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2006年12月29日

『愛の新世界』 シャルル・フーリエ (作品社)

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 「空想的社会主義」という言葉がある。マルクス主義を差別化するために作られた言葉で、他の社会主義が「空想的」(原語ではユートピア的)なのに対し、マルクス主義は「科学的」だというのである。

 自分の思想がエセ科学なのをさしおいて、他の思想を「空想的」と決めつけるなど一方的なレッテル貼りだが、しかし、ことフーリエに関しては「空想的社会主義」という呼び方がぴったりくるような気がする。フーリエの本には「空想的」という罵倒語をプラスに変える力があるのだ。

 フーリエが36歳の時にはじめて出版した『四運動の理論』という本がある。翻訳物の思想書がすぐに絶版になる中、今でも現役をつづけている珍らしい本だが、これがとんでもない代物なのである。

 フーリエは人類社会の生存期間は8万年であり、最初と最後の5千年は不幸の時代、真ん中の7万年は幸福の時代だと断定する。現在は最初の不幸の時代の後半にあたっているが、幸福の時代が近づくとオーロラの光がどんどん強まり、「北極冠」という北極をとりまく光の環を形成する。北半球の高緯度地域は「北極冠」によって煌々と照らされ、肥沃な耕地に変わっていく。北極と南極の氷は解け、海の水は甘くなって、人類は調和世界を実現するというのだ。

 SFもびっくりの未来図であるが、これで驚いていてはいけない。フーリエの真骨頂は集団を左右する情念の力学にあり、世界が調和的に発展するのに必要な情念の運動法則なるものを明らかにしていくのである。「四運動」の「運動」とは政治運動のことではなく、情念の運動のことなのである。

 さて、『四運動の理論』が初期の代表作なのに対し、中期の代表作であり、現代におけるフーリエ評価を決定的にした『愛の新世界』が今年ようやく完訳された。

 この本は長らくノートの形で埋もれており、フランスでも出版されたのはフーリエ没後134年をへた1967年のことである。フーリエが残した98冊のノートのうち、5冊が『愛の新世界』の遺稿だったが、首尾一貫した状態ではなかったので、編纂者のシモーヌ・ドゥブーがフーリエのプランにしたがって編集したそうである。

 訳者の福島知己氏はドゥブー版を底本に、フーリエのノートのマイクロフィルムを参照しながら訳したということだが、翻訳物の思想書としては最上の日本語になっており、とても読みやすい。

 本書を読んでいくと「求愛者たちは、ぜひとも天使の快楽を両面で[ ]しようと考えるのである」のように[ ]ではさまれた空白が目立つが、これはフーリエが執筆中に適当な言葉が浮かばず、後で埋めるつもりでこういう形で残したのだそうである。また、「┐」という記号が出てくるが、これは行間に書きこまれた挿入箇所を示すとのこと。読みはじめる前に凡例を確認しておいた方がいい。

 序文の次にいきなり「第四部第一〇節」という見出しが出てきて面食らうが、これは『大論』という未完の大著の一部として構想された名残である。フーリエは純愛(本書中では「セロドン愛」)をとっかかりに、肉体的恋愛と精神的恋愛の種々相を分類していくが、『四運動の理論』を読んでいないと、話が見えにくいかもしれない。

 恋愛とは富裕な者のいとなみなのである。どれほど手広く事業をしていようが、富裕者はいつでも恋愛をしているのだ。反対に、年老いた貧しい怠け者は恋愛しない。貧乏人は若いうちでさえほとんど恋愛しないものだ。

 社会主義者にあるまじき暴言に聞こえるかもしれないが、本書で語られているのはユートピアが実現している時代であり、調和世界には貧乏人は一人もいないことを思いだそう。それゆえ、

 だれもかなり高齢に至るまで恋愛にいそしむことができる。だれもが恋愛という情念に一日の一定時間を充てるから、そこでは恋愛がなによりも大事な問題になる。このため恋愛法典、恋愛法廷、恋愛宮廷その他の諸制度が制定されている。

 調和世界で恋愛とならんで重要なのは美食である。

 調和世界のメカニズムを奥底まで知れば次のことが理解される。つまり、新秩序では叡智とは健康法と料理の二部門からなるということである。両者を組み合わせることにより、野心と大食という第一次長調情念が保証される。この享楽の一大部門を際立たせるため、美食の実践に長調聖人位が与えられる。

 19世紀初頭、王政復古から七月王政にいたる動乱期に、フーリエは恋愛と美食が一大関心事となったユートピアを考えていたのである。まさに空想的社会主義者の面目躍如だが、歯を食いしばって、我慢に我慢を重ねて、理想社会を建設しようとした社会主義が民衆の抑圧と粛清という悲惨な末路をむかえたことを考えると、欲望を肯定したフーリエの「空想」が輝いて見てくる。今日の高度資本主義社会では、近代化型の社会主義はことごとく馬脚をあらわし、悪い冗談と化しているが、フーリエの冗談のような社会主義は逆に思想的衝撃力をもちはじめている。

 ユートピア物語では、ユートピアを知らない人間にユートピアを訪問させる趣向が多いが、本書も途中から戯曲仕立てに変わり、北インドから西欧の調和世界を訪問するという聖英雌ファクマの旅が語られる。さすがフーリエというか、調和世界への訪問者は一人や二人ではなく、千人の黄水仙群団であり、それ自体が一つの共同体となっている。

 この劇中劇をどう考えるかは、もうちょっと時間が必要である。

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