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2007年05月28日

『乗っ取られた聖書』 秦剛平 (京都大学学術出版会)

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 聖書が「乗っ取られた」とは穏やかではないが、「七十人訳聖書」を一般向けに紹介した本である。聖書文献学の入門書にはおもしろい本が多いが、本書もめっぽうおもしろい。

 「七十人訳聖書」とは妙な名称だが、アレキサンドリアに大図書館を築いたプトレマイオス二世のために、エルサレムから招聘された七十二人の長老が七十二日間かけて「モーセ五書」のギリシャ語訳を完成させたという伝説があるので、こう呼ばれている。長老たちは別々に翻訳をおこなったが、出来あがった訳文をもちよってみると、一字一句にいたるまで完全に一致していた。「七十人訳」は神の霊感を受けて完成した完全無欠な翻訳であり、いかなる改変も許されないとされてきた。

 もちろん、これは伝説にすぎない。伝説中の史実に誤りがあるだけでなく、「七十人訳」は完全無欠どころか、問題だらけだからだ。難解な箇所はヘブライ語を音訳してすませることがすくなくなく(カタカナだらけの邦訳のようなものか)、地名などはパレスチナを実地に知っていれば絶対おかさないような間違いをおかしているという。

 そうした語学力不足や単純ミスだけでなく、確信犯的な超訳もあるらしい。「七十人訳」はヘブライ語を解せなくなったアレクサンドリアのユダヤ人のために作られたという説が有力だが、秦剛平はすくなくとも「創世記」と「出エジプト記」はギリシャ語を読み書きする知識人に読ませるために訳された可能性を指摘している。

 「七十人訳」が成立したのはヘレニズム期だが、この頃は各民族が起源の古さを競いあっていた。

 「創世記」に登場する人物の多くは百年以上生きたことになっているが、「七十二人訳」の「創世記」ではさらに数十年づつ下駄をはかせていて、「創世記」全体では千年以上サバを読んでいる。ユダヤ民族の歴史をより長く見せたいという動機があったのは間違いないだろう。

 この時期、ユダヤ人について芳しからぬ風説が流布していた。モーセと出エジプトはユダヤ人以外にも広く知られていたが、モーセはハンセン氏病に罹ったエジプトの神官で、同じ病気に苦しむ賤民とともにエジプトを追放されたのがユダヤ人の起源だというのだ。

 誤解を晴らすには「モーセ五書」をギリシャ語に翻訳するのが一番いいが、「モーセ五書」にはモーセがハンセン氏病に罹っていると誤解されない箇所がある。一つは神が力を示すためにモーセの手を一時的にハンセン氏病に侵されたように見せたという「出エジプト記」の記述であり、もう一つはハンセン氏病に罹っていたモーセの姉ミリアムが神の奇跡によって回復するという「民数記」の記述である(新共同訳では「重い皮膚病」と訳されている)。「七十人訳」ではこの二箇所とも、ハンセン氏病という言葉が省かれているそうである。

 「七十人訳」の最初の動機がユダヤ人の名誉回復と、歴史の古さの宣伝にあったことは間違いないだろうが、皮肉なことに聖書の権威はキリスト教徒に利用されることになる。

 初期のキリスト教はユダヤ教の一派と見なされ、離散ユダヤ人の間に広まっていったが、キリスト教徒はユダヤ人に「七十人訳」を見せ、キリストの到来はあなた方の聖典に予言されていると説いたのだ。以後、「七十人訳」はキリスト教徒の聖書として流布していく。「七十人訳」はキリスト教徒に乗っとられたのである。

 ユダヤ人にとってこんなに腹の立つことはないだろう。対抗策として、彼らは「七十人訳」よりもすぐれたギリシャ語訳を作りだし、キリスト教徒に利用されそうな箇所をつぶそうとしたが、うまくいかなかった。多少の問題はあろうと、先に広まってしまったものの方が強いのである。

 こうなると「七十人訳」の実物が読みたくなるが、著者の秦剛平によって邦訳が進行中で、すでに「モーセ五書」が完結している(『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記』)。

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