« 『心の先史時代』 スティーヴン・ミズン (青土社) | メイン | 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 立花隆 (文藝春秋) »

2007年01月31日

『歌うネアンデルタール』 スティーヴン・ミズン (早川書房)

歌うネアンデルタール →bookwebで購入

 認知考古学の視点から音楽と言語の起源に切りこんだ画期的的な本である。ルソーは『言語起源論』で「最初の言語は、単純で、方法的である前に歌うような情熱のこもったものだった」とし、言語と音楽は同じ起源から生まれたと述べているが、ミズンもまた言語=音楽同一起源説をとっている。ただし、結論は直観ではなく、緻密な論証によって導きだされている。

 本書は「第一部現在」と「第二部過去」にわかれるが、「第一部現在」では脳科学の知見を動員して、言語と音楽が別のモジュール群で処理されていることを明らかにしている。

 われわれの脳では言語と音楽は独立に処理されているが、といって無関係なわけではない。言語中枢が左脳のブローカ野にあることはよく知られているが、音楽の中枢もブローカ野にあるのだ(左脳だけでなく右脳のブローカ野も使っている)。療法の中枢は近接しているだけでなく、韻律など一部のモジュールを共用していることまでわかっている。

 現在においても密接な関係にある言語と音楽だが、過去においてはどうだったろうか。

 ヒトと近縁のチンパンジーやボノボ、ゴリラは吠え声やうなり声といった大雑把な音声コミュニケーションしかできないが、サル全般に視野を拡げると、ヒトに匹敵するような多種多様な音声レパートリーをもった種がすくなかららずいる。ベルベットモンキーは危険の種類に応じて警戒音を使いわけることが知られているし、ゲダラヒヒのお喋りはヒトのお喋りそっくりに聞こえるという。

 サルが音声メッセージをとりかわすのは群れの一体感を維持するためであり、いわば音声的グルーミングである。チンパンジーなど大型類人猿は、音声メッセージこそ貧しいものの、身振りによって群れの一体感を保っている。

 ゲダラヒヒのお喋りが人間そっくりでも、ゲダラヒヒは人間のような言語を喋っているわけではない。人間の言語は単語を組みあわせることによって、ありとあらゆる意味をあらわすことができるが、ゲダラヒヒをはじめとするサルの音声は単語に分解できず、全体で一つのメッセージをあらわしている。

 また、蛇を見つけたベルベットモンキーが蛇に対応した音声を発しても、それは蛇の存在をあらわしているのではなく、蛇から逃げる動作をしろというメッセージを伝えているにすぎない。ベルベットモンキーの音声メッセージは指示的・記述的ではなく、あくまで逃げるという動作を誘導するためのものであって、操作的なのである。

 ミズンは単語が析出してくる以前のヒトの言語はサルの音声メッセージに近いものだったのではないかと推定し、Hmmmmmと命名している。Hmmmmmとは以下の略である。

Holistic multi-modal manipulative musical mimetic
(全体的・多様式的・操作的・音楽的・物真似的コミュニケーション)

 Hmmmmmが言語の起源であると同時に、音楽の起源でもあることは見やすい。

 ミズンは『心の先史時代』では、ネアンデルタール人を芸術と無縁の存在として描いたが、Hmmmmmという視点からは別のネアンデルタール人像が見えてくる。ネアンデルタール人は分節言語は使えなかったが、Hmmmmmで仲間とコミュニケーションをとり、一体感を保っていたのである。ネアンデルタール人は喋れなかったが、歌うことはできた。本書が『歌うネアンデルタール』と題された所以である。

→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/1324