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2006年12月31日

『批評と真実』 ロラン・バルト (みすず書房)

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 本書は20世紀フランス批評の分水嶺となったヌーヴェル・クリティック論争の渦中に書かれた本であり、現代批評を切り開いた一冊といっていい。

 ヌーヴェル・クリティック論争とは何か? 実存主義の流行がおさまった1950年代後半から、文学作品を作家の人生や時代から理解するのではなく、文学作品に内在する論理に即して理解しようという批評の方法論が生まれ、「新しい批評ヌーヴェル・クリティック」と呼ばれるようになった。

 『零度のエクリチュール』で文壇に登場したロラン・バルトはヌーヴェル・クリティックの代表者の一人と見なされていた。特に第二作の『ミシュレ』はヌーヴェル・クリティック時代以前から準備されていたとはいえ、ヌーヴェル・クリティックの典型であり、最高の収穫の一つといっていいだろう。

 バルトは1963年に『ラシーヌ論』を上梓したが、これを実証主義的ラシーヌ研究の権威であるレイモン・ピカールが『新しい批評、あるいは新しいいかさま』で全否定した。ピカールはラシーヌの生涯を収入の変遷にいたるまで調べあげ、『ジャン・ラシーヌの栄達の経歴』という伝記研究の金字塔を打ちたてた学者だけに、実証的事実を無視し精神分析や神話学を持ちだして勝手な解釈をくりひろげるヌーヴェル・クリティックが気にいらなかったのである。それにしても『新しい批評、あるいは新しいいかさま』という題名は穏やかではない。

 本書はピカールに対する反論として発表されたもので、前半部分ではピカールとその一派の文章を引用して手厳しくやりこめ、後半では新しい批評の方向性を打ちだしている。

 『ラシーヌ論』はヌーヴェル・クリティックから構造主義に移項する時期に書かれているだけに、まだヌーヴェル・クリティックの色彩が濃いが、本書の後半で称揚される新しい批評とはまったく構造主義批評であって、「構造主義批評宣言」といった方がいいかもしれない。

 本書も原著の出版後、40年以上たってようやく出た。この出版不況の中、邦訳が出たこと自体はよろこばしいし、関係者の尽力に感謝したいが、いくつか残念なことがある。

 一つはバルトの邦訳の常だが、訳文があまり読みやすくないこと。『ラシーヌ論』がみごとな日本語になっているだけに、残念である。

 もう一つはヌーヴェル・クリティック論争の背景がまったく書かれていないこと。

 もっとも、これは前後して邦訳の出た『ラシーヌ論』との役割分担かもしれない。『ラシーヌ論』の訳者の渡辺守章氏は論争のおこなわれた時期に、ソルボンヌに留学していていただけに、バルトが当時のフランス演劇界で占めていた地位、演劇界の趨勢、アカデミズムの側の内情、ピカールの人脈、『ラシーヌ論』がおよぼした影響にいたるまで、実にゆきとどいた解説を書いておられる。これだけの内容は論争を現地で見た渡辺氏にしか書けないのであって、本書の方で解説を省略したのは妥当な判断だったかもしれない。ただ渡辺氏の解説は演劇に密着したものなので、フランス批評史におけるヌーヴェル・クリティック論争の意義を書いてもよかったのではないかと思うのだ。

 というわけで、本書は単独で読んでもしょうがない。本書を読むには『ラシーヌ論』の併読が必須である。

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