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2006年07月31日

『サイバー北朝鮮』ウラジミール(白夜書房 )

サイバー北朝鮮 →bookwebで購入

 藤本健二氏の本で将軍様がたいへんなパソコン・マニアで、報告はすべてメールで受けとったり、毎日、数時間、ネットサーフィンをしていると読み、あの国の電脳事情が知りたくなった。そこで本書『サイバー北朝鮮』を手にとってみた。

 『サイバー北朝鮮』は「ハッカー・ジャパン」というアングラ系パソコン雑誌の連載コラム「ハッカー・アジア」から北朝鮮関係の記事を集めて作った本だそうで、発行は2003年9月、一番新しい記事は同年7月である。コンピュータ・プローパーの話題とコンピュータ周辺のアングラ情報が半々だが、ドッグイヤーの業界なので、たった三年前でも話題は古くなっている(紹介されているサイトは消滅しているところがかなりある)。しかし、類書はなく、現在でも貴重な本であることに変わりはない。

 第一章は北朝鮮のインターネット事情をあつかっている。以前、ネットを騒がせたkpドメインの話も出てくる。

 インターネットの住所にあたるURLの最後の部分には、どこの国のサイトかをあらわす文字列(国別ドメイン)がつく。日本のサイトは kantei.go.jp、sony.co.jpのように「jp」がつく。韓国の国別ドメインはkr、台湾はtw、ロシアはruである。

 北朝鮮の国別ドメインはkpなのだが、kpドメインのサイトは一つもない。以前、北朝鮮がついにkpドメインのサイトを公開したというニュースが流れたが、例としてあげられている www.stic.ac.kp などにアクセスしようとしてもエラーになってしまう。IPアドレスの検索サイトで調べても、不明という答えしか返ってこない。

 どうなっているのだろうと思っていたが、本書によると北朝鮮は一国全体が閉じた構内ネットになっていて、インターネットには接続されておらず、kpドメインのホームページは構内ネットの内部のみで公開されているらしいとのこと(この件は第四章が詳しい)。

 では、北朝鮮のサイトのURLはどうなっているのかというと、国際ドメインを使っているのである(www.korea-dpr.com/www.dprkorea-trade.com/など)。

(今、検索したところ、ドメイン名取得代行業者の中にはkpドメインをリストにいれているところが多いが、本当に取得できるのだろうか)

 第二章は北朝鮮のスパイの連絡手段の話である。北朝鮮スパイというと、短波放送でただひたすら数字を読みあげる「A-3」という暗号放送が有名だが、これは2000年に終了してしまい、韓国の情報当局は困っているという。現在はインターネットを使って連絡しあっているらしいが、確かなことはなにもわかっていない。

 第三章は韓国の若者を北朝鮮シンパにするための対南工作サイト、「救国戦線」の話で、なんと、日本のサーバーを使っているそうである。

 北朝鮮は対南工作のために、韓国内の地下党が発信しているという建前で、「救国の声」という地下放送をやっていたが、やはり2003年で打ちきられたそうである。インターネット時代になったということもあるが、金大中政権・盧武鉉政権と、北朝鮮に対して融和的な政権がつづいたので、対南工作必要なくなったという見方もあるらしい。

 第四章は韓国の左翼系雑誌の記事をもとに、北朝鮮のネット事情を紹介している。本書の核となる部分で、一番おもしろかった。

 北朝鮮では限られた人間しかインターネットに接続できず、一般国民が使うパソコンは「光明」という閉じたネットワークにつながっている。「光明」は最初は電子メール機能つきの単純な図書目録検索システムだったが、現在はTCP/IPベースで作り直されている。TCP/IPベースの閉じた社内ネットワークを「イントラネット」というが、「光明」は要するに巨大なイントラネットなのである。科学技術情報が充実しているそうだが、いくら充実しているといっても、外部の情報をいちいち検閲してから転載するのであれば、生の情報をリアルタイムで閲覧できるインターネットとは月とスッポンだろう。

 第五章は北朝鮮IT技術者の養成機関や、待遇の話。この分野では金正男の存在が大きいらしい。

 第六章は北朝鮮に対してサイバー戦をしかけている韓国とアメリカの情報機関をとりあげている。エシュロンの話題も出てくるが、大した情報はない。

 珍らしい情報がてんこ盛りになっている本だったが、北朝鮮の文字コードKPS 9566をとりあげていないのは画竜点睛を欠く。KPS 9566がどんなに楽しい文字コードであるかは拙サイトに紹介しておいたので、興味のある人は参照してほしい。

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2006年07月30日

『核と女を愛した将軍様』 藤本健二 (小学館)

核と女を愛した将軍様 →bookwebで購入

 金正日の元料理人、藤本健二氏の三冊目の本である。二冊目がまったくの二番煎じだったのでどうかと思ったが、先日、金正日の四番目の夫人と報じられた金玉女史の写真が載っているので買ってみた。

 今回の本も六割か七割はこれまでの本の内容と重複するが、未公開の写真が追加され、新しいエピソードがかなりはいっている。前二作は将軍様の私生活に限定されていたが、今度の本では公的生活についても言及されている。著者は北朝鮮では秘書室の指導員という身分で働いていた。専属料理人とはいっても、秘書室の中に自分の席をもっていたのだから、公的な情報も耳にはいってきたはずなのだ。

 2000年の訪中から帰った将軍様を白頭山招待所で出むかえた件は前著で語られていたが、将軍様が中国の経済発展に心底感銘を受けていたという話は今度の本ではじめて出てきた。これはかなり重要な証言である。贋札や麻薬の話も出てくるが、将軍様は日本の一万円札は難しいと言っていたそうである。

 著者はプライベートな立場の人間のところに、どのように表の情報が流れてくるかを明かにしている。直接の見聞がどこまでかも明確にしており、著者の証言は信憑性が高いと思う。

 金日成の死の直後の時期にふれた以下の条は気になる。


 主席死去後、将軍に初めて会ったのは、7月も半ばを過ぎてからのことだった。将軍は本当に悲しんで、憔悴しきっていた。まるで1週間も10日も食事をしていないのではないかと思うほど、げっそりしていた。

 後で聞いた話では、心配した高英姫夫人が執務室にいる将軍の様子を見に行ったところ、将軍がピストルを手にしてじっと見つめていたという。それで夫人が驚いて、ピストルを取り上げたらしい。



 萩原遼氏は『金正日 隠された戦争』で、金正日による父親殺し説を述べているが、上記の証言が正しいなら、殺害を命じたなどということはないだろう。しかし、いくら突然の死とはいえ、自殺を考えるほど落ちこんでいたとしたら、深い罪悪感をいだくようなことしたと考えるのが自然だろう。路線対立が金日成の死を早めた可能性はかなりあると思う。

 また、金正日一家(いわゆる「ロイヤル・ファミリー」)についても、これまでになく踏みこんだ話が出てくる。

 今回、将軍様ファミリーについてここまで書いたのは、高夫人が亡くなったことが関係しているだろう。著者は高夫人にたびたび助けられており、きわどいところで日本に帰れたのも高夫人のおかげだった。高夫人に遠慮して、書くのを控えたとしても仕方ないだろう。

 将軍様の秘書兼愛人であるオギ同志こと金玉キム・オク女史の情報を解禁したのも、高夫人が亡くなったからにちがいない。著者は彼女の本名を知る立場にいなかったが、「オギ」という愛称から本名は「オク」だろうと推理している。果たして本書が店頭に並んで二週間後、将軍様の四番目の夫人は金玉女史というニュースが流れ、藤本証言の正しさをあらためて証明した。

 本書で一番重要なのは次の条だと思う。


 実は将軍に近い高級幹部たちでも、もらっている給料はそんなに多くはない。高給幹部といえども、給料だけでは贅沢な暮らしはできないのだ。彼らはこうした宴会に呼ばれて、将軍に気に入られてようやく、高価なプレゼントや高額の小遣を手にすることができる。

 しかし、いったん将軍の前でミスすれば、しばらくこうした宴会には呼んでもらえなくなる。まさに天国と地獄、アメとムチのあいだで、幹部たちは泳がされているのである。



 マカオで凍結されたのは将軍様のポケットマネー27億円にすぎなかったが、この外貨がないと、将軍様は幹部の忠誠心をつなぎとめることができなくなる。北朝鮮がアメリカに金融制裁解除をあの手この手で懇願している理由はここにある。

 万景峰号の入港禁止もこたえているだろう。北朝鮮の船で冷蔵倉庫をそなえているのは万景峰号だけだそうである。万景峰号が日本にはいれなくなることは、日本から高級食材を入手できなくなることを意味する。将軍様ファミリーの分だけなら空路で調達できないことはないが、毎晩宴会を開き、松阪牛を気前よく土産に持たせてやるには、万景峰号が必要なのである。

 著者はエピローグで、将軍様にはフセインのようなみじめな末路をたどってほしくないと書いている。前作、前々作の「あとがき」の将軍様へのメッセージとはまったく違い、終わりにはっきり言及している。こんな思いきったことを書くのは、金正日体制の崩壊が迫っていると予感しているからではあるまいか。

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『金正日の料理人』 『金正日の私生活』 藤本健二 (扶桑社)

金正日の料理人 →bookwebで購入

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 金正日の元料理人、藤本健二氏の手記である。一冊目の『金正日の料理人』は2003年6月に、二冊目の『金正日の私生活』は2004年7月に、どちらも扶桑社から出ている。

 藤本氏は寿司職人として北朝鮮にわたるが、はからずも将軍様に気にいられ、そば近く仕えるようになる。ある時期からは料理人を越えて遊び仲間になり、喜び組(正確には「喜ばせ組」だそうだが)のメンバーの一人と結婚するという特異な経験をしている。

 同時代の話話なのに、本書の読後感は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』や『紫禁城の黄昏』、『王様と私』のような外国人宮廷滞在ものに近い。身分制度のやかましい前近代的な国家で、王様が身分制度の外側にいる外国人に心を許すという構図は、藤本氏の体験にもそのまま重なっている。藤本氏は水上バイクの競争で金正日を負かしたりしているが、北朝鮮高官にはそんなことは絶対に許されない。日本人の子分ができて一番よろこんだのは将軍様自身だったと思う。

 もっとも、将軍様の招待所は紫禁城やポタラ宮やボロマビマン宮殿とは似ても似つかない。紫禁城やポタラ宮やボロマビマン宮殿は文化の粋をあつめた優雅な宮廷だが、将軍様の招待所は成金趣味の豪華リゾートのようなものだし、宴会場で毎夜くりひろげられる乱痴気騒ぎはお世辞にも品がいいとはいえない。しかし、この乱痴気騒ぎにこそ、将軍様の権力の秘密がある。

 将軍様は一人で食事をすることはない。食事にはかならず高級幹部を20名から30名集め(週末には40~50人に増える)、日本から調達した高級食材で作った料理を大盤ぶるまいし、帰りには高級食材や家電製品、ブランド品を土産に持たせてやる。興が乗れば百ドル札の束をエサに、一本数十万円もするコニャックの飲み競争をさせる。幹部たちはドル札ほしさに酒をあおりつづける。もし、欲をかきすぎて泥酔してしまったら、それまで貰ったドル札は没収だから、幹部も大変である。

 なんの実績もない将軍様は、こうやって幹部を宴会で釣ることで、威光を維持しているのである。

 藤本氏は扶桑社から二冊の本を出しているが、内容は八割以上重なっている。主な違いは一冊目が時系列にそって書かれているのに対し、二冊目は「知られざる招待所の全貌」という副題の通り、景勝地に建てられた各招待所を紹介しながら、金正日とのエピソードを語るという形をとっている。

 どちらか一冊ということなら、最初の本をおすすめする。著者は北朝鮮にわたった経緯から報酬の額、日本に残した家族とまずくなり離婚したこと、食材の買付けのために日本に帰国した際に公安警察に逮捕されたこと、公安に保護されながら、各地を転々として刺客に怯えながら暮らしたこと、北朝鮮にもどってから公安のスパイと疑われたこと、そして罠にかかって軟禁生活を余儀なくされたことまで洗いざらい書いている。

 離婚の経緯はかなり怖い。著者は喜び組の歌手に一目惚れするが、将軍様はそれに気づくと、彼女にボクシングの試合をさせ、著者にそのレフリーをやらせて、同情が恋に変わるように仕向ける。そして、朝鮮総聯に日本に残した妻の素行調査をさせ、他の男性と懇ろになっているという事実を著者に知らせ、慰謝料を払ってやるからと離婚を勧める。著者を手元にずっとおいておくには北朝鮮で家庭を持たせるのが一番と考えたのだろうが、将軍様の計画通り著者は離婚し、喜び組の歌手と結婚することになる。

 二冊目は主なエピソードは重複しているが、ディティールがすこしづつ加筆されている。各招待所の地図は新しい情報だが、写真はすべて再掲載である。地下の軍事工場を見学したり、人間魚雷を見せられた話はこちらにしか書かれていない。

 二冊目でどうかと思うのは、文章が弛んで、いかにも脳天気な書き方になっていることである。一冊目はいつ殺されるかもわからないという不安感がにじみでていたが、二冊目になると、マスコミに名前が出てもう殺されることはないと安心したのか、北朝鮮での贅沢な暮らしを懐かしむ気持ち一色になっている。

 公安の事情聴取時、破格の報酬に引かれて北朝鮮にわたったと答えた著者に刑事は脱北者の手記を読ませたというが、著者が経験した景勝地をめぐって贅沢三昧を楽しむ生活は北朝鮮の千数百万の虐げられた人々の犠牲の上に成り立っていたのだ。脱北者が著者の本を読んだら、心おだやかではいられまい。

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2006年07月29日

『北朝鮮飢餓の真実』 ナチオス (扶桑社 )

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 1990年代後半の北朝鮮の飢餓をあつかった、今のところ、唯一の研究書である。萩原遼氏の『金正日 隠された戦争』で重要な論拠の一つとして言及されていたので読んでみたが、徐々に明かになっていく飢餓の実態に鳥肌が立った。

 著者のナチオスはギリシャ系アメリカ人だが、第二次大戦中、ギリシャに残っていた伯父がドイツ軍の食糧徴発のためにおきた飢饉で餓死したことから、人道援助の世界に進んだという。ワールド・ヴィジョンというNGOで長年活動し、2001年5月から2006年1月まで、ブッシュ政権で国際開発庁(USAID)長官をつとめていた。アメリカでは在野の大物が政府高官に任命されることがよくある。原著は長官在任中の2001年12月に出版されている。個人の業績とはいっても、ホワイトハウス中枢の了解をえていたと考えるのが自然だろう。

 ナチオスは1997年6月に北朝鮮を訪れている。まず平壌の保育所に連れていかれ、アフリカの飢餓地帯でもめったにいないガリガリに痩せた子供を見せられたが、立ち入り禁止の部屋に勝手にはいると、栄養状態がよく、清潔な衣服を着た子供たちがいた。予定のなかった高校の視察を強硬に申しいれて実現させたが、千数百人いる生徒はみな普通に成長していて、栄養失調の徴候を見せているのは数人にすぎなかった。

 次に洪水の被害のひどかった煕川という工業都市に連れていかれるが、途中、おびただしい女たちが野草の根を掘りおこしている光景を目撃する。煕川の幼稚園と中学校で見せられた子供はひどい飢餓の徴候を見せていたが、校舎の窓に群がっている子供たちの栄養状態は良好のように見えた。

 ナチオスは混乱する。数多くの飢餓地帯を見てきた彼から見ると、北朝鮮は不自然なことだらけだった。保育所や学校の視察からすると、北朝鮮が飢饉を誇張している疑いが強いが、そうなると、スーダンやソマリアよりも悲惨な子供たちはどこから連れてきたのか。一方、荒野で野草の根を掘りおこす女たちは飢餓の明白な徴候だった。北朝鮮は飢饉を誇張しているのか、隠しているのか。

 ナチオスによれば、北朝鮮入りした外国のNGO関係者はみな、同様の疑いをいだくという。外国人の目からは飢餓は巧妙に隠されており、北朝鮮で活動する援助関係者の中には飢饉は誇張だと考える者や、「平等主義的な国の分配制度を崇めたてまつる者」まだいる。彼らは市民の自由が圧迫されている現実に困惑しながらも「でも、誰も餓死していない」と北朝鮮を弁護しているという。

 ナチオスは翌年、中国側国境地帯を訪れ、多くの脱北者から聴取した結果、「二つの北朝鮮」があると確信する。エリートの住む「平壌の北朝鮮」と、それ以外の国民が住む「もう一つの北朝鮮」だ。すこし長いが、二つの北朝鮮を発見した驚きを記した部分から引用する。


 平壌は他の都市よりはるかに多くの穀物支給を受け、ここで住居を与えられることは、政府に対するよき振る舞いと忠誠心への報酬だとみられている。北朝鮮アナリストのドン・オーバードーファーは、首都における人口浄化について次のように書いている。「外国の外交官の話では、国民は定期的に審査され、病気や高齢、もしくは障害のある者は、政治的に信用できないと見なされた人々と共に平壌から追い出されていた」。これは確かに長年平壌に住んでいたロシアの外交官が私に話してくれた内容と一致する。彼は「中央政府は毎年一万人余りの厄介者を首都から地方に追放し、ちょうど同じ数の人々を体制に対する忠誠心への報酬として地方から首都に連れて来るのだ」と語っていた。また同様に一九九八年、「アジア・ウォッチ」の人権レポートは、「小人や見るからに障害を持った人々は、定期的に駆り集められ、北東部の遠隔地に追放された」と報告している。北東地域で活動していたあるNGOは、異常なほど高い割合で障害者や小人が集まっている都市を実際に見ており、この報告の信憑性を確認している。

 もう一つの北朝鮮とは、このようにして追放されたあらゆる人々が暮らしているところ、つまりマルクス主義者のパラダイスである平壌のきらびやかさを維持するための場所である。……中略……悲劇的な現実だが、それは外部の者からは巧妙に隠されている。



 平壌がエリートしか住めないショーウィンドー都市であることは日本では常識だが、欧米では北朝鮮と係わっている援助団体関係者でも知らないらしい。

 ナチオスが本書を書いたのは北朝鮮では確かに飢饉が起こっており、しかも特定地域が切り捨てられ、餓死者が集中的に発生しているという事実を知らせるためである。彼は一番深刻だった1996年から1997年の期間でも、食糧がすべての国民に平等に配給されていれば餓死が回避される可能性があったが、政治的理由でそうはならなかったと指摘し、こうつづけている。


 中央政府は食糧配給において一九九五年と一九九六年に、政治的理由でいくつかの恐ろしい決断を行っている。第五章で詳しく説明したように、第一には、東側の港への全ての食糧輸送を中止したのである。第二には、状況証拠しかないものの、一九九六年の悲惨な収穫の直後に、北東部以外の地域にも一時的に公的配給制度を中止したと思われるのだ。米国平和研究所のスコット・シュナイダーは一九九七年六月に中国側国境地帯を訪問し、一九九六年の収穫期直後の三カ月の間、食糧価格と死亡率も急激に上昇している逸話的報告を収集している。通常では、収穫後は食糧価格も死亡率も減少する傾向がある。



 東側の港とは咸鏡道の羅清港を指す。咸鏡道に対して配給を停止していた期間があり、当然、餓死者が集中的に発生した。この事実は日本ではほとんど知られていない。

 ナチオスは配給量が7段階にわかれていることも指摘している。もっともすくないのは強制収容所の囚人で、1日あたり200gにすぎない。未就学児童は200~300g。高校生・身体障害者・高齢者は400g。大学生・軍人・軽工業従事者・平壌市民は700g。上級将校と非武装地帯勤務の軍人は850g。鉱山労働者・国防産業従事者は900g。その上に幹部が来る。配給の平等性は見せかけにすぎない。次の一節は重要である。


 マルクス主義体制では財産の蓄積が困難なため、従来の農民市場経済とは全く異なるルートで飢饉の犠牲者に影響が及ぶ。財産が蓄積できない代わりに、政治的に権力を持つ者は国家の資源にアクセスしようとする。これらの物資やサービスへのアクセスは財産の所有と同等であるため、朝鮮労働党のエリートやその家族は危機の間も飢饉の危険性から保護される。



 財産を平等にしても、もっと不透明でひどい格差が生まれるのである。北朝鮮は社会主義から逸脱しているという人が多いが、あの体制こそ、ある面で社会主義の典型というべきだろう。

 本書は教えられるところの多い重要な本だが、日本に関する記述では首をかしげたくなる部分がないではない。たとえば、ナチオスは日本が北朝鮮に対する食糧援助を減らした原因として、拉致問題と日本人妻里帰り問題をあげ、10年以上前に起きた拉致問題が1997年に再浮上したのは北朝鮮を窮地に追いこむための韓国情報部による陰謀という説を信憑性の高い説として紹介している。日本人妻里帰り問題についても、日本人妻が北朝鮮にわたった経緯を知らないのではないかと思わせる部分がある。北朝鮮問題にとりくんでいるブッシュ政権の高官にしてこれでは、日米の情報ギャップは深刻といわなくてはならない。

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2006年07月28日

『金正日 隠された戦争』 萩原遼 (文藝春秋)

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 1990年代に北朝鮮は300万人を越える餓死者を出したと推計されている。一番ひどかった1997年と1998年の両年にはそれぞれ100万人が餓死したらしい。

 おびただしい餓死者が出たのは主体農法と称する滅茶苦茶な農法で農地が疲弊していたところに、天災が襲ったためだと考えられている。似たような気象条件の中国側朝鮮族自治区や韓国北部では凶作程度の被害だったのに、北朝鮮でだけ大量の餓死者が出たのは人災の要素が強かったと言っていいだろう。

 現在では、金正日政権は餓死者が一番多く出た時期に核兵器とミサイルの開発に巨費を投じていたことが明らかになっている。核兵器やミサイルに使う外貨を食料輸入にふりむけていたら、あれほどの餓死者は出なかったはずだ。その意味では人災を越えて、未必の故意の大量殺人の可能性がある。

 本書はさらに一歩を進めて、北朝鮮の大量餓死は敵対階層を殲滅するために金正日政権が仕組んだジェノサイドではないかという仮説を提出している。表題の「隠された戦争」とは、国内の敵に対する戦争という意味である。

 著者自身が認めているように、今のところこれはで仮説であり、状況証拠の積み重ねでしかない。金正日政権が崩壊し、平壌の秘密文書館の扉が開かれるまでは答えは出ないだろうが、最終的な仮説以外にも、本書にはこれまで見すごされてきた重要な事実がいくつも指摘されており、今後の北朝鮮情勢を考える上で重要なので、このblogでとりあげてみたい。

 まず、金日成と金正日の間には1990年以降、深刻な路線対立があり、1994年7月の金日成の死の直前には、ぬきさしならぬところまで激化していたという指摘である。これには北朝鮮側の公刊文書という裏づけがある。

 金日成は1973年に金正日を内密に後継者に指名してから徐々に権力委譲をすすめ、1980年代後半には外交以外はすべて息子にまかせていたが、ソ連がペレストロイカに踏み切って以降、援助が激減し、年間数万人の餓死者が恒常的に出るまでに経済は窮迫していた。金正日は経済の惨状を父親の目から隠していた。金日成が農村に現地指導に出かける時は事前に手を打って、豊かな生活をしているようなヤラセをつづけていたが、いつまで隠せるものではない。餓死者が出ていると知った金日成は愕然とし、ただちに内政に干渉をはじめた。1993年の党中央委員会総会では、それまでの重工業一辺倒から民生重視に転換し、農業と軽工業を第一とする新方針を打ちだした(『金日成著作集』に演説が収録されている)。

 さらにカーター元大統領を通じて伝えられた、韓国の金泳三大統領の首脳会談の申しいれをあっさり承諾した。北朝鮮はごねにごねて条件をつりあげるものだが、この時の金日成は前提条件や予備協議は不要で、いつでどこでも会うと即答した。話はとんとん拍子に進み、1994年7月25日から3日間、平壌で首脳会談をおこなうことが合意された。金日成は7月7日に死んだが、もし1ヶ月長く生きていたら南北首脳会談は6年早く開かれていただろう。そして、金泳三の手土産の援助によって、金日成が打ちだした民生重視の新政策は財政的裏づけをえたはずだ。

 金正日は南北首脳会談に反対だった。金日成の死の3年後に北朝鮮で出版された『永生』という事実上の公式伝記小説には、金正日が会談を中止するよう懇願した模様が記されているという。

 核開発放棄の見返りにアメリカに要求する発電所についても、父子の対立があった。金正日は原子力発電所に固執したが、金日成は原子力発電所は10年かかると難色を示し、早く完成する火力発電所をたくさん作らせろと指示した。見返りを決定する第二回米朝高官協議は7月15日から開かれたから、もし金日成が1週間長く生きていたなら、北朝鮮は未完成の終わった2基の軽水炉型原発の代わりに、4ヶ所か5ヶ所の火力発電所を手にいれていたはずだ。

 だが、金日成は7月7日に死に、民生重視の新方針は放棄された。火力発電所の代わりに軽水炉型原発の建設がはじまった。

 金日成の死の前後の状況には不審な点が数多くあるようだが、興味のある方は本書を読んでいただきたい。

 さて、第二点は、餓死者はすべての地域・階層に平等に発生したのではなく、特定の地域・特定の階層に集中したことである。

 著者は1995年から1996年にかけて、北朝鮮にはいったWFPのモニタリング・チームの報告書(原文)を分析し、配給がどんなに不公平なものだったかを明かにしている。

 北朝鮮には「成分」と呼ばれる厳しい身分制度がある。人口の2割は革命の家系である「核心階層」とされ、優先的な配給など数々の特権があたえられているが、別の2割は反革命の家系の「敵対階層」とされ、どんなに優秀でも進学が許されず、人民軍に入隊することも労働党に入党することもできない。残りの6割は中間的な「動揺階層」とされている。

 大雑把にいえば、核心階層は便利な都市部に住み、敵対階層は山奥や僻地に追いやられている。洪水で被害がひどかったは敵対階層だったが、援助物資の半ばは被害の比較的軽い核心階層に配られ、一番打撃を受けた敵対階層にはほとんどに配られなかったという。

 WFPは深刻な被害を受けた人々に食料を届けようとしたが、北朝鮮当局からあの手この手で妨害を受けた。特に冷遇されたのは、敵対階級が集中して住まわせられている咸鏡道だった(帰国運動で北朝鮮にわたった在日朝鮮人の多くは咸鏡道に送られた)。咸鏡道は大洪水前の1994年から食料配給を停止されていたことがWFPによって確認されている。餓死者のうちの1/3がこの地域から出たと見られている。

 第三点は、北朝鮮が信頼に足る数字を出していないので、推計するしかないが、すくなくとも年100万人規模の餓死者が出るほどの食料不足はなかった可能性があることだ。

 北朝鮮国民が一年間に必要とする食料の最低限ぎりぎりの量は380万トンだが、韓国統一部の資料で収穫が380万トンを下回った年は1996年、1997年、1998年、2001年の4年間しかない。不足量は11万トンから35万トンで、国際援助で十分に補填できるはずの量だった。1995年以降、50万~154万トンの食料が援助されたから、特定階層に重点的に配給するというような操作をくわえていなければ、餓死者は出なかったか、出たとしてももっと小規模ですんだだろうというわけである。

年度 輸入量
トン
輸入額
億ドル
トン当り
ドル
1990 121万 1.9 156.45
1991 326万 3.98 121.78
1992 259万 4.91 189.22
1993 334万 5.14 154.08
1994 119万 1.58 132.73
1995 253万 6.85 270.6
1996 252万 5.94 235.76
1997 308万 7.07 228.98
1998 342万 6.92 201.95
1999 261万 5.25 201.05
2000 534万 6.06 123.65

 第四点は、食糧援助がはいりはじめてから、価格の高い米を大量に輸入している事実である。1990年から1994年まではトン当り150ドル前後で輸入しているが、本格的な食糧援助のはじまった1995年以降は200ドル以上に上昇しているのである。
 これは国際社会が北朝鮮を迫害するために、不当に高い価格で食糧を売りつけたからではなく(金正日政権は国内に対してはそう宣伝していたが、事実無根)、価格の高い米や精米の輸入量が増えるからだ。飢饉が一番ひどかったとされている1997年には64万トンの米・精米に2億1000万ドルも払っている(トン当り328ドル)。百万人以上の餓死者を尻目に、核心階層には贅沢をさせていたのである。
 次の条は興味深い。

 このぜいたくの傾向は、国際援助が入り始めた一九九五年から始まっている。コメと精米の輸入が目だって増え始めるのである。九三年は四十万トン、九四年は十二万トンと控えめだったが、九五年には一一七万トンにはねあがる。九六年六八万トン、九七年六四万トン、九八年一二〇万トン、二〇〇〇年には一六〇万トンに急増している。援助肥りでで特権階層は白米を食っていることを示している。

 国際援助は核心階層に贅沢をさせるために使われた可能性がきわめて高い。
 以上、四つの事実にはあきれるしかないが、しかし、これだけでは金正日が敵対階級殲滅のジェノサイドを立案・実行したと断定することはできない。金正日体制を維持するためには核心階層の優遇は不可欠であって、全国民に平等にひもじい思いをさせたら、宮廷革命が起こっていたかもしれない以上、これしか選択肢がなかったのかもしれない。
 萩原氏の仮説は説得力があると思うが、どのような意志決定があったかは、金正日体制が崩壊し、平壌の秘密文書館の扉が開かれるのを待つしかないのである。

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2006年07月26日

『外交敗北』 重村智計 (講談社)

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 北朝鮮問題の第一人者である重村智計氏が、金丸訪朝団以降の日朝外交を総括する本を出した。本書は小泉訪朝にいたる日朝交渉で暗躍した「ミスターX」の正体をあかした点が話題になり、ニュースでとりあげられたほどだが、もちろんそれだけの本ではない。描かれているのは現在進行中の生々しい同時代史だが、その背後には明確な外交論があるのだ。現存の政治家・官僚に致命傷をあたえるような記述があるので、しばらく毀誉褒貶がつづくだろうが、現代の古典として長く読みつがれていくのは間違いないと思われる。

 本書のテーマは明解だ。外交には理念と基礎知識が必要だが、その両方を欠いた政治家が国会対策の要領で「議員外交」をはじめたために、北朝鮮の工作機関にいいように振りまわされ、「外交敗北」を重ねてきたということである。

 困ったことに、理念と基礎知識を欠いていたのは政治家だけではなかった。大半のジャーナリストも、外交官も、そして北朝鮮専門家とされる人たちでさえも例外ではなかった。

 たとえば、著者の重村氏はTVや著書で工作機関を交渉相手にしてはいけない、外務省同士の交渉に一本化すべきだと指摘しつづけてきた。わたしの知る限りでは、重村氏以外の北朝鮮専門家で、工作機関を相手にするべきではないと発言しつづけた人はいなかったと思う。

 そもそも、なぜ工作機関と交渉してはいけないのか、はっきり理解している日本人はあまりいなかったのではないか。本書によれば、日本の外交官や政治家、ジャーナリストは相手が工作機関の人間かどうかにはまったく無頓着だったし、工作機関の人間だと気がついても、北朝鮮は独裁国であり、外務省よりも工作機関が力を持つ特殊な国なのだから、工作機関と裏取引するのはやむをえないと考えていたらしい。

 2001年にミスターXが登場するまで、日本の外務省や政治家、ジャーナリストの間では黄哲ファン・チョルという男が大物で通っていた。

 実は黄哲は対外連絡協会所属の日本語通訳にすぎず、日本から訪朝する政治家やジャーナリストを通訳兼監視人として世話する仕事をしていた。通訳兼監視人は日本人に対して居丈高な態度をとるのが普通だが、黄哲はそうではなかったので、担当した日本人から信頼されるようになり、対日工作の実績をあげるようになった。

 その功績が認められ、金丸・金日成会談の通訳に抜擢されたことから、日本側は金日成側近の大物と勘違いしてしまった。利権を狙う政治家や、取材や支局開設で便宜をはかってもらいたいジャーナリストが黄哲にさかんに接触するようになり、その多くが賄賂をわたしていたようである。

 金容淳キム・ヨンスン書記がそれに目をつけた。金容淳は「金正日総書記のナンバー1の側近」と自分から吹聴する人物で、幹部の間では評判がよくなかったというが、彼は黄哲を自分が担当する工作機関「統一戦線部」に引き抜いた。地位は課長補佐程度だったが、工作機関末端の通訳兼監視人からは大変な出世である。

 金容淳は黄哲に対する日本側の勘違いを利用して、北朝鮮外務省から対日交渉の実権を奪いとった。金容淳は日朝交渉の場に、課長補佐にすぎない黄哲を「高官」として登場させ、日本側は局長クラスの大物として遇した。金容淳と黄哲は平壌に支局を開かせるなどの約束をしたが、それはすべて自分にあたえられた権限をこえたものであり、空約束にすぎなかった。外交官は嘘をついたら交渉ができなくなるので、絶対に嘘をつけないが(北朝鮮の外交官ですら、嘘はつかないという)、金容淳と黄哲は工作機関の人間なので、平気で嘘をついた。

 金容淳と黄哲は日本とのパイプを独占し、我が世の春を謳歌したが、長くはつづかなかった。

 2000年8月に東京でおこなわれた日朝交渉に、黄哲は副団長格で参加したが、交渉にはほとんど出ず、政治家や朝鮮総聯幹部と秘かに接触し、空のボストンバックを札束で一杯にして帰っていったという(日本の公安が尾行していた)。それが黄哲の命取りになった。国家安全保衛部が黄哲の不正蓄財をかぎつけたのだ。金容淳にも塁がおよんだ。金容淳は日本に100万トンの米の援助をさせるからと、金正日に泣きついた。金容淳は日本に100万トンの米を要求した。金容淳しかパイプのない日本側は50万トンの援助に応じたが、金正日に約束した量の半分だったので、金容淳は失脚した。

 ミスターXは黄哲の失脚に係わった人物だという。ミスターXは黄哲の行状をすべて知った上で、彼の地位を奪いとったことになる。国家安全保衛部の所属であるから、もちろん工作機関の人間である。

 失脚時、金容淳は海外の口座に数億ドルの隠し預金をもっていたというが、その大半は黄哲を使って、日本から吸いあげたものなのだろう。50万トンの米の援助も、金容淳の保身のためにのものだったが、彼が失脚したことによって、すべて無駄になった。

 工作機関を相手にすると、こうなるという見本の意味で長々と紹介した。あきれたことに、日本は学習効果がないというか、同じパターンの「外交敗北」が何度もくりかえしている。

 賄賂を騙しとられたり、工作員の保身のために米を援助させられたりする程度の「外交敗北」はまだいい。問題は、日米同盟を崩壊させかねない失敗を、日本は一度ならず二度までも――金丸訪朝と小泉訪朝――犯しそうになっていたことだ。アメリカが北朝鮮の核開発を阻止しようと躍起になっている時に、日朝国交を樹立し、多額の援助をあたえたならら、北朝鮮の核兵器開発を助けることになり、日米同盟の崩壊をまねいたのは明白である。

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