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2008年02月26日

『史上最悪のインフルエンザ』 アルフレッド・W・クロスビー (みすず書房)

史上最悪のインフルエンザ →bookwebで購入

 新型インフルエンザの関連でスペイン・インフルエンザが注目されているが、本書はスペイン・インフルエンザを歴史の観点からあつかった最初の著作である。初版刊行は1976年だが、30年以上たった現在でも読みつがれており、この分野の古典といってよいだろう(邦訳では「スパニッシュ・インフルエンザ」と表記されているが、本欄では速水融氏の提唱する「スペイン・インフルエンザ」という呼称で統一する)。

 スペイン・インフルエンザは第一次大戦さなかの1918年春、アメリカのシカゴ近郊で誕生したと著者は考えている(現在では必ずしもそう考えられてはいない)。スペイン・インフルエンザは普通のインフルエンザとは異なり、若者を狙い撃ちにした。感染の温床となったのは軍の訓練キャンプだった。当時、アメリカは毎月20万人以上の兵士をヨーロッパ戦線に送っていたが、訓練キャンプで蔓延し、アメリカ兵とともに大西洋をわたった。そして、長引く戦争で疲弊していたヨーロッパで感染爆発を起こした。高病原性を獲得した株が生まれ、1918年秋に第二波、1919年秋にはさらに激症化した第三波が全世界に拡がり、犠牲者はすくなく見積もっても2500万人にのぼるとされている(クロスビーの推計では4000万人)。

 スペイン・インフルエンザは弱毒型であり、子孫が数年おきに流行しているので、風邪の延長のように思いがちだが、出現当初は風邪とは次元の違う病気だったらしい。罹患すると5人に1人が鼻血を出し、重症者のベッドは鼻血と血痰で血まみれ、死亡して死後硬直がはじまると鼻から血の混じった液体が染みだしてきて、遺体を包んだ布を赤く染めたという。初期に治療にあたった医師が肺ペストを疑ったのもむべなるかなで、クロスビーはウィルスに襲われた都市の惨状を「グランギニョール的カオス」と形容している。弱毒型でここまで凶悪では、強毒型になると予想されるH5N1の新型インフルエンザはどうなるのだろうか。

 スペイン・インフルエンザの蔓延には第一次大戦が影響している。若者を過密に詰めこんだ兵営は感染のかっこうの温床になったが、もっとひどいのは兵員輸送船だった。軍当局は乗船一週間前からヨーロッパに送る部隊を隔離し、罹患の疑いのある兵士を出航直前までふるい落していったが、潜伏期があるので感染を防ぐことはできなかった。大西洋を横断するのに8日かかったが、出港後数日たつと患者が増えすぎて隔離が不可能になり、全乗員の1%以上が洋上で死んだ。フランスについても10%は自力では下船できずに入院、死亡者が続出した。

 アメリカ本土では兵営を中心に感染が広まっていったが、戦費調達のためにたびたびおこなわれた戦時公債販売促進のためのイベントが感染に一役買った。医師や看護士も不足していた。医師の25%が軍に動員されて出征し、感染爆発がはじまると医師と看護士自身がどんどん罹患して倒れていった。自治体によっては遺体の埋葬が追いつかなくなり、平時の6倍の金額をふっかける葬儀屋まであらわれた。

 ヨーロッパでは四年つづいた総力戦で人々の抵抗力が落ちていた上に、十分な医療を受けることができなくなっていた。そこへ狙いすましたように、スペイン・インフルエンザが襲いかかった。

 スペイン・インフルエンザのパンデミックは第一次大戦が促進したといっていいいが、第一次大戦の方もスペイン・インフルエンザに影響された。第二波の流行はドイツ軍の戦線が崩壊した時期にあたり、大戦の終結を早めたといわれている。

 クロスビーはパリ講和会議にもスペイン・インフルエンザが影響したと考えている。講和条件は実質的にはアメリカ、英国、フランス、イタリアの四首脳の秘密会議で決められたが、ドイツに対する天文学的な賠償金とラインラント占領に反対していたアメリカのウィルソン大統領が会議の終盤、スペイン・インフルエンザで病床につき、阻止できなくなったというのだ。

 首脳会議が参加者の個人的資質に影響される部分が大きいのは確かだが、ウィルソン率いる民主党は1918年秋の選挙で負けており、後に国際連盟加盟も否決されている。ウィルソンがスペイン・インフルエンザで倒れなかったとしても、ドイツに対する懲罰的な処分を押しとどめることができたろうか。パリ講和会議への影響は話半分に受けとっておいた方がよさそうだ。

 抗ウィルス剤が開発されるまでインフルエンザに対抗する手段はマスクとワクチンしかなかったが、当時のマスクはウィルスを素通しするガーゼマスクだった。サンフランシスコでは公共の場でマスクの着用を義務づける条例が可決された。たまたま第二波の終息期にあたっていたのでマスクには効果があるということになったが、第三波の流行がはじまると効果がないことがわかり、マスクを強制する警官とマスクを嫌がる市民の間で衝突がくりかえされた。

 ワクチンは作られたことは作られたが、標的を間違えていたので効果はなかった。1890年のインフルエンザ流行の直後、細菌学の権威であるファイファーが患者の痰の中から桿菌を発見し「インフルエンザ菌」と発表したため、当時はその細菌がインフルエンザの原因と誤解されていたのだ。

 マスクもワクチンも駄目となると、残された手段は検疫だけである。オーストラリアはいちはやく厳重な検疫体制を確立し、第一波と第二波は水際で阻止したが、第三波は二ヶ月もちこたえたものの上陸を防ぎきれなかった。しかし、時間を稼ぐことはできた。第一波の直撃を受けたニュージーランドとは被害の規模が違う。

 明暗をわけたのは太平洋の島々である。もともと離島の先住民は伝染病に弱いが、オーストラリアの保護下にあった島はほとんど被害を受けなかったのに対し、ニュージーランドの保護下の島では甚大な被害を受けた。

 たとえば、サモア諸島。サモア諸島は東側をアメリカが、西側をドイツが領有していたが、第一次大戦が勃発するとドイツ領サモアはオーストラリアとニュージーランドに分割された。オーストラリア領サモアとアメリカ領サモアはウィルスの上陸を阻止したが、ニュージーランドは検疫の重要性を理解しておらず、島民の20%がインフルエンザで死亡した。

 本書の邦題には「忘れられたパンデミック」という副題がついているが、これは1989年に刊行された原著第二版の題名 America's forgotten Pandemic にもとづく。これだけの犠牲を出した世界的疫病だったのに、スペイン・インフルエンザは経験が後の世代に継承されず、1989年の時点でも「忘れられたパンデミック」だったのである。

 本書の最終章はなぜスペイン・インフルエンザが忘れられたかをテーマにしている。クロスビーはいくつか理由をあげているが、もっとも大きいのは第一次大戦と重なったことと、数ヶ月で終息するインフルエンザの疫学的特質の二つだったようである。第一次大戦はスペイン・インフルエンザの忘却にもかかわっていたのである。

 今、H5N1インフルエンザのヒト型化が焦眉の問題となっており、さまざまな情報が飛びかっているが、こういう時期こそ歴史をさかのぼり、過去の失敗に学ぶべきだろう。本書はウィルス学的には古くなったとはいえ、多くのことを教えてくれる。

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