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2007年10月28日

『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』 ルービン (新潮社)

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 『ねじまき鳥クロニクル』の英訳者であり、『世界は村上春樹をどう読むか』にも参加しているジェイ・ルービン氏による本格的な村上春樹論である。表題は軽めだが、中味はオーソドックスな伝記批評であり、アメリカの文学研究の水準で書かれている。

 日本では夥しい村上春樹本が出ているが、その多くはマニアックな蘊蓄本であったり、コジツケだらけの謎解き本であったりして、最後まで読みとおせるものはあまりない。本書は数少ないまっとうな村上春樹研究書の一冊であり、もし村上春樹で卒論を書くつもりなら、この本は絶対に外すことができない。

 伝記については、作家として成功して以降について、特に村上の海外生活について、類書にはない事実を伝えてくれている。村上本人と個人的親交があることはもちろんだが、アメリカの大学人として日本ではわかりにくいアメリカの大学事情に通じている点も見のがせない。

 本書でもう一つ見のがせないのは、英米のメディアがおこなったインタビューを参照している点である。村上は英米人のインタビューアーに対しては日本人に対してよりも、はるかに率直で踏みこんだ答えを返している。村上春樹研究には海外でおこなわれたインタビューが不可欠だろうと思っていたが、本書を読んでいよいよその感を深くした。そろそろ海外メディアがおこなった村上のインタビューをまとめた本が出てもいい頃ではないか。

 断片的に伝えられていたドイツでの重訳論争についても経緯が詳しく紹介されている。『ねじまき鳥クロニクル』のドイツ語訳はルービン訳から訳しているから、ルービン氏は重訳論争の当事者でもあるわけだが。

 重訳は好ましいことではないが、問題を複雑にしているのはルービン訳が出版社の意向で抜粋訳になっており、村上自身がその抜粋に承認をあたえていることだ。しかも、日本で文庫版を出す際、村上はルービン訳の省略の一部を踏襲している。『ねじまき鳥』の本文は単行本版 → ルービン訳 → 文庫版という経過をたどっているわけだ。これから『ねじまき鳥』を論じようという人はルービン訳を参照しておく必要があるだろう。

 本書からは多くを教えられたが、補足すべき箇所がないわけではない。たとえば、翻訳者としての村上を評した部分。

 翻訳者としての村上春樹も、現代日本文学において重要である。村上作品の人気が村上の訳書に注目を呼び、村上自身は翻訳を通して西洋(とくにアメリカ)文学の幅広い知識を得る。このようにして村上は、たった一人で日本の小説の文体に革命を起こした。新鮮で、都会的で、国際的要素をもった、はっきりアメリカ風に味付けされたスタイルを日本語の文章にはぐくんだ。それは多くの模倣者も生んだ。

 大筋としてはその通りだが、村上はゼロから自分の文体を作ったわけではないと思う。わたしの見るところ、村上の初期三部作の文体は伊藤典夫のカート・ヴォネガットの訳文にきわめて似ている。村上の文体の形成には英米のエンターテイメントの翻訳の厖大な蓄積――丸谷才一いうところの「ハヤカワ文化」――が大きく影響しているはずなのである。

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