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2006年10月29日

『人名用漢字の戦後史』 円満字二郎 (岩波新書)

人名用漢字の戦後史 →bookwebで購入

 日本では1948年以来、子供の命名に使える字は当用漢字表(現在は常用漢字表)と人名用漢字別表にはいっている漢字と、平仮名、片仮名に制限されている。本書はその人名用漢字別表がどのように誕生し、変遷していったかを追った本である。

 人名用漢字はきわめて身近な存在にもかかわらず、これまで国語改革の一エピソードとしてしかあつかわれてこなかった。国語改革に関する本は汗牛充棟だが、人名用漢字に焦点をしぼった本となると日本加除出版から出ている自治体職員向けの実務書くらいしか思いつかない(戸籍業務の手引書なので、歴史についてはごく簡単にしかふれていない)。

 本書にははじめて読む話がすくなくない。新書判という体裁をとっているが、研究書と思って読んだ方がいい。

 人名用漢字は何度も存亡の危機に直面してきたが、誕生の経緯からしていかがわしい。

 命名にもちいる文字の制限は1947年の戸籍法改正で「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」という条文がはいったことからはじまるが、その背景には国語審議会関係者の働きかけがあったらしい。

 関係者はすでに鬼籍にはいっているが、著者は1979年に刊行された武部良明『日本語の表記』の「それは、非公式ではあったが、当用漢字表に始まる新たな国語政策への協力を要請するものであった」という記述を根拠に、国語審議会関係者が裏で動いたと推定している。

 しかし、これはおかしな話だ。当用漢字表の「まえがき」には「固有名詞については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考えることにした」と明記されており、子供の命名は当用漢字表の適用範囲外なのだ。

 当用漢字表で命名を縛るという矛盾は早速表面化する。当用漢字表には「弘」や「稔」のような人名によく使われる字が含まれていなかったために、改正戸籍法施行の半年後に国会で問題になっているのである。

 ところが、文部省側は子の命名は関知しないと答弁する。当用漢字表は「まえがき」にある通り、固有名詞は制限の対象からはずしてあるというわけだ。

 著者は文部省の二枚舌を次のように批判する。

 国語政策は、戸籍行政に対して「漢字制限」への協力を要請したにもかかわらず、自分たちは関係ないというのである。これでは、戸籍法で子の名前に用いることができる漢字を制限したことについて、遠からず大きな議論がわき起こることは必至であったと言えよう。

 当用漢字表が想定外の役割をはたすようになった以上、国語審議会はただちに固有名詞用の別の漢字表を作るべきだったろう。

 しかし、衆議院法務委員会が漢字制限の撤廃を検討していることを「夕刊読売」がスクープすると、国語審議会はあわてて92字からなる人名用漢字別表を作り、文部大臣に建議した。漢字制限の一角が崩れることを恐れたのである。

 興味深いのは人名用漢字別表と同じ総会で採択された「人名漢字に関する声明書」である。以下に孫引する。

当時の国語審議会は、当用漢字の選定にあたって、固有名詞(特に地名・人名)に用いられる漢字については、法規上その他に関係するところが大きいので、別に考慮することとしたのである。しかしながら、これは主として既存の固有名詞についてのことであったが、これから新しくつけられる子の名や官庁・会社などの名称は、なるべく当用漢字表によることが望ましいという態度をとったのである。(強調は引用者)

 既存の固有名詞はしょうがないが、新しく作る固有名詞はすべて当用漢字表の制限内にしろというわけだ。国語審議会関係者は衆議院の動きをつぶすために今回も裏で動いたらしい。

 しかし、使いたい漢字が使えないという国民の不満はおさまらず、人名用漢字追加の圧力は強まるばかりだった。国語審議会は人名用漢字が増えることに抵抗しつづけたが、当用漢字表が廃止され、常用漢字表が制定されたのを機に、人名用漢字は法務省の管轄に移ることになる。法務省の省令改正だけで増やせる現在の方式はこの時にできた。

 常用漢字表への切り換え時には「目安」という言葉をはさんで、漢字制限派と伝統派が攻防をくりひろげたが、人名用漢字でも「目安」が戦略上の要地となっていたというのはおもしろい。

 本書からは多くを教えられたが、疑問点がないわけではない。

 人名用漢字だけに話をしぼったのは一つの見識かもしれないが、一般向けの新書としてはどうだろうか。人名用漢字は重要にはちがいないが、国語改革の流れの中で誕生したことは否定できない。人名用漢字の問題を理解するには、国語改革全体の流れがわかっている必要がある。国語改革について自信のない読者は阿辻哲次氏の『「名前」の漢字学』の併読をお勧めする。

 それと関連してだが、国語審議会内の対立が漢字制限派と伝統回帰派の対立のように書かれているのは事実と異なる。初期の国語審議会ではイデオロギーごりごりの漢字廃止派が大きな力を振るっていた(著者は「表音派」と書いているが、なぜ漢字廃止派とはっきり書かないのか)。漢字廃止派にとっては当用漢字表は漢字廃止までの一段階にすぎなかった。いい加減な字体変更を強行したのは、当用漢字表を漢字廃止までの過渡的必要悪と考えていたからこそだろう。

 1965年にいたって、ようやく漢字仮名交じり文を日本語の表記とするという会長談話が出るが、この談話にこぎつけるまでには相当なすったもんだがあった。国語審議会の最初の20年間は漢字廃止という狂気が猛威をふるっていたのであり、それを知らないと国語審議会の動きは理解できない。

 また、「漢字の封建制」や「ことばの民主化」という語を著者は自明のことのように用いているが、はたして自明だろうか。

 日本より過激な漢字改革を断行した中国や、漢字を廃止した北朝鮮はいまだに民主主義のかけらもない社会主義国家だが、伝統字を使いつづけている台湾は立派な民主主義国家である。漢字を簡単にしたり廃止したからといって、社会が民主化するわけではない。イデオロギーごりごりの漢字廃止論者が主張していた「ことばの民主化」や「逆流」のような概念の枠組を無批判に受けいれていいのだろうか。

 もう一つ、若い人は意外に思うかもしれないが、漢字廃止論は実業界や陸軍の強い支持をえており、満洲や南方占領地では漢字廃止派が日本語教育に当たっていた。実業界や陸軍が漢字廃止を支援したのは漢字を廃止すれば業務が能率化すると期待していたからだ。ワープロやパソコンが普及するまでは、漢字は産業の発展を阻害する諸悪の根源と見なされていたのである。漢字廃止をめぐる騒動は民主主義/軍国主義ではなく、能率主義/伝統主義の対立軸で展開していたのである。

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