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2006年10月29日

『「名前」の漢字学』 阿辻哲次 (青春新書)

「名前」の漢字学 →bookwebで購入

 日本では新しく生まれた子供に名前をつけるのに、使っていい字といけない字の別がある。役所に出生届を出そうとしたら、窓口でその字は使ってはいけないと突き返されたというような話は誰しも聞いたことがあるだろう。使いたい文字が使えないために裁判になることがあるし、2004年9月には法務省が命名に使える字の追加候補578字を公開しパブリックコメントをもとめたが、「糞」「呪」「屍」「癌」のような字が含まれていたので、ずいぶん話題になったものだ。

 名前に使える文字は昔から制限されていたわけではない。制限がはじまったのは1948年からだ。1948年とは日本の敗戦から三年目で、国語改革が進められていた頃である。そう、命名に使える字の制限は敗戦後の国語政策がからんでいる。

 しかし、国語政策は文部科学省と文化庁の領分である。人名用の漢字は戸籍にかかわるので法務省の管轄のはずだが、どうなっているのか。そもそも、なぜ人名に使う文字を制限するのか。

 本書はこうした疑問に答えてくれる本で、当用漢字とは別に人名用漢字が作られた経緯や国語改革の実情、人名用漢字性格の変化、人名用漢字を選定する委員会の裏話まで、多くのエピソードをまじえて平明に語っている。

 著者は漢字に関する多くの啓蒙書を書いている漢字学の第一人者だが、最後の国語審議会委員やJISコードの2004年改正の主査、さらには2004年の人名用漢字追加の委員会の委員もつとめている。人名用漢字の委員会の議事録はネットで公開されているが、法学部的発想と文学部的発想の対立というような話までは議事録だけではなかなかわからない。

 2004年の大幅追加の直接のきっかけが曽良そらちゃん事件の最高裁判決にあったことは間違いない。

 曽良ちゃん事件とは、札幌市在住の松山丈史氏が我が子に「曽良」と名づけようとしたところ、「曽」が人名用漢字にも常用漢字にもはいっていなかったので、区役所から受理を拒否された事件である(詳しくは松山氏自身の経過報告)。松山氏は札幌家裁に審判を求め、家裁、高裁とも勝訴し、2003年12月には最高裁も高裁判決を支持したので、人名用漢字を制限する根拠が問われることとなった。こういう判決が確定した以上、法務省としては人名用漢字の大幅拡充に踏み切るしかなかったのである。

 追加候補を選定するにあたっては国民の要望が考慮されたが、「腥」や「僾」の要望が多かったという話しには驚いた。「腥」は「なまぐさい」、「僾」は「曖」の異体字で「ぼんやり」だから、どちらも名前に向いた字とはいえまい。なぜこんな字を子供の名前に使いたい人が多いのか。

 字面だけ見ると「腥」は「月」+「星」、「僾」は「人」+「愛」なので、きれいな字と勘違いしているらしい(「腥」の「月」は moon の方ではなく、「肉月」)。

 わたし自身は人名漢字の制限に反対だが、本書を読んで自信がなくなってきた。というのも、制限を撤廃すると、漢字とカナ以外の文字の使用も認めなくてはならなくなる可能性があるからだ。

 国際結婚が増えている以上、これは決して架空の問題ではない。漢字とカナでは発音が正確にあらわせないから、ハングルやアラビア文字の使用を認めるべきだという訴訟は明日起こってもおかしくはないだろう。

 漢字とカナ以外の名前をもつ日本国民を認めるかどうかを今から考えておいた方がよいかもしれない。

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