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2006年10月30日

『日本の漢字』 笹原宏之 (岩波新書)

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 日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、ギリシャ文字等々、多彩な文字を併用する世界でも稀な言語だが、なかでも漢字はきわめつけ多彩である。甲骨文以来の三千年の歴史の中で字種は何万にも増えたし、日本で作られた漢字(国字)もある。さらに、同じ「島」という字でも「嶋」や「嶌」、「」のような異体字が夥しく存在する。

 異体字の中には古い由緒をもつものもあれば、俗字や略字、誤字の類もある。これまで俗字や略字を研究の対象にする人は多くはなかったし、誤字となると学問の埒外だった。しかし、手書の時代は「門」を「门」と略すのは普通だったし、同じ字を何度も書く場合、字体を変えて変化をつけるのも珍らしくはなかった。縁起がいいという理由で「鳩」を「」と書くようなこともおこなわれていた。

 言語学では特定の集団で使われる語を「位相語」と呼ぶが、著者は特定の集団で使われる字を「位相文字」と呼ぶことを提唱している。個人的に造字された字は位相文字の段階をへて国字になると考えられる。

 俗字や略字、誤字は等閑にふされてきたとはいえ、国字とともに、日本語の重要な一部であり、われわれの生活に密着した文字なのだ。

 本書は国字、俗字、略字、誤字など、日本で独自の発展をとげた漢字の多彩な世界を一望におさめた本である。しかも、単に珍らしい字を羅列するのではなく、その字がどのような経緯で生まれ、どのような場面で用いられるかを明解に解説している。「龍」を四つならべた「」は三番目か四番目に画数の多い字として有名だが、早稲田の政経学部を作った小野梓の名前(てついち)に使われていたことは本書で知った。本書は恐るべき雑学の宝庫であり、著者の博覧強記には脱帽するしかない。

 一般の読者は気がつかずに読みすごしてしまうかもしれないが、文字コードや印刷に関心のある人は本書を見て茫然とするだろう。なにしろ今昔文字鏡にすら収録されていない誤字の類がごろころしているのである。印刷会社と校正係の苦労は察するに余りある。

 著者は1997年の「JIS基本漢字」(JIS X 0208)改訂以来、JISコードを開発保守するJCS委員会の漢字専門委員会の委員を勤めていて、JIS漢字の身元調べで中心的な役割をはたしたことで知られている。本書でもJIS幽霊字の一つ、「妛」の正体をつきとめるまでの気の遠くなるような作業が語られていて頭がクラクラしてくる。著者は昨年、「妛」という幽霊字が生まれるきっかけとなった原という土地を訪れたが、高齢者が三人住んでいるだけでゴーストタウン化していたという。

 中国では20世紀になっても新しい漢字が作られているそうで、エントロピーを意味する「熵 」や三重水素トリチウムをあらわす「氚 」などはユニコードに収録されているので、大半のパソコンで使うことができる。

 驚いたことに現存の日本人が作った漢字もユニコードにはいったという。その字は「」で、作ったのは吉本隆明氏だ。この字を使った吉本氏の詩が高校の国語の教科書に載ったのでJIS第四水準にはいり、ISO 10646とユニコードにも収録されたのだ。

 ということは、筒井康隆の「佇む人」を高校の教科書に載せれば、「」や「」がユニコードにはいることになる。これはおもしろそうだ。

(WindowsXPのユニコード・フォントにない字は「今昔文字鏡」フォント・サーバーの提供する字形を使わせていただいた)

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