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2006年08月24日

『人類最高の発明アルファベット 』 ジョン・マン (晶文社)

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 ラテン・アルファベットの誕生物語である。原題は「アルファ・ベータ 26文字はいかにして西洋世界を形成したか」だが、邦訳は前書にある「人類最高の発明」という言葉を題名に選んでいる。

 古代の文字をあつかった本は、解読する過程に焦点をあわせる謎解き型と、文字を生みだした社会に焦点をあわせる歴史型の二つにわかれるが、本書は歴史型のアプローチをとっている。著者のジョン・マンはフビライ汗やフン族のアッティラなど歴史物を書いてきた作家だそうだが、ヒエログリフから単子音文字が生まれ、ギリシャにはいってアルファベットになるという歴史を、多彩なエピソードを豊富に盛りこんで第一級の読み物にしあげている。

 文字以前の絵文字から完全な文字に飛躍するには、哲学的といっていい、ややこしい議論があるが、著者は奉納物の整理に困ったメソポタミアの神官を登場させることで、すんなりと完全な文字の世界に話をつないでいる。哲学的な議論に深入りしないのは、これはこれで見識かもしれない。

 音韻を音素に分解するというアルファベットの発想はヒエログリフの中で生まれたが、ヒエログリフは表語文字的要素や音節文字的要素がごった煮になった複雑怪奇な表記体系だった。ヒエログリフの中からアルファベット的要素のみを抜きだした人間がアルファベットの発明者といえるが、その発明者はエジプトに働きにきた「アジア人」だったらしい。

 この「アジア人」はヘブライ人と関係があったという説がある。現存する最古のアルファベットである原シナイ文字は西セム語方言を表記したらしいとわかっているが、原シナイ文字が岩に刻みつけられる何十年も前に、ある「アジア人」がアルファベットの原型を発明し、それがエジプトに働きにきていたさまざまな「アジア人」の間に広まっていったと考えるのである。その「アジア人」の中にヘブライ人の祖先が含まれていたとしても不思議ではないだろう。著者はこの説を踏まえ、ヘブライ人の信仰を可能にしたのはアルファベットだと書いている。


 唯一神信仰の発達は、その信仰を記録し、それを読み取る能力に依存しただろう。そして記録と読み取りは双方ともアルファベットの考案に依存していたと考えることができる。そうであれば、神は単にイスラエルの神であるだけではなく、アルファベットの神でもある。



 ラムセス二世が欧米で有名なのはモーセの出エジプト時のファラオだった可能性があるからだそうだが、欧米人はどうしても聖書中心の発想になるらしい。

 アルファベットに母音がくわわり、完全な音素文字として確立したのはギリシアにおいてだが、著者はギリシアの文字の使い手は陶工や石工、大工などの下層の職人だったと指摘している。メソポタミアやエジプトでは文字を読み書きする能力は特権的な特殊技能であり、書記という世襲の有力な集団を生みだしたが、ギリシアでは読み書き能力は下層から上層へ広まったというのだ。

 上層市民の間では読み書き能力は重視されておらず、識字率はアテネ最盛期の紀元前五世紀でも一割以下だったらしい。根拠となるのは陶片追放の陶片の筆跡だ。テミストクレスを追放した時の陶片が190片残っているが、その筆跡は14人分しかないという。陶片追放のような重大事を九割以上の市民が代筆ですませていたのだとしたら、識字が民主主義をもたらすというおなじみの主張は根拠を失うことになる。

 西洋の文字については教えられるところが多いが、アジアの文字となると記述が怪しくなる。たとえば、ハングルについてこんなことを書いている。


 ハングル表記の新聞が初めて世に出たのは、一八九六年のことだった。しかし一九一〇年から一九四五年にかけての日本軍による占領によってハングル表記は強制的に廃止された。



 韓国人の書いた本を鵜呑みにしたのだろうが、事実はまったく逆である。ハングル専用の新聞は確かに一八九六年の「独立新聞」が最初だが、その十年前に福沢諭吉の肝煎で漢字ハングル交じり文による「漢城周報」という新聞が創刊され、後に日刊化されているのである。また、ハングルを義務教育にとりいれ、普及させたのは日韓合邦後の朝鮮総督府だったし、近代ハングルの確立には金沢庄三郎、小倉進平らの日本人研究者が大きな働きをした。こういう誤りが欧米に広まっているとしたら問題だと思う。

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