『1421―中国が新大陸を発見した年』 ギャヴィン・メンジーズ (ソニーマガジンズ)
本書は出た直後に読んでいたが、先日、NHKが放映した「偉大なる旅人・鄭和」でとりあげられていたので、読みかえしてみた。
鄭和の七度におよぶ南海遠征はよく知られている。通説では東アフリカに達したとされているが、本書の著者、メンジーズは記録の隠滅された第六回遠征において、アメリカ大陸に到達していたとする。表題の1421とは、鄭和の艦隊がアメリカに上陸したと推定される年にほかならない。
第六回遠征は紫禁城の完工を祝って朝貢に来た南海16ヶ国の使節団を帰国させるためにおこなわれたが、落成間もない紫禁城が落雷で焼失するという不吉な出来事があったために、官僚たちが浪費と反対していた南海遠征は最後になる可能性が高かった。
メンジーズによれば、鄭和自身はマラッカで引きかえしたが、残りの艦隊に、インド洋沿岸諸国の使節団を送りとどけさせた後、アフリカ南端の喜望峰を越え、世界を一周するように命じたというのだ。そして、鄭和の部下たちは三隊にわかれ、みごとに使命を果たした。NHKの番組では、メンジーズ説を鄭和艦隊がアメリカ大陸に達していた説とだけ紹介していたが、実際はもっと気宇壮大な仮説なのである。
メンジーズが根拠とするのは、アメリカやアフリカ、南極、オーストラリアが記載されているコロンブス以前の古地図と、世界各地で発見された中国文明の痕跡である。
こうした古地図は「オーパーツ」(時代的に存在するはずのない遺物)と呼ばれ、オカルトマニアしか話題にしてこなかったが、潜水艦乗りとして世界中の海を航海してきたメンジーズは、地図の書きこみが現地を知っている人間にしか書けない内容を含んでいることに気がついた。そして、詳しく検討していくうちに、古地図に書かれている位置や地形は現実とずれているが、そのずれ方に一定の法則があることを発見する。
こうした古地図が残っているということは、コロンブス以前にアメリカ大陸に到達し、さらには世界を一周した人間がいたはずなのだ。メンジーズはそれが可能だったのは鄭和の艦隊だけだとしている。
鄭和の艦隊は、宝船と呼ばれる全長120mの史上最大の木造帆船を何十隻もつらね、護衛のための坐船、戦船、食料を運搬する糧船、飲料水を運搬する水船、馬を運搬する馬船等々がしたがった。総乗組員数2万を越える動く海上都市だった。
メンジーズは宝船の構造を詳しく推定しているが、NHKの番組はCGによって一目で威容がわかるようにしてくれた。百聞は一見に如かずである。
メンジーズは同時代のアラビアやヨーロッパをはるかに凌駕していた中国の航海技術を検討し、鄭和の艦隊なら世界一周が可能だったと結論するとともに、『武備志』をもとに中国の当時の航法を復元し、古地図と現実とのずれが中国の航法に原因があったと推定している。
メンジーズはモロッコ沖のカーボヴェルデ諸島付近で、艦隊は三つにわかれと考えている。鄭和の副官の名前をとって、周鼎隊、洪保隊、周満隊と呼び、それぞれのルートを推定しているが、もしメンジーズの説が正しかったとしても、周鼎、洪保、周満がそのルートを担当したという根拠はないはずである。
最初に読んだ時は圧倒されたが、時間をおいて読み直してみると、すべてを第六回航海に帰してしまうのは無理があるように感じた。
しかし、以下のような仮定は妥当性はともかく、わくわくさせてくれる。
鄭和の艦隊がさらに航海をつづけていれば、その行き先には、世界のなかで彼らがまだ到達し地図に描いていない地域――ヨーロッパ――がふくまれていただろう。その可能性は北京での大変動で断たれたが、もしも一四二〇年代に中国の宝船艦隊がヨーロッパの水平線上に現れていれば、世界のその後の歴史はどうなっていただろうか? ひとつたしかなことがある。永楽帝の跡を継いだ皇帝たちが、中国人の海外進出を禁止する孤立状態にひきこもってしまわなければ、世界の支配者はヨーロッパではなく、中国になっていたはずだ。
現在、品切のようだが、中公新書から宮崎正勝『鄭和の南海大遠征』という本が出ている。この本は鄭和の遠征を明史や東西交易史の中に位置づけ直した好著で、メンジーズが見逃している多くの事実が指摘されている。
たとえば、永楽帝が派遣した朝貢をうながす使節は鄭和の艦隊だけではなかった。チベットとベンガルには侯顕、内陸シルクロードには李達、黒龍江の北には亦矢晗を送っていた。いずれも宦官である。小室直樹は『日本人のための宗教原論』で、諸悪の根源のようにいわれてきた宦官は、官僚制の欠陥を補うためのカウンターバランス機構として機能したと指摘していたが、正確な指摘だろう。
また、中国人の海洋進出は唐代からはじまっていた。宮崎は広州とペルシャ湾を結ぶルートが確立した8世紀を第一次大航海時代、東南アジアのジャンク船交易圏とインド洋のダウ船交易圏が交流した宋代を第二次大航海時代、元の開いた海上交易路を明が継承した鄭和の時代を第三次大航海時代と呼んでいる。世界各地に残る中国文明の遺物は、鄭和の第六回航海だけが残したと考えるより、600年におよぶ中国人の交易活動の厚みが背景にあると考えた方が無理がないだろう。
なお、メンジーズは1421.comというサイトを開いて、最新情報を提供している。メールマガジンも発行していて、数ヶ月に一度、新しい発見を知らせてくれるので、興味のある人は登録するといい。




