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2008年01月31日

『古代マヤ文明』 マイケル・D.コウ (創元社)

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 マヤ学の泰斗、マイケル・コウによる入門書で、1966年の初版以来、40年にわたって読み継がれてきたという。邦題に「図説」とはうたっていないが、『図説 アステカ文明』と同じくらい図版が豊富で、やはりアート紙に印刷されている。

 この40年間にマヤ学では新遺跡の発見があいつぎ、さらにはマヤ文字が解読されるという大事件があった。コウはマヤ学の進歩にあわせて本書の改訂をつづけ、1999年に第六版を刊行している。専門家の間では「マヤ第六版」という略称で呼ばれているそうだが、邦訳もこの「マヤ第六版」を底本にしている(現在 入手できるペーパーバック版は2005年発行の第七版)。

 マヤ学の近年の進歩は急激なだけに、大きな改訂がおこなわれているようだ。たとえば、マヤの先行文明であるオルメカ文明の位置づけ。チャールズ・マンは『1491』で本書の第五版(1994年)の「オルメカ以降のメソアメリカの文明は、アステカもマヤもすべてオルメカを基礎にして成立したものである」という記述を時代遅れと批判している。かつてはオルメカ文明をメソアメリカ諸文明の「母」と考えられていたが、現在は「姉妹文明」の一つという見方が有力なのだ。この箇所は第六版を邦訳した本書では「姉妹文明」説を考慮した記述に改められている。

 オルメカがメソアメリカの「母文化」であったかどうかは別にしても、とにかく、マヤを含めて他の多くの文明が、究極においてはオルメカ文明の恩恵をうけていることは間違いない。

 こうした改訂の努力をつづけているからこそ、本書は長らく基本図書の地位を保ちつづけているのだろう。

 『図説 アステカ文明』は通時的視点と共時的視点の二部構成をとっていたが、本書はプロローグでマヤの自然条件や民族、言語の分布を解説した後は、一貫して時間軸にそって語っている。アステカ帝国は建国から三百年でスペイン人にあっけなく滅ぼされてしまうが、マヤの場合、政治的に統一されたことは一度もなく、数々の都市国家が興亡をくりかえす歴史が1500年以上もつづいたので、こういう書き方になったのだろう。

 1500年以上つづいたというと、いぶかしく思う人がいるかもしれない。マヤ文明は10世紀に滅んだのだから、1000年程度ではないかというわけだ。

 ところが10世紀に滅んだのは中部マヤだけで、南部と北部ではしぶとく都市国家が生き残っていたのである。これを後古典期という。

 それだけではない。マヤはスペインに征服された後も頑強に抵抗をつづけ、メキシコ独立後も中央の政権に対して反乱をくりかえしている。コウは1994年に結成されたサバティスタ民族解放軍もマヤの流れを汲む運動と位置づけている。

 南部マヤはグアテマラに含まれる。グアテマラ政府はマヤを弾圧し、大虐殺も辞さなかったが、1995年にいたってマヤに寛容な政権が誕生し、義務教育でマヤ語を教えるようになったという。カトリック一辺倒だったラテンアメリカ諸国の中ではじめて多文化国家に向かう方向が示されたわけである。

 コウは本書の随所でマヤ人の神秘的な精神世界を語っている。現代のマヤにもシャーマニズムが生きているようである。

 マヤの神秘思想がここまでわかってきたのはマヤ文字が解読されたおかげである。マヤ文字については簡単な説明しかないが、日本の文字と同じ折衷的な表記体系のようである。コウには『マヤ文字解読』という本があるので、ぜひ読んでみたい。

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『図説 アステカ文明』リチャード・F.タウンゼント(創元社)

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 アステカ文明を簡潔に紹介した概説書である。著者のリチャード・タウンゼントはメキシコ先史時代美術の専門家で、シカゴ美術院で主事をつとめているということだが、本書のあつかう範囲は美術のみならずアステカの歴史・文化全般におよんでいる。「図説」をうたうだけに図版が多く、眺めているだけでもおもしろい。アート紙に印刷しているので鮮明だが、その代わり本が重くなった。電車の中で読むのはきつい。

 前半は歴史をあつかっている。コルテスによる征服と帝国の終焉を語った後、先行文明であるテオティワカン文明から説き起こし、メキシコ盆地に遅れて移住してきた四部族が連合して建国した経緯を語り、帝国の全盛時代に筆を進めていく。帝国といっても服属する諸部族の連合体にすぎず、つねに内部対立をはらみ、それが少数のヨーロッパ人にやすやすと征服される遠因となった。

 後半は時間軸を離れ、共時的な視点からアステカ人の生活を描いている。まず、神話手がかりに精神世界の深みにわけいった後、庶民の日常を紹介し、支配階級である祭司・戦士・貴族を語っている。

 中央アメリカのピラミッドはエジプトと違って、古いピラミッドを覆うように新しいピラミッドを築き、何重もの入れ子構造になっている。こんな建て方をするのは労力を節約するためと説明されることが多いが、著者によるとそれには霊的な意味あいがあった。

 メソアメリカのピラミッドに特有の特徴のひとつが、何十年、何百年にもわたって、古いピラミッドの上に次々と新しい層を重ねていくことであった。最初は聖地には小さな建物があるだけだが、やがて外側が新しい構造物で覆われて、もとの建物は彫刻や供物や宗教用具もろとも「埋まって」しまう。このような建造物は、内部に何代にもわたる「蓄積」があるため、造る側の人々にとっては霊的な力の宿る特別な建物と感じられるようになる。

 この説明はよくわかる。古いピラミッドを破壊しない理由はこれ以外に考えにくいと思う。

 アステカには絵文字もあったが、基本的には語りの文化であり、学校ではもっぱら説得力のある語り方を教えた。語りをつきつめていくと詩になるが、アステカの詩は隠喩が中心であり、隠喩の体系が図像や儀式、絵文字をも決定しているという。たとえば「ヒスイのスカート」は水の隠喩だが、湖水の女神チャルチウトリクエはヒスイのスカートをはいた姿であらわされ、儀式でチャルチウトリクエに扮する神官は緑色のスカートをはいたということである。北米インディアンの詩集を読んだことがあるが、やはり隠喩が中心だったように記憶している。アステカは北米インディアンとも交流があったわけで、共通する語法をもっていたのだろう。

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2008年01月30日

『衝撃の古代アマゾン文明』 実松克義 (講談社)

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 いかにもという題名と著者が考古畑でない点で損をしてるが、南北アメリカ大陸の歴史のみならず、今後の環境問題を考える上できわめて重要な意義をもった本である。

 著者の実松克義氏は宗教人類学者で、現代のシャーマンの聞きとり調査をもとに古代マヤの精神世界を探るという興味深い研究を行なっている人である。考古学プローパーのマヤ学者から見ればエッジな試みであり、敬遠する向きもあるかもしれないが、『マヤ文明 新たなる真実』をはじめとする一連の著書は驚くべき洞察にみちており、マヤに関心があるなら一読する価値がある。

 実松氏は現代アンデスのシャーマンから、インカの最もすぐれたシャーマンはスペイン人から逃れるためにアマゾンに向かったという口碑を教えられ、アマゾン上流域に関心をもっていたという。2000年にはじめてペルー・アマゾンを訪れるが、そこでアマゾン中流域のボリビアのモホス平原に謎の遺跡群があるという話を耳にし、8月にボリビアのトリニダードに旅行する。わずか数日の滞在だったが、大規模な水利施設とおぼしい遺跡と現地の考古学者の話から古代モホス文明の存在を確信し、翌年から予備調査をはじめ、2005年から考古学者の参加をえて、ボリビア国立考古学研究所と共同の「モホス・プロジェクト」を立ちあげている。

 モホス・プロジェクトはロマと呼ばれる遺構から身長180cmで、額の位置に金属円盤をつけたシャーマンとその従者とおぼしい人骨を発掘するなど成果をあげており、TBSによって2006年3月、2007年5月、12月の三回、特番が放映されているが、本書は著者がプロジェクトに着手する前年の2004年に出版されているので、独自の調査内容といえるものは含まれておらず、あくまでモホス文明を紹介した紀行文にとどまっている。

 わたしは本書をTBSの最初の特番が放映された直後に読んだが、今回再読して『1491』と重なる部分が多いことを確認した。テラ・プレータの話題はもとより、アマゾン河口のマラジョー島で大規模な農業遺構を発見したアンナ・ルーズベルトと保守的なベティ・メガーズの確執もちゃんと書いてあった。モホス文明のくだりはどちらもウィスコンシン大学のデネヴァンの"Cultivated Landscapes of Native Amazonia and the Andes"(2003)の業績をもとにしているということなので、ニュアンスの差こそあれ大体同じことが書いてある。専門家の「常識」を書いたという『1491』の著者の断り書きがはからずも裏づけられたわけだ。

 モホス文明を日本に最初に紹介した意義は大きいが、あれもこれも盛りこみすぎているし、写真が不鮮明でテレビの迫力ある映像にはおよびもつかない。モホス・プロジェクトの成果を一日も早く出版してもらいたい(付記:2010年に『アマゾン文明の研究―古代人はいかにして自然との共生をなし遂げたのか』が刊行された)。

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2008年01月29日

『1491』 チャールズ・マン (NHK出版)

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 1492年、コロンブスの率いる船団は大西洋を横断し、カリブ海のサン・サルバドル島に到達した。いわゆる「コロンブスのアメリカ発見」だが、一万数千年前から南北アメリカ大陸に住んでいた先住民にとっては災厄以外のなにものでもなかった。

 旧大陸の伝染病に免疫のなかった彼らはヨーロッパ人のもちこんだ天然痘や麻疹、インフルエンザなどの感染爆発にくりかえしみまわれ、社会が崩壊するほどの打撃を受けた。インカ帝国やアステカ帝国がわずか数百人の征服者に屈し、伝統的な信仰を捨てて新来のキリスト教を受けいれたのも、伝染病による大量死と社会不安があったからこそだった。征服された先住民は土地を奪われ、奴隷にされ、多くは今も社会の最下層であえいでいる。

 500年後、コロンブスがもたらした災厄を検討したトーマス・バージャーの『コロンブスが来てから』やロナルド・ライトの『奪われた大陸』のような本が出版された。いずれも鬼気迫る内容だったが、その後も発見がつづき、コロンブス以前の南北アメリカ大陸の驚くべき姿が明らかになってきている。

 今回とりあげる『1491』は先コロンブス期アメリカに関する最新の研究成果を一般向けに紹介した本である。著者のチャールズ・マンは考古学者でも歴史家でもなく、科学ライターだが、専門家の間では常識となっていることが一般読者にはまったく知られていない状況を憂慮し、本書を書いたという。

 何が新しい常識なのか。

 アステカやインカ、マヤに高度な文明があったことは今ではよく知られている。日本でも毎年のように展覧会が開かれているし、TVでは季節の変わり目ごとに謎の文明を探訪する特番が放映されている。

 だが、それ以外の地域――南アメリカのアマゾン河流域や北アメリカの大平原、ミシシッピー河流域等々――となると、原始的な狩猟採集生活か焼き畑農業がせいぜいで、人口もすくなかったという認識が一般的だった。

 しかし、そうではなかった。たとえば、アマゾン河の河口にはマラジョー島という日本の九州よりも大きな島が鎮座しているが、ここで大規模な農業遺構が発見されているのである。マラジョー島だけでなく、アマゾン流域にはモモミヤシのような果樹が高い密度で分布しているが、これらは人為的に改良された栽培種だという。先住民は何百年間も森に果樹を植えつづけ、熱帯雨林を住みやすく改造していたのだ。

 熱帯雨林地帯は大量に降る雨のために養分が洗い流され、焼き畑農業くらいしかできないと考えられてきたが、テラ・プレータと呼ばれる作物のよく育つ黒い土が数十センチから数メートルの厚さで堆積している地域が各所に残り、現在でも高い農業生産性をあげている。テラ・プレータは大量の炭と土器片を含み、有機物を保持することができるが、これは明らかに人為的に改良された土である。土壌に炭をすきこむというと焼き畑が頭に浮かぶが、焼き畑のような強い火力で森を焼いてしまうと炭素の多くは二酸化炭素になり、テラ・プレータを作れるほどの炭が残らないという。テラ・プレータを今でも作っているカヤポー族という種族がいるが、彼らは引き抜いた草や崩した白蟻の塚、ゴミなどを特別な焼き方で長時間かけていぶしている。熱帯雨林の痩せた土を沃土に改良する技術を先住民は確立していた。

 アマゾン中流域にあたるボリビアのモホス平原は粘土質の土壌の上に、雨期には水没するために、放牧地くらいにしか使えず未開の原野となっているが、ここでも大規模な農業遺構が発見されている。

 モホス文明については実地調査をおこなっている実松克義氏が『衝撃の古代アマゾン文明』という本を出版しているし、三年前からTBSが特番でとりあげているので、ご存知の方もすくなくないだろう。先住民はここでも自然を作りかえていたのである。

 1541年、最初のアマゾン河下りを敢行した遠征隊の記録には一日に20以上の村を見たとか、数千人の住む町がいくつもあったとか、おびただしいカヌーがゆきかっていたという記述があったが、狩猟採集や焼き畑では大人口は養えないという先入観からほら話で片づけられてきた。だが、近年の発見からすると、記録は事実だった可能性が高い。

 高度な農業施設を維持していくには多くの人口と整備された社会組織が必要だが、ヨーロッパ人のもちこんだ伝染病とヨーロッパ人による奴隷狩りで先住民社会は壊滅してしまった。現在、アマゾン流域の熱帯雨林で焼き畑をやったり、狩猟採集をして暮らしている裸族は奴隷狩りを逃れて密林に逃げこんだ農民の末裔らしいのだ。

 北アメリカはどうだろうか。北アメリカには中央アメリカのマヤやアステカ、南アメリカのインカに匹敵するような巨石建造物こそないものの、土を盛り上げて作ったマウンドという遺跡がミシシッピー河流域を中心に一万基以上も残っている。最大のマウンドはギゼーのピラミッドよりも高く、10世紀には1万5千人の人口を擁する大都市(同時期のロンドンよりも大きかった)まであったという。

 インディアンと呼ばれている北米先住民は狩猟採集のイメージが強いが、実際は農民だった。バイソンの大群が疾駆したグレートプレーンズの大草原はインディアンが森を野焼きして拡げた耕作地だった。

 バイソンは耕作地を踏み荒らすので、インディアンは頭数を管理していたらしい。バイソンはかつて8千万頭もいたが、19世紀に白人によって絶滅寸前にまで追いこまれたといわれているので、コロンブス以前にはもっと多くのバイソンがいたように思いこんでしまうが、実際は違う。古い地層からはバイソンの骨はたいして出土していないのだ。バイソンが8千万頭にも増えたのは頭数を抑えていたインディアン社会が伝染病で壊滅したからだった。

 北アメリカ大陸の生態系はインディアン社会がコントロールしていた。ところが北アメリカ全土に広がる交易網を通じて伝染病が拡がった結果、コロンブス到達後百年足らずでインディアン社会は崩壊し、増殖がおさえられていたバイソンやリョコウバトやハマグリのような一部の種が爆発的に増えた。ソローのような入植者は原始の自然の豊かさを讃美したが、実はそれは管理者を失って混乱した生態系の一局面にすぎなかったのである。

 アメリカ先住民は伝染病でどのくらい死んだのだろうか。最新の研究によると90%以上、最悪のケースでは98%が死んだと推定されている。死病と恐れられたペストでも致死率は30%そこそこだったから、にわかに信じられない数字である。

 だが、はじめて遭遇する伝染病は致死率が非常に高いことが知られている。最近話題の鳥インフルエンザは人類がはじめて出会ったウィルスだが、致死率は60%におよんでいる。

 仮に致死率50%だとしても、人口が回復しないうちに5回つづけて大量死が起きたら、致死率は97%に達する。インカの場合、1525年から1618年までの93年間に天然痘の大流行が5回あり、さらにチフス、インフルエンザ、ジフテリア、麻疹の感染爆発も起きていた。いずれも先住民がはじめて遭遇した病原体である。

 アメリカ先住民は小さな集団から出発したために、遺伝的多様性がいちじるしく乏しい。血液型でいえば、北アメリカ先住民はO型が90%におよび、南アメリカ先住民にいたっては100%O型である。免疫に直接関係する白血球の型(HLA)も南アメリカ先住民の30%が同じ型に属しているという。アメリカ先住民は遺伝的に感染爆発をまねきやすい可能性がある。

 1518年にエスパニョーラ島で最初の天然痘の流行がはじまったが、南北アメリカ大陸には交易網が発達していたので、たちまち感染が広まり、各地で大量死が起きた。アステカもインカもコンキスタドールの到来前に大打撃を受け、内紛に陥っていたのである。コルテスやピサロが寡兵で大帝国を征服できたのは内紛に乗じたためだった。ニューイングランドやミシシッピー河流域でも同じことが起こった。

 コロンブス以前の人口が従来の推計よりもはるかに多かったという研究は1950年代から出はじめていたが、まったく注目されなかった。ところが、1966年にヘンリー・ドビンズが1491年の南北アメリカ大陸の人口は9000万人から1億1200万人におよび、17世紀前半までに1000万人から1200万人に激減したという論文を発表するや学会で大論争になり、今も議論がつづいているという(論争のあらましは"The Native Population of the Americas in 1492"(1976)、ドビンズの見解は"Their Number Become Thinned: Native American Population Dynamics in Eastern North America"(1983)、批判派の見解は"Numbers from Nowhere: The American Indian Contact Population Debate"(1995)で読めるようだ)。

 今や1491年の南北アメリカ大陸に全ヨーロッパの人口をしのぐ先住民が豊かな文明生活を送っていたという見方が主流のようだが、異論もある。PCポリティカル・コレクトの行きすぎではないかという感情的反発ばかりでなく、環境保護派はアマゾンの原生林に人間の手がはいっていたとしたら、アマゾン開発を正当化することにつながるのではないかと危惧しているし、先住民の中にも不可抗力による伝染病による大量死を強調することはジェノサイドを隠蔽する結果になると批判する人がいる。

 1491年のアメリカ大陸像の探求は決して500年前の問題ではなく、現代の世界像に直結するらしい。

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