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2007年08月31日

『根源の彼方に―グラマトロジーについて』 ジャック・デリダ (現代思潮社)

根源の彼方に・上
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根源の彼方に・下
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 デリダを一躍有名にした初期の代表作である。ロゴス中心主義批判とか、フォネー批判とか、原エクリチュールなど、デリダのおなじみのスローガンはこの本に登場する。

 現在、書店に並んでいる本は1996年の新版で、普通のカバーがかかっているが、1972年の初版は茶色いボール紙の箱に青いビニールの本が剥きだしてはいっていて、「グラマトロジーについて」というオリジナルの題名よりもはるかに大きく「根源の彼方に」という邦題が印刷されていた。このそっけない装丁が、「グラマトロジー」(文字学)という謎めいた言葉とあいまって、蠱惑的なオーラを放っていた。

 大学にはいって早々わたしはこの訳書に挑戦したが、何度読んでもさっぱりわからなかった。「グラマトロジー」という題名のもとになったゲルプの "A Study of Writing" を大学図書館で読もうとしたが、これもわけがわからなかった。

 今年になってゲルプの本を読んだ勢いで、デリダの本に30数年ぶりで再挑戦してみたが、今度はわかった。

 デリダはプラトン以来の形而上学を転倒するとか大風呂敷を広げているが、本書の仮想敵はソシュールのようである。もちろん、ソシュールの背後には、当時隆盛をきわめていた構造主義があり、だから第二部ではルソーの前にレヴィ=ストロースをやっつけている。ソシュールを戴く構造主義に挑戦状をたたきつけ、ソシュールの音声中心主義をソシュール自身の論理を使ってひっくりかえしてみせたのが『グラマトロジーについて』という本だったのである。

 デリダのいわんとしていることは次の一節に尽きていると思う。デリダは音声的な差異(=離散的な音素)というモデルは文字から借用してきたと伏線を張った上で、こうたたみかける。

 差異はそれ自体では、また定義上、けっして感覚的な充溢ではなく、その必然性は、言語の生来音声的な本質という主張に矛盾する。それはまた同時に、表記的な<意味するもの>のいわゆる自然的な依存関係にも異を唱える。それはまさしく、言語の内的体系を規定する緒前提に逆らってソシュール自身がひきだす結論である。今や彼は、彼に文字言語エクリチュールを除去することを許していたまさにそのものを、つまり音を、そして音と意味との「自然的な絆」を、排除せざるを得ない。

 言葉の意味は内的な声に宿っているというのは錯覚で、実際は文字のような離散的な音素のくみあわせから生みだされる宙ぶらりんのものだというわけだ。この直観を手を変え品を変え、さまざまに変奏したのが本書の第一部である。

 本書の後のデリダは書き方がうまくなって、ややこしくからみあった文章の中に直観を巧妙によりこんでいくが、この時点ではまだ若書きなので直観が生な形でとりだせてしまうのである。

 第二部ではデリダの代名詞となった「脱構築」がぎこちなく素朴な形で実践されており、手の内が透けて見える。デリダも一日にしてデリダになったわけではなかったのだ。

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『Writing Systems』 Florian Coulmas (Cambridg University Press)

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 欧米人の書いた文字論は、ゲルプの先駆的かつ過激な仕事を別格とするとたいしたことはなく、特にインド以東の文字が弱いが、その中ではじめて納得できる本に出会った。フロリアン・クルマスの "Writing Systems"で、河野六郎の『文字論』に匹敵する透徹した文字研究といっていいと思う。

 フロリアン・クルマスは『言語と国家』、『ことばの経済学』などの著書のある言語社会学者であり、社会言語学者としての視点が本書の後半で生きている。

 クルマスはまた12年間にわたり日本の大学で教鞭をとっていたという。日本には仏教のつながりでアジアの文字文化に関する情報が厖大に蓄積されているが、長い滞日経験が他の欧米の文字学者にない視点を可能にしたふしもうかがえる。

 クルマスが本書で達成した業績は二つある。第一はきわめて広い視野で文字に関する議論を整理したことである。

 クルマスは「表音文字」と「表意文字」という二分法を批判し、語の階層構造に即して「表語文字」、「音節文字」、「音素文字」に分類することを提案する。わたしも同じことを考えていたので、我が意を得たりである。

 欧米の文字学者はインド系の結合音節文字を軽視する傾向があるが、クルマスは一章を割いて論じており、アルファベットに匹敵する一大文字体系と評価している。日本語の漢字仮名混じり文を複合表記体系として楔形文字と比較考察するのも、日本では珍らしくないが、欧米でははじめてかもしれない。

 第二は文字学の目標を文字によって人間の意識がどう変容したかの解明においていることである。

 わたしは大学で言語学の授業をとった時、担当の講師が「言語学は最も高級な道楽である」と宣言するのを聞いた驚いた経験がある。異論のある向きもあるだろうが、言語学には道楽的な側面が確かにあるのである。文字学にいたってはそれがいっそうはなはだしい。道楽といって悪ければ、純粋な知的好奇心と言いかえてもいい。わたしは文字学の本をおもしろく読むけれども、世の中の役に立つかと聞かれたら言葉を濁さざるをえない。

 クルマスは本書の後半で文字を習得すると意識における記号の布置が変動し、言語のあり方も決定的に変容すると論じ、最終章では専門の社会言語学の視点から識字能力の社会的意味にまで踏みこんでいる。

 未開拓の分野だけに、クルマスの議論にすべて賛成できるわけではない。たとえば、クルマスは認知心理学的な議論によるところが多いが、脳科学の成果をとりいれたらどうなるかなど。しかし、よくも悪くもディレッタント的な本が多い中で、ここまで文字と人間の関係に肉薄した本は他に知らない。

 文字学という学問が誕生するとしたら、本書はその基礎となるべき本だと思う。きわめて重要な本であり、一日も早い邦訳が望まれる。

 最後に目次を仮訳しておく。

 1. 文字とは何か
 2. 基本オプション:意味と音
 3. 表語文字
 4. 音節文字
 5. 音素文字
 6. 子音と母音
 7. 母音記号
 8. 分析と解釈
 9. 複合表記体系
10. 文字の歴史
11. 文字の心理言語学
12. 文字の社会言語学

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2007年08月30日

『Writing Systems』 Geoffrey Sampson (Stanford University Press)

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 "A Linguistic Introduction"と副題にあるように、アメリカの言語学者が言語学的視点から書いた文字の概説書である。

 最初のページからジャック・デリダの『グラマトロジーについて』が出てくることから察せられるように、著者のジョフリー・サンプソンは理論家を志向しているらしく、文字カタログになりがちのこの種の本としてはすこぶる理屈っぽい。アンドルー・ロビンソンが『図説 文字の起源と歴史』で暗に批判していたのは、どうも本書らしい。

 デリダの声の形而上学批判の影響からか、サンプソンは西欧中心主義からの脱却につとめており、全10章のうち3章を極東にさいている。文字言語を音声言語の写しとしながらも、口語と文語の懸隔から、文字言語がそれだけで独立した言語となっている点を明確にした点は注目にあたいしよう。

 文字の分類にはつっこみをいれたくなる。(下図参照)。

  ┌…概念表記
  │
  │           ┌…複合形態素文字
表記┤     ┌─表語文字┤
  │     │     └─単形態素文字
  └─音声表記┤
        │     ┌─音節文字
        │     │
        └─音標文字┼─分節音文字
              │
              └─組立文字

 サンプソンはまず「表記体系」を「概念表記」と「音声表記」に二分する。「概念表記」とは数式や道路標識などで、言語から独立に普遍的な意味をもつとしている。われわれが通常「文字」と呼ぶものは「音声表記」に分類される。「音声表記」は「表語文字」と「音標文字」にわかれるが、この区別にサンプソンは言語学者らしく二重分節を導入する。すなわち、最初の分節で切りだされた単位に相当するのが「表語文字」であり、第二分節で切りだされた単位に相当するのが「音標文字」である。

 ここまではわかるが、「表語文字」を「複合形態素文字」と「単形態素文字」に二分し、「複合形態素文字」とはわかち書きされた単語だとしている。「音標文字」の下位分類の「分節音文字」とはアルファベットのような音素文字、「組立文字」とはハングルのような結合音節文字をさす。英語版WikipediaのWritingの項の文字分類もほぼ本書と重なっているから、アメリカではこのようなわけ方が一般的なのかもしれない(わたしはクルマスの分類の方を評価するが)。

 本書の章立ては以上の分類をある程度反映したものとなっている。

 1. 序文
 2. 理論的準備
 3. 最初の文字
 4. 音節文字:線文字B
 5. 単子音文字
 6. ギリシア=ローマ・アルファベット
 7. 組立文字:韓国のハングル
 8. 表語文字:中国の漢字
 9. 複合表記:日本の漢字仮名混じり文
10. 英語の綴り

 各章ではとりあげた文字の歴史的来歴を紹介するとともに、言語学的な機能の視点から理論的な考察をくわえている。たとえば、第三章「最初の文字」ではシュメール文字を論じているが、絵文字が文字に転化するにあたって、シュメール語の膠着語的性格が影響していたと指摘している。

 極東の文字に3章をさいた点が本書の特長となっているが、内容的にはどうだろう。

 組立文字(結合音節文字)の代表としてハングルをとりあげるのは結構であるが、インド系の文字をまったく無視するのはおかしい。ブラフミー文字を濫觴とするインド系文字は東南アジアに伝わってビルマ文字やタイ文字を生み、北上するや広大なチベット文字文化圏となって中国の漢字文化圏を包囲した。パスパ文字やハングルも、このインド系文字の流れの中から生まれた。

 細かいことだが、過去のものとなったはずのアルタイ語族をもちだすのはどうかと思うし、ハングルが普及しなかったのは豊臣秀吉の侵略で国土が荒廃したためだという説明もおかしい。

 漢字については「一」、「二」、「三」や「日」、「魚」など、「必然性のある字形」の漢字を説明した後、「単純漢字」と「複合漢字」に二分し、中国語はもともと単音節語だったので同音異義語が多く、それを区別するために「複合漢字」が大量に作られたとしている。欧米の読者にわかりやすくということで、こういう説明になったのかもしれないが、六書をきちんと紹介すべきではなかったのか。

 日本の漢字仮名混じり文については複雑さをしきりに強調し、日本の貴族は政治的実権を失い、文化創造だけが仕事になったので、こういう複雑な表記体系をつくりあげたなどと書いていて唖然とした。理論家の暴走であろう。

 日本の漢字仮名交じり文は孤立語である中国語から生まれた漢字を、膠着語である日本語が借用したところから練りあげられた表記法であり、同じ条件を負った契丹文字や女真文字との関連で考えるべきだ。

 西欧中心主義から脱却しようという意気ごみは理解するが、著者にはアジアの多彩な文字文化に関する知識が決定的に欠落している。この程度の認識しかないとは残念なことである。

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2007年08月29日

『文字をよむ』 池田紘一&今西祐一郎編 (九州大学出版会)

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 九州大学の先生方を中心とした文字に関する論集で、20本の論文がおさめられている。話題は文字の起源から漢字学、日本語の表記史、世界各地の文字、文字の脳科学まで多岐にわたる。カバーする範囲が広いので、すべての論文に興味がもてたわけではないし、中には中味の薄いものや、文字を口実に政治宣伝をしているようなものがないわけではなかったが、さまざまに啓発され、教えられるところが多かった。

 印象に残った論文をいくつか紹介しよう。

 江村治樹「漢字の成立」は甲骨文から秦による字体統一までを概観した漢字史である。字体の地方差は金文時代から生ずるが、竹簡の文字には差はあまりなかったという。

 高山倫明「漢字を訓む」は日本の漢字受容史を具体例をあげながら解説した好文章で、見通しがいい上に、ディティールがおもしろい。場所の意味だけだったトコロは「所」の和訓として定着するとしだいに抽象化していき、近代にいたって関係代名詞の訳語になった。whichやthatは「……するところの」と訳すと教わったが、その背後には奈良時代以来の歴史があったのである。

 今西祐一郎「「かな」をよむ」は仮名の成立史で、土左日記の鎌倉期の古写本はほとんど仮名だけで書かれており、漢字は「日記」など、ごく少数にすぎないという。

 加藤久美子「タム文字」の世界はタイ北部の少数民族が伝承してきた文字文化の紹介で、タイ文字の背後にこんなに多様な文字文化があったのかと驚いた。東南アジアの文字はまだ十分には紹介されていないが、奥が深そうである。

 赤松明彦「インドの文字」は混沌としたインド系文字の紹介である。インドの文字には前から興味があり、何冊か本を読んでいるが、この論文ではじめて知った情報が多数ある。インドの文字は本当に底が知れない。しかも、新しい文字体系が今でも作られているそうで、眩暈がしてくる。

 小川正廣&天野政千代「西洋における言葉と文字」と岡崎敦「西欧中世における「文字をかくこと」」はヨーロッパの文字史・写本史の紹介で、こちらも気が遠くなるほど奥が深い。

 溝口常俊「地図を読む」は地図論であり、文字とは直接関係ないが、おもしろかった。

 三浦佳世「「読み」の基礎過程」は文字認識に関する認知心理学と脳科学の紹介で、すこぶる情報量が多い。興味深い知見がたくさん紹介されているが、駆け足なので物足りない。ぜひ単行本を書いてほしいと思う。

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