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2006年08月31日

『A History of Reading』 Steven Roger Fischer (Reaktion Books)

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 フィッシャーの言語史三部作の最終巻で、「読むこと」の歴史をあつかい、出版史、印刷史、図書館史、教育史など多岐な話題にわたるが、著者の企図は『文字の歴史』以上に大胆で野心的だ。

 これまで文字言語は音声言語の不完全なコピーとみなされていた。文字は最初の五千年間は音読されてきた。文字は文字通り、話す図形だった。中世になって黙読という技術が開発されてからも、頭の中で必ず一度音にもどしてから理解されるのだと考えられきた。

 しかし、脳科学の進歩によって、音声を介在することなく、視覚イメージから直接意味の理解に進む経路が存在する可能性が出てきたというのだ。

 それは漢字だけではない。read というようなアルファベットで綴られた単語も、「r」「e」「a」「d」と文字を一つ一つ順番にたどっていって read という単語が認識されるというプロセスだけではなく、「read」という一塊の図形として脳で処理されるプロセスがあるらしい。分かち書きされたアルファベット文字列も、漢字と同じように表語文字として機能している可能性があるのである。

 こうした知見から著者は「読むこと」が五官で知覚されるのとは別の独立した知覚領域を開くと考え、「読むこと」の歴史を書きはじめる。

 著者の壮大な意図は評価したいが、「読むこと」を認識論的・形而上学的・脳科学的にに掘りさげているわけではなく、具体的な内容となると、雑学の寄せあつめで終わっているという印象を否めない。

 「読むこと」を考えるなら、日本語は格好の材料になるはずである。著者は山鳥重らの失読症の研究に言及し、脳の損傷部位によってカナが読めなくなるタイプと感じが読めなくなるタイプがあるという報告を紹介するが、それ以上突っこんではいない。

 日本語の訓読みと音読みや、漢文訓読などは「読むこと」の秘密を探る重要な手がかりになるはずだが、著者はそうした問題があることを知らないのか、日本に関する記述は文学史の引き写しでお茶を濁している。

 期待しただけに竜頭蛇尾という感想をもったが、「読むこと」という視点で集めた雑学集と考えれば、面白い本ではある。

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2006年08月30日

『文字の歴史』 ロジャー・フィッシャー (研究社)

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 フィッシャーの言語史三部作の二冊目で、文字の歴史をあつかっている。邦訳で470ページとぶ厚いが、日本語で読める文字関係の本の中ではもっとも充実した内容だと思う。

 本書は一般読者向けに書かれているが、単なる概説書ではない。すべての文字はただ一つの起源から生まれたとする単系統説を掲げているからだ。

 文字は社会がある発展段階に達すれば必然的に発生するという考え方がある。メソポタミアの楔形文字と中国の漢字、新大陸のマヤ文字はまったく独立に生まれたと考える人は多いし、エジプトのヒエログリフも楔形文字とは別系統と主張する人もいる。

 しかし、著者は文字は人類の歴史でただ一度だけ偶然に生まれたと考えている。生まれた場所は6000年前のシュメールで、シュメール語の膠着語的性格が絵文字から文字への飛躍をうながしたというのが著者の主張だ。

 ヒエログリフと漢字も楔形文字の子孫なのだろうか。ヒエログリフと漢字は楔形文字と字形上の類似がなく、別系統と考える人はすくなくない。

 著者は「刺激伝播説」で字形の問題を解決する。字形は継承されなかったが、形によって音声をあらわすというアイデアが伝わったと考えるのである。

 都合のいい考え方と見る人がいるかもしれないが、楔形文字でありながらアルファベットの原理を借用したウガリット文字という例があるので、アイデアだけの伝播という考え方は十分成りたつと思う。古代のメソポタミアと中国の間に交易が存在していたことは考古学的に確認されており、楔形文字誕生と漢字誕生の間の2000年の時間差を考慮すれば、漢字も楔形文字の影響で生まれたと見る方が自然である。

 問題はマヤ文字やそれに先立つメソアメリカの文字群である。新大陸の文字もシュメールの文字の末裔なのだろうか?

 著者はマヤ文字に代表される新大陸の文字が漢字と同じ表語音節文字であり、漢字の形声と同じ原理で造字されているとし、しかも方形の升目に縦書されるという表記法まで同じだと強調している。

 しかし、漢字と似ているというのはあくまで著者の見解であって、決して一般的な説ではないだろう。漢字を構成する要素は意符と音符にはっきりわかれ、音符は一つしかないが、マヤ文字の場合は複数の音符を組みあわせて複音節の文字を作ることがあるのである(著者は漢字とマヤ文字、両方を誤解しているのかもしれない)。また、新大陸で最も古い原サポテカ文字は紀元前700年頃に生まれている。最近は『1421―中国が新大陸を発見した年』や『中国が海を支配したとき』のように、中国人がコロンブス以前に新大陸に到達していたとする研究が出てきているが、春秋時代に太平洋をわたっていたという仮説はちょっと大胆すぎるだろう。

 単系統説はともかくとして、平明な語り口と豊富な実例は本書を第一級の概説書にしているし、アルファベットの書体の変遷をたどった第七章「羊皮紙のキーボード」はこれだけ独立させても立派な本になるだろう。

 しかし、欠点がないわけではない。欧米人の書いた文字の本の常として、アラビア文字とインド系の文字のあつかいが軽すぎる。欧米人は東アジアの漢字文化圏の重要性までは認めても、中央アジアや南アジアの多彩な文字世界の存在には気がついていないらしい。

 ささいなことだが、『ことばの歴史』では「語根語」「融合語」という珍らしい訳語が使われていたのに対し、本書では「屈折語」「膠着語」という普通の訳語になっている。混乱する読者がいるかもしれない。

 漢字文化圏には50ページほどあてているが、例によって記述はかなり怪しい。日本の部分に関しては、残念ながら、首をかしげるところだらけである。著者は沖縄に一時住み、日本語を勉強したことがあるそうだが、他国の文字を理解するのは困難なことだと再認識した。

 欧米人の書いた本という限界はあるが、本書がすぐれた文字の概説書であるという判断は動かないだろう。

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2006年08月29日

『ことばの歴史』 ロジャー・フィッシャー (研究社)

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 著者のロジャー・フィッシャーは言語学者で、イースター島のロンゴロンゴ文字やファイストスの円盤文字などの未解読文字に関する論文を書いているそうである。謎の文字に興味をもつ言語学者はあまり多くない。

 本書は話し言葉の歴史を一望した概説書だが、つづいて出版された『文字の歴史』、『読むことの歴史』(未訳)とともに言語史三部作をなしている。

 三部作の一冊目だからか、本書には「アリのことばからインターネットのことばまで」という気宇壮大な副題がついている。しかし、300ページそこそこの分量の本で昆虫やコンピュータの言語まで風呂敷を広げるのは無理があった。

 昆虫や鯨やイルカの「ことば」、さらにはコンピュータのプログラミング言語までとりあげてはいるが、人間の言語と同じ土俵で論じるのは無駄である。はっきりいって、この部分は理系的な雑学をならべただけで終わっていると思う。

 ただし、ヒト以外の人類の言語について考察した部分はおもしろかった。ネアンデルタール人は解剖学的な制約からイ、ア、ウという基本的な三つの母音が発音できなかったろうとか、ホモ・エレクトゥスは条件構文が理解できたとかは、もっと詳しく知りたい。

 三章から六章までは言語の系統を論じており、本書の中核をなす。インド=ヨーロッパ語族偏重におちいらないように、アジアとアフリカの語族に多くの紙幅をさいている点は評価したいが、なじみのない固有名詞がならぶので、百科事典的な印象を受けた。

 第七章「社会と言語」は文系的雑学を披露している部分だが、ここが一番読みでがあった。格好いいという意味で使われるようになった cool は、英語本来の cool とは関係なく、西アフリカの kul(最高、すばらしい)という言葉が起源だというようなトリビアがちりばめられているのである。ジェンダー論争や外来語追放運動をあつかった部分もおもしろい。

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2006年08月27日

『文字の考古学』Ⅰ&Ⅱ 菊池徹夫編 (同成社)

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 恐龍に関する本はだいたい恐龍学者が書いている。星に関する本は天文学者だ。しかし、文字に関する本は考古学者か言語学者、あるいはジャーナリストが書いている。なぜ文字学者が書かないのかというと、個々の文字の専門家はいても、文字学者と呼べる人はいないらしいのだ。

 なぜ文字学者がいないのだろうか? 欧米にはプラトンの昔から、音声言語こそが真性の言語で、文字言語はその不完全な写しにすぎないという牢固たる信念がある。滅びた文明を研究するために、滅びた文字を解読することは必要悪として認められるが、現在使われている文字を研究するのは学問の本道ではないということらしい。

 本書は日本の考古学者たちが書いた文字に関する論集だが、元になったのは社会人向けの公開講座らしく、平明に書かれている。

 考古学者であるから、基本的には古代の滅びた文字をあつかっている。Ⅰは楔形文字、ヒエログリフ、線文字Bなど。Ⅱは中国、日本、北東アジア、中南米の古代の文字事情をとりあげている。以下、目についた箇所を拾ってみる。

 まず、楔形文字である。解読の歴史を簡単に紹介した後、トークン(数え石)が楔形文字の起源だという現在もっとも有力視されている説を批判的に紹介している。記号の刻まれたトークンと文字の出現が同時だという指摘が正しいなら、トークン起源説は怪しくなる。だが、トークン起源説に代わる新たな説が披瀝されているわけではないが、シュメール語の物語に出てくる、王の伝言を使者が憶えられないので、文字を作ったという起源説が紹介されている。

 著者はシュメール人は文字を単なる実用の道具としか使わなかったと考えているらしい。そして、『ギルガメシュ叙事詩』などシュメール語の文学作品は、後代のアッカド人がシュメール人に仮託して書いてものではないかと述べている。中世ヨーロッパ人がラテン語で詩や物語を書いたようなものか。

 ヒエログリフも解読の歴史からはじめ、複雑怪奇な表記システムの解説にはいっていく。ヒエログリフには母音字がないので、便宜的にeという母音を補って読むことになっているそうである。「アメンヘテプ」という王様がいるが、eを補っているから「アメンヘテプ」になるのであって、本当は「アモンホトパ」かもしれないのである。

 次の指摘は特に面白かった。


 われわれの目にするテキストでも古代の書記が文法的に間違いをしているのを見つける。研究者たちはこれを書記の間違いとしてすましてしまうことが多いが、しかし、ほんとうは間違いではなかったかもしれない。ようするに、われわれは後から規則をつくって、それに古代の文字を当てはめているのである。彼らは文字を正確に使って書いていたのに、この文字ができてから5000年も後に生まれた人間が勝手につくった文法で判断する。そこに問題があるのかもしれない。



 「地中海域の古代文字」の章では線文字A、線文字Bの解読物語を紹介した後、古代レバノンの単子音アルファベットの影響でギリシャ文字が誕生した経緯を説明している。

 レバノンを中心とした一帯ではアッカド語が外交言語となっており、ピジン・アッカドというべき簡略化された楔形文字が使われていたが、言語と文字の間にかなりの齟齬があった。紀元前1000年頃、一気に単子音アルファベット化したのは、そのためではないかと指摘している。

 「古代ヨーロッパの文字」の章ではキリル文字やゴート文字など、キリスト教の布教のために、ギリシャ文字から作られた文字を紹介した後、キリスト教と無関係に生まれたと著者が考えるルーン文字とオガム文字を大きくあつかっている。著者はルーン文字とオガム文字は表意文字起源だというのだが、こういう立場はあまり一般的ではないと思う。

 Ⅰの最後はインダス文字だが、未解読の文字だけに発掘の経緯から話をはじめ、文字の話はなかなか出てこない。文字についての情報は、ドラヴィダ語との関係が有力視されていることぐらいである。

 Ⅱはまず古代中国の文字である。土器などに見られる符号や文様について詳しく触れている点は目新しいが、甲骨文以降は金文、大篆、小篆、隷書と、字形の変遷をたどるだけで、特に新しい情報はない。

 「古代日本の文字世界」は完全に考古学の話で、文字にしか興味のない人間には退屈だった。

 「北東アジア――文字から遠い世界」も考古学の話である。シベリア各地にラスコーのような狩猟を描いた岩面画がたくさん残っているが、ラスコーと異なるのはシャーマンが頻繁に描かれていることだそうである。

 「マヤ文明の文字」はマヤ文字のコンパクトな解説になっている。マヤ文字碑文には経済関係の記述は皆無と考えられてきたが、最近、貢納や租税を意味すると推定される文字が見つかったそうである。欲をいえば、マヤ文字に先行するメソアメリカの文字についてもふれてほしかった。

 「南米の無文字社会」はインカの結縄キープの話が主で、最後に岩面刻画についてふれている。

 Ⅱははっきりいっておもしろくないが、最後の「人類史と文字」という章は文字の本質論を語っていて刺激的である。

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2006年08月26日

『図説 アジア文字入門』 東京外大AA研編 (河出書房)

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 「ふくろうの本」シリーズから出た文字図鑑で、漢字、アラビア文字、インド文字などアジアの多彩な文字が一望でき、ため息が出てくる。

 編纂は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所で、同研究所が2001年から進めている「アジア書字コーパスに基づく文字情報学の創成」(GICAS)というプロジェクトの一環として生まれたという。プロジェクト名は厳めしいが、中味はビジュアル中心で、大学の研究所の産物とは思えないくらい楽しい本に仕上がっている。

 おそるべきは知識量だ。わずか100ページそこそこの本で、半分以上が図版だが、アジアの文字に関する限り、数倍の分量のある欧米人の書いた文字の概説書より、桁違いの量知識が詰めこまれている。

 欧米で出ている最近の文字の概説書はアルファベット中心主義から脱却しようとしているが、せいぜい漢字を重視するくらいで、アラビア文字やインド文字はアルファベットの歴史の一挿話としてしかあつかっていない。なまじ表音文字であるだけに、欧米人の目にはアラビア文字やインド文字は出来そこないのアルファベットと映るらしいのだ。

 しかし、アラビア文字文化圏やインド文字文化圏は広がりにおいても、人口においても、伝統においても、アルファベット文化圏や漢字文化圏に決して引けをとっていないし、今後、いよいよ重要になっていくだろう。

 日本はアラビア文化やインド文化と直接の接触がすくなかっただけに、偏見なしに接することができる。街を歩いてもハングルやタイ文字、デーヴァナーガリ文字を普通に目にするようになってきたし、地域によってはアラビア文字も珍らしくなくなっている。

 日本でGICASのようなプロジェクトが進められているのは非常に意義深い。アジアの文字文化の気の遠くなるような厚みにふれ、欧米起源の偏狭な文明観から脱するためにも、ぜひ多くの人に手にとってもらいたい本である。

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2006年08月25日

『図説 文字の起源と歴史』 アンドルー・ロビンソン (創元社)

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 カラー図版を中心にした文字の啓蒙書である。邦題はいかめしいが、原題は Story of Writing である。著者のアンドルー・ロビンソンはタイムズ紙の教育特集版の文芸担当記者で、線文字Bを解読したヴェントリスの伝記も上梓している。

 類書としてはジョルジュ・ジャンの『文字の歴史』がロングセラーをつづけているが、B6版と小型のためにやや読みにくかったのに対し、本書は二回り大きいA5版でゆったり組んである。

 本書は「文字のしくみ」、「失われた文字」、「今日の文字」という三部にわかれている。

 「文字のしくみ」は序論にあたる。ロゼッタストーンの解読物語を紹介して読者の興味をかきたててから、理論的な話にはいる。文字の表音性と表意性の誤解を指摘した部分は秀逸である。文字の起源を論じた部分は割符や結縄、数え石がなぜ文字ではないかという切口から攻めている。難解な議論をわかりやすく、バランス感覚よくまとめていると思うが、ただ、これも一つの立場であって、すべての人が著者の説に納得するわけではないだろう。

 「失われ文字」では楔形文字、ヒエログリフ、線文字B、マヤ文字にそれぞれ一章をあて、最後の「未解読の文字」でインダス文字、線文字A、原エラム文字、イースター島のロンゴロンゴ文字にふれている。解読という切口から記述しているが、標準的な解説といえるだろう。

 「今日の文字」ではアルファベット、漢字、日本の文字をとりあげている。アルファベットについては原シナイ文字からの歴史をたどっているが、本来、アルファベットと対等にあつかわれるべきアラビア文字とインド系の文字をそれぞれ一ページですませてしまっている。欧米人の視点だと、こうなるのだろう。

 問題は漢字と日本の文字をあつかった部分である。漢字には20ページ、日本の文字には10ページをさいている。大きくあつかってくれているので悪い気はしないけれども、苦笑するところがたくさんあるのである。翻訳にあたって明らかな間違いは削除したということだが、それでもこれだけ変なところがあるのである。原文ではどうなっているのだろうか。

 最後の章では音声をともなわない純粋な表意文字がありうるという立場を批判し、文字の基本は表音性にあり、表意性は補助にとどまると結論している(著者は「表意文字」ではなく「表語文字」という用語を使っているが、言っていることは「表意文字」である)。デリダの『グラマトロジーについて』の影響を受けた学者でも批判しているのだろうか。

 つっこみどろころはいろいろあるが、ビジュアルな啓蒙書としてはまあまあだと思う。

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2006年08月24日

『人類最高の発明アルファベット 』 ジョン・マン (晶文社)

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 ラテン・アルファベットの誕生物語である。原題は「アルファ・ベータ 26文字はいかにして西洋世界を形成したか」だが、邦訳は前書にある「人類最高の発明」という言葉を題名に選んでいる。

 古代の文字をあつかった本は、解読する過程に焦点をあわせる謎解き型と、文字を生みだした社会に焦点をあわせる歴史型の二つにわかれるが、本書は歴史型のアプローチをとっている。著者のジョン・マンはフビライ汗やフン族のアッティラなど歴史物を書いてきた作家だそうだが、ヒエログリフから単子音文字が生まれ、ギリシャにはいってアルファベットになるという歴史を、多彩なエピソードを豊富に盛りこんで第一級の読み物にしあげている。

 文字以前の絵文字から完全な文字に飛躍するには、哲学的といっていい、ややこしい議論があるが、著者は奉納物の整理に困ったメソポタミアの神官を登場させることで、すんなりと完全な文字の世界に話をつないでいる。哲学的な議論に深入りしないのは、これはこれで見識かもしれない。

 音韻を音素に分解するというアルファベットの発想はヒエログリフの中で生まれたが、ヒエログリフは表語文字的要素や音節文字的要素がごった煮になった複雑怪奇な表記体系だった。ヒエログリフの中からアルファベット的要素のみを抜きだした人間がアルファベットの発明者といえるが、その発明者はエジプトに働きにきた「アジア人」だったらしい。

 この「アジア人」はヘブライ人と関係があったという説がある。現存する最古のアルファベットである原シナイ文字は西セム語方言を表記したらしいとわかっているが、原シナイ文字が岩に刻みつけられる何十年も前に、ある「アジア人」がアルファベットの原型を発明し、それがエジプトに働きにきていたさまざまな「アジア人」の間に広まっていったと考えるのである。その「アジア人」の中にヘブライ人の祖先が含まれていたとしても不思議ではないだろう。著者はこの説を踏まえ、ヘブライ人の信仰を可能にしたのはアルファベットだと書いている。


 唯一神信仰の発達は、その信仰を記録し、それを読み取る能力に依存しただろう。そして記録と読み取りは双方ともアルファベットの考案に依存していたと考えることができる。そうであれば、神は単にイスラエルの神であるだけではなく、アルファベットの神でもある。



 ラムセス二世が欧米で有名なのはモーセの出エジプト時のファラオだった可能性があるからだそうだが、欧米人はどうしても聖書中心の発想になるらしい。

 アルファベットに母音がくわわり、完全な音素文字として確立したのはギリシアにおいてだが、著者はギリシアの文字の使い手は陶工や石工、大工などの下層の職人だったと指摘している。メソポタミアやエジプトでは文字を読み書きする能力は特権的な特殊技能であり、書記という世襲の有力な集団を生みだしたが、ギリシアでは読み書き能力は下層から上層へ広まったというのだ。

 上層市民の間では読み書き能力は重視されておらず、識字率はアテネ最盛期の紀元前五世紀でも一割以下だったらしい。根拠となるのは陶片追放の陶片の筆跡だ。テミストクレスを追放した時の陶片が190片残っているが、その筆跡は14人分しかないという。陶片追放のような重大事を九割以上の市民が代筆ですませていたのだとしたら、識字が民主主義をもたらすというおなじみの主張は根拠を失うことになる。

 西洋の文字については教えられるところが多いが、アジアの文字となると記述が怪しくなる。たとえば、ハングルについてこんなことを書いている。


 ハングル表記の新聞が初めて世に出たのは、一八九六年のことだった。しかし一九一〇年から一九四五年にかけての日本軍による占領によってハングル表記は強制的に廃止された。



 韓国人の書いた本を鵜呑みにしたのだろうが、事実はまったく逆である。ハングル専用の新聞は確かに一八九六年の「独立新聞」が最初だが、その十年前に福沢諭吉の肝煎で漢字ハングル交じり文による「漢城周報」という新聞が創刊され、後に日刊化されているのである。また、ハングルを義務教育にとりいれ、普及させたのは日韓合邦後の朝鮮総督府だったし、近代ハングルの確立には金沢庄三郎、小倉進平らの日本人研究者が大きな働きをした。こういう誤りが欧米に広まっているとしたら問題だと思う。

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