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2007年07月29日

『共生生命体の30億年』 リン・マーギュリス (草思社)

『共生生命体の30億年』 →bookwebで購入

 一家をなした科学者が自分のやってきた研究を一般読者向けに解説する「サイエンス・マスターズ」シリーズの一冊である。著者のリン・マーギュリスは連続細胞内共生説(SET)のパイオニアで、天文学者カール・セーガンの最初の妻でもある。

 ミトコンドリアと葉緑体は細胞内部からうまれたものではなく、別の生命体を取りこみ、共生しているうちに、細胞の不可欠な一部になったものだという見方が現在では定説となっているが、この説をいちはやく提唱したのがマーギュリスなのである。

 ミトコンドリアと葉緑体が外部起源だというのは企業買収のようなものだ。企業が新しい分野に進出しようとする場合、ゼロからはじめたのでは大変なので、実績のある企業を買収するという手法が使われることがあるが、それと同じことが進化の過程で起きたというわけである。

 太古の地球には酸素はなかった。生物は無酸素環境の中で誕生し、進化していったが、光合成をする細菌が大量発生し、大気中にどんどん酸素を放出していき、水中の酸素濃度も高まっていった。無酸素環境で進化してきた生物にとって酸素は有毒であり、酸素が増えれば増えるほど生存できる場所が狭まっていった。そうなると、毒である酸素を利用する細菌があらわれた。酸素呼吸はエネルギー効率がいい上に、酸素のある環境でも生存できるので圧倒的に有利だが、酸素呼吸の能力を獲得できた細菌は少数だった。それ以外の系統の細菌はどんどん狭まっていく無酸素環境に退却していくしかないのか? 退却を選んだ細菌もいるけれども、酸素呼吸細菌を買収し、ミトコンドリア事業部にしてしまう細菌もあらわれた。それがわれわれの遠いご先祖である。

 葉緑体も細胞内にとりこまれたシアノバクテリアという光合成細菌が起源と見られているが、ミトコンドリアは動物、植物、菌類、細菌に広くわけもたれているのに対し、葉緑体は植物と一部の細菌しかもっていないことからすると、葉緑体はミトコンドリアの後にとりこまれたと考えるのが妥当だろう。

 ミトコンドリアは20世紀になってから発見されたが、共生による進化という考え方は19世紀から存在し、「共生発生」という用語も生まれていたが、正統的な進化論からすれば異端であり、ヴェーゲナーの大陸移動説なみのトンデモ学説として無視されてきた。

 ウェーゲナーの大陸移動説は残留地磁気とマントル対流の発見によって劇的に復活するが、共生による進化という考え方はDNAの解読によってよみがえる。ミトコンドリアと葉緑素は細胞核とは別に独自のDNAをもっており、しかもそのDNAは起源と想定される酸素呼吸細菌や光合成細菌のDNAと酷似していたのである。

 ミトコンドリアと葉緑素についてはDNAという物証があるので認められたが、マーギュリスの連続細胞内共生説はもう一回り大きな進化のシナリオを提案しており、まだ公認されていない部分がある。細胞には細胞分裂の時にあらわれる紡錘体や精子の尾、細胞表面の繊毛、鞭毛など、糸状の運動器官があるが、これらは細菌内部にはいりこみ共生するようになったスピロヘータが起源だというのである。

 スピロヘータはコルクの栓抜きのような螺旋状の細長い細菌で、梅毒の病原体として悪名高いが、病原性をもつスピロヘータはごく一部にすぎず、ほとんどは平和共存する常在菌である。マーギュリスは運動性の細胞器官がミトコンドリア以上に広くわけもたれていることからいって、スピロヘータのとりこみはきわめて早い段階で起きたと考えている。核そのものがスピロヘータのとりこみの結果として誕生した可能性もあるという。

 おもしろい説だが、マーギュリスが見つけることができたのは、今のところ紡錘体や精子の尾、鞭毛などが同一構造をとっているという状況証拠だけである。こうした細胞器官にかかわる遺伝子は核の内部に存在しているが、とりこみが早い段階でおきたとすれば、遺伝子が核に移されたとしても不思議はないかもしれない。核外に鞭毛の遺伝子をもつ細菌が発見されたという報告があったが、後に否定されたそうである。

 スピロヘータのとりこみ、酸素呼吸細菌のとりこみ、光合成細菌のとりこみが順に起ったというのがマーギュリスの連続細胞内共生説の骨子であり、本当に決定的な進化は単細胞生物の段階でおこなわれたとしている。言われてみれば、その通りである。

 こういうスケールの大きな仮説を提唱し、実証しようとすれば、摩擦が生まれないはずはない。本書はマーギュリスの半生記でもあるが、親に内緒で転校したハイスクール時代にはじまり、5歳年長で院生時代からカリスマ性のあったカール・セーガンとの出会いと結婚、子供をかかえての学生時代、生物学のことをまったく知らない化学畑出身の生物学者の大群と戦った見習い時代と、彼女の独立不羈の人となりを示すエピソードが興味深い。

 本書の最後の部分はラヴロックのガイア仮説と共生論の関係が論じられている。マーギュリスが研究しているのは宿主に完全にとりこまれた共生だが、独立を保ったままの共生ならいたるところに見られる。珊瑚を養う共生藻、牛やシロアリの消化管の中でセルロースを分解する細菌など、宿主の生存にとって不可欠な共生生物は枚挙にいとまがない。最近話題のビフィズス菌だって、われわれの腸管にすむ共生生物である。生態系は共生の網の目でもある。

 共生という概念を広げていけば、地球そのものが一個の生命体だというラヴロックのガイア仮説にいきつく。マーギュリスはかなり迷惑そうに書いているが、彼女の連続細胞内共生説はガイア仮説とならべて論じられることが多いのだそうである。

 マーギュリスは自分の連続細胞内共生説とガイア仮説とはなんの関係もないと否定しているが、大衆化する前の本来のガイア仮説については好意的な見方をしている。彼女は非科学的という批判とずっと戦ってきたので、反科学的な色彩をおびている現在のガイア仮説には用心深くなっているのかもしれない。

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