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2006年08月30日

『文字の歴史』 ロジャー・フィッシャー (研究社)

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 フィッシャーの言語史三部作の二冊目で、文字の歴史をあつかっている。邦訳で470ページとぶ厚いが、日本語で読める文字関係の本の中ではもっとも充実した内容だと思う。

 本書は一般読者向けに書かれているが、単なる概説書ではない。すべての文字はただ一つの起源から生まれたとする単系統説を掲げているからだ。

 文字は社会がある発展段階に達すれば必然的に発生するという考え方がある。メソポタミアの楔形文字と中国の漢字、新大陸のマヤ文字はまったく独立に生まれたと考える人は多いし、エジプトのヒエログリフも楔形文字とは別系統と主張する人もいる。

 しかし、著者は文字は人類の歴史でただ一度だけ偶然に生まれたと考えている。生まれた場所は6000年前のシュメールで、シュメール語の膠着語的性格が絵文字から文字への飛躍をうながしたというのが著者の主張だ。

 ヒエログリフと漢字も楔形文字の子孫なのだろうか。ヒエログリフと漢字は楔形文字と字形上の類似がなく、別系統と考える人はすくなくない。

 著者は「刺激伝播説」で字形の問題を解決する。字形は継承されなかったが、形によって音声をあらわすというアイデアが伝わったと考えるのである。

 都合のいい考え方と見る人がいるかもしれないが、楔形文字でありながらアルファベットの原理を借用したウガリット文字という例があるので、アイデアだけの伝播という考え方は十分成りたつと思う。古代のメソポタミアと中国の間に交易が存在していたことは考古学的に確認されており、楔形文字誕生と漢字誕生の間の2000年の時間差を考慮すれば、漢字も楔形文字の影響で生まれたと見る方が自然である。

 問題はマヤ文字やそれに先立つメソアメリカの文字群である。新大陸の文字もシュメールの文字の末裔なのだろうか?

 著者はマヤ文字に代表される新大陸の文字が漢字と同じ表語音節文字であり、漢字の形声と同じ原理で造字されているとし、しかも方形の升目に縦書されるという表記法まで同じだと強調している。

 しかし、漢字と似ているというのはあくまで著者の見解であって、決して一般的な説ではないだろう。漢字を構成する要素は意符と音符にはっきりわかれ、音符は一つしかないが、マヤ文字の場合は複数の音符を組みあわせて複音節の文字を作ることがあるのである(著者は漢字とマヤ文字、両方を誤解しているのかもしれない)。また、新大陸で最も古い原サポテカ文字は紀元前700年頃に生まれている。最近は『1421―中国が新大陸を発見した年』や『中国が海を支配したとき』のように、中国人がコロンブス以前に新大陸に到達していたとする研究が出てきているが、春秋時代に太平洋をわたっていたという仮説はちょっと大胆すぎるだろう。

 単系統説はともかくとして、平明な語り口と豊富な実例は本書を第一級の概説書にしているし、アルファベットの書体の変遷をたどった第七章「羊皮紙のキーボード」はこれだけ独立させても立派な本になるだろう。

 しかし、欠点がないわけではない。欧米人の書いた文字の本の常として、アラビア文字とインド系の文字のあつかいが軽すぎる。欧米人は東アジアの漢字文化圏の重要性までは認めても、中央アジアや南アジアの多彩な文字世界の存在には気がついていないらしい。

 ささいなことだが、『ことばの歴史』では「語根語」「融合語」という珍らしい訳語が使われていたのに対し、本書では「屈折語」「膠着語」という普通の訳語になっている。混乱する読者がいるかもしれない。

 漢字文化圏には50ページほどあてているが、例によって記述はかなり怪しい。日本の部分に関しては、残念ながら、首をかしげるところだらけである。著者は沖縄に一時住み、日本語を勉強したことがあるそうだが、他国の文字を理解するのは困難なことだと再認識した。

 欧米人の書いた本という限界はあるが、本書がすぐれた文字の概説書であるという判断は動かないだろう。

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