵器だが、中国の核兵器はきれいな核兵器だと世迷い言を吐いたが、今でもそんな認識なのだろうか。

 そもそもNHKは何をしているのか。NHK BS1には海外ドキュメンタリーを流す枠があるが、この番組が放映されたことはなかったと思うし、検索しても出てこなかった。NHKは中国共産党がもちあげていた頃のラビア・カーディル女史を『中国 12億人の改革開放』で経済発展の旗手としてとりあげたそうだが、投獄されて以後については無視を決めこんでいる。その一方で「日中友好」を謳った紀行番組は手を変え品を変え再放送している。そんなに中国におもねりたいのか。中国のご機嫌とりしかできない偏向放送局に受信料など払う必要はない。

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