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2007年01月31日

『ネアンデルタール人の正体』 赤澤威 編 (朝日選書)

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 2004年1月に開かれた『アイデンティティに悩むネアンデルタール――化石人類研究の最前線』というシンポジュウムを活字化した論集で、11人の研究者が参加している。座長で編者の赤澤威氏は1993年にシリア北部のデデリエ洞窟で完全に近いネアンデルタールの子供の骨を発掘し、その骨をもとに学際的な「ネアンデルタール復活プロジェクト」を推進した人である(プロジェクトの成果は『ネアンデルタール・ミッション』としてまとめられている)。

 本書の副題は「彼らの「悩み」に迫る」になっているが、こえはもともとのシンポジュウムのタイトルに『アイデンティティに悩むネアンデルタール』とあるように、現代人の作りあげた勝手なネアンデルタール人像に当のネアンデルタール人が当惑しているだろうから、最新の成果をもちより、すこしでも実像に迫ることで、ネアンデルタール人を慰めようという趣旨である。編者の赤澤氏は「ネアンデルタール人はよろこんでくれるだろうか」と繰りかえしているが、ネアンデルタール供養といったところか。

 実像に迫るにしても、さまざまな分野の専門家が11人も集まると、背景の違いや立場の違いが目立ってくる。われわれ現生人類を「ホモ・サピエンス」と呼ぶ筆者もいれば、「クロマニョン人」、「現代人」と呼ぶ筆者もいる。ネアンデルタール人の埋葬儀礼についても、積極的に認める筆者もいれば、ハイエナが洞窟に骨を持ちこんだのだろうと否定的な筆者もいる。ネアンデルタール人は石器の材料を近場で調達したことが知られているが、ある筆者は20km以内とし、別の筆者は2km以内としている。小説家的な空想を排し、学問的に近づこうとしても、ズレは出てきてしまうのである。しかし研究の現状を知る上で、ズレは決してマイナスではない。

 いくつか目についた箇所を紹介する。

 片山一道「地球上から消えた人々」は極地のイヌイットやポリネシア人、オーストラリアのアボリジニに遺伝的な繋がりがないにも係わらず、ネアンデルタール人的な特徴をもった人がいることに注目し、ネアンデルタール人固有のものとされてきた骨太、ずんぐり、大頭、胴長短脚といった特徴は環境の影響にすぎないのではないかと指摘している。

 赤澤威「人類はいつ、なぜ争うようになったか」は人類の同族どうしの殺しあいの淵源は、1万2千年前、旧石器時代後期のクロマニョン人にさかのぼるとしている。根拠は二つある。第一にスペインのモレリャ・ラ・ヴェリャ洞窟に、二つの集団が弓矢をもって対峙している岩絵があること。第二にほぼ同時期のスーダンのジャバル・サハバ117遺跡から、石器で殺されたとおぼしい大量の人骨が出土していること。

 米田穣「2つの人類が出会ったとき」はネアンデルタール人とクロマニョン人をさまざまな観点から比較し、最後に混血の可能性を検討している。

 ネアンデルタール人は一年を通じておなじ洞窟に住み、獣肉しか食べなかったのに対し、クロマニョン人は季節ごとに住居を移り、獣肉だけでなく魚をたくさん食べていたようだ。

 ミトコンドリアDNAの研究から混血の可能性はないとされているが、そう断定するには疑問があるという。ロバと馬から生まれたラバは一代限りの雑種で、子供を残すことができないが、ネアンデルタール人とクロマニョン人の間で通婚があっても、子孫が残らない可能性がある。また、子孫を残せても、遺伝子浮動でネアンデルタール人の遺伝子が長い年月の間に消失する可能性もある。

 斎藤成也「遺伝子から探る」にはネアンデルタール人の遺伝的系統図が紹介されているが、同じネアンデル渓谷から出土した個体でも、遺伝的に他の地域で出土した個体と近いケースがある。ネアンデルタール人の活動範囲は意外に広かったのかもしれない。

 河内まき子「成長のしかたを考える」は、ネアンデルタール人の成長パターンは基本的にわれわれ現生人類と同じだが、成長速度と成熟時期は早くなっているという。

 澤口俊之「脳の違いが意味すること」には意外な研究が紹介されている。これまで現生人類は類人猿や化石人類よりも格段に大きな前頭葉をもっているとされてきたが、MRIで生きたチンパンジーを調べたところ、脳に占める前頭葉の比率は35~36%あり、現生人類の37%とほとんど変わらないことがわかった。大型類人猿は30~38%の範囲におさまっているそうである。

 澤口氏は体重に対する前頭葉の体積(相対前頭葉体積)という別の指標を考案した。これで見ると、現生人類はネアンデルタール人よりも40%大きくなっている。

 西秋良宏「1日を想像する」ではネアンデルタール人などの化石人類をあつかった小説三作を紹介している。アウルの『大地の子エイラ』はクロマニョン人の子、エイラがネアンデルタール人に育てられる話、ダーントン『ネアンデルタール』は現代の科学者が凶暴なネアンデルタールの生き残りを発見し観察する話で、どちらも現代人の視点から描かれているのでおもしろく読める。それに対して、プロの『原始の風が吹く大地へ』は400万年前の初期人類を厳密に考証し、初期人類になりきって書かれた意欲作だが、思考内容が単純すぎてつまらないという。

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