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2007年04月30日

『だれが信長を殺したのか』 桐野作人 (PHP新書)

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 著者の桐野作人氏は以前は朝廷陰謀説をとっていたが、2001年の『真説 本能寺』で自説をとりさげ、光秀単独犯行説に転じた。立場を変えた直接の理由は『晴豊公記』の輪読会に参加し、信長と朝廷の間に深刻な対立などなかったと確信したからだという。本書は『真説 本能寺』の内容をさらに深めたもので、有名な「ときは今」の歌仙が巻かれた日に書かれた新発見の書簡など、最新の知見が盛りこまれている。

 『信長は謀略で殺されたのか』でも説かれているように、機密保持という点でも、変後の光秀の泥縄な動きという点でも、共謀説は無理のようである。光秀単独犯行となれば、問題点は動機に絞りこまれる。桐野氏は謀反の動機として領国の再編問題と四国問題をあげている。

 領国の再編問題とは京都に近い領国は信長の息子たちが独占し、家臣は遠国に移封されることをいう。江戸幕府は江戸の周辺を親藩譜代で固め、外様大名を遠方に配したが、織田幕府が誕生したとすれば同様の政策をとった可能性が高い。

 怨恨説でよくいう「まだ敵地の出雲・石見をあたえる代わりに丹波を召し上げた」という『明智軍記』のエピソードは荒唐無稽にしても、都の隣の丹波から遠国に転封されることは「惟任日向守」という名乗りをあたえられた時点でわかっていたはずだ。

 むしろ重要なのは四国問題である。四国で勢力を伸ばしつつある長宗我部を取りこむか排除するかで光秀と秀吉の間に路線対立があったことはこれまでにも指摘されてきた。著者は領国再編問題のからみで、対立がもはや光秀対秀吉ではなく、光秀対信長に移っていたと指摘する。本願寺が大坂に健在な間は大坂の背後に控える長宗我部に利用価値があったが、本願寺の降伏とともに利用価値はなくなり、むしろ邪魔な存在になっていった。信長が四国渡海軍の総大将に息子の信雄を指名したことは四国の都に近い東半分が信雄の領国になることを意味していた。長宗我部は排除されるしかなかったのである。

 ここで明智軍の主力、美濃譜代衆をたばねる斎藤利三の存在が浮上してくる。利三は春日の局の実父として有名だが、長宗我部元親と姻戚関係にあり織田側の親長宗我部の代表者だった。長宗我部の排除で利三は立場を失っただけでなく、稲葉家から明智家に移った時の遺恨を蒸し返され、一時は信長に切腹を命じられるほど追いつめられていた。本能寺の変では利三の活躍が目立つが、彼には謀反を主導したとしてもおかしくない動機があったのだ。

 陰謀j説ファンとしては寂しくもあるが、本能寺の変の真相は本書が説くところで決まりかもしれない。

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