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2006年05月29日

『1421―中国が新大陸を発見した年』 ギャヴィン・メンジーズ (ソニーマガジンズ)

1421―中国が新大陸を発見した年 →bookwebで購入

 本書は出た直後に読んでいたが、先日NHKが放映した「偉大なる旅人・鄭和」でとりあげられていたので読みかえしてみた。

 鄭和の七度におよぶ南海遠征はよく知られている。通説では東アフリカに達したとされているが、本書の著者メンジーズは記録の隠滅された第六回遠征においてアメリカ大陸に到達していたとする。表題の「1421」は鄭和の艦隊がアメリカに上陸したとメンジーズが推定する年にほかならない。

 第六回遠征は南海16ヶ国の使節団を故国に帰すためにおこなわれたが、鄭和自身はマラッカで引きかえしている(紫禁城の落成式典に出席するためだったらしい)。メンジーズによれば鄭和はインド洋沿岸諸国の使節団を送りとどけさせた後、艦隊にアフリカ南端の喜望峰を越えて世界を一周するように命じ、実際にそれをやり遂げたというのだ。NHKの番組ではメンジーズ説を鄭和艦隊がアメリカ大陸に達していたとする説とだけ紹介していたが、実際はもっと気宇壮大な仮説なのである。

 メンジーズが根拠とするのはアメリカやアフリカ、南極、オーストラリアが記載されているコロンブス以前の古地図と、世界各地で発見された中国文明の痕跡である。

 こうした古地図は「オーパーツ」(時代的に存在するはずのない遺物)と呼ばれ、オカルトマニアしか話題にしてこなかったが、潜水艦乗りとして世界中の海を航海してきたメンジーズは地図の書きこみが現地を知っている人間にしか書けない内容を含んでいることに気がつき、詳しく検討していくうちに古地図に書かれている位置や地形は現実とずれているが、そのずれ方に一定の法則があることを発見する。

 こうした古地図が残っているということはコロンブス以前にアメリカ大陸に到達し、さらには世界を一周した人間がいたはずである。メンジーズはそれが可能だったのは鄭和の艦隊だけだとしている。

 鄭和の艦隊は宝船と呼ばれる全長120mの史上最大の木造帆船を何十隻もつらね、護衛のための坐船、戦船、食料を運搬する糧船、飲料水を運搬する水船、馬を運搬する馬船等々がしたがった。総乗組員数2万を越える動く海上都市だった。

 メンジーズは宝船の構造を詳しく推定しているが、NHKの番組はCGによって一目で威容がわかるようにしてくれた。百聞は一見に如かずである。

 メンジーズは同時代のアラビアやヨーロッパをはるかに凌駕していた中国の航海技術を検討し、鄭和の艦隊なら世界一周が可能だったと結論し、『武備志』をもとに中国の当時の航法を復元し、古地図と実地のずれが中国の航法に原因があったと推定している。

 メンジーズはモロッコ沖のカーボヴェルデ諸島付近で艦隊は三つにわかれと考え、鄭和の副官の名前をとって周鼎隊、洪保隊、周満隊と呼び、それぞれのルートを推定しているが、もしメンジーズの説が正しかったとしても、周鼎、洪保、周満がそのルートを担当したという根拠はないはずである。

 最初に読んだ時は圧倒されたが、時間をおいて読み直してみると、すべてを第六回航海に帰してしまうのは無理があるように感じたし、中国政府の新帝国主義に利用されているようにも感じた。

 しかし以下のような仮定は眉唾とはわかっていても、ひょっとしたらと思わせるものがある。

 鄭和の艦隊がさらに航海をつづけていれば、その行き先には、世界のなかで彼らがまだ到達し地図に描いていない地域――ヨーロッパ――がふくまれていただろう。その可能性は北京での大変動で断たれたが、もしも一四二〇年代に中国の宝船艦隊がヨーロッパの水平線上に現れていれば、世界のその後の歴史はどうなっていただろうか? ひとつたしかなことがある。永楽帝の跡を継いだ皇帝たちが、中国人の海外進出を禁止する孤立状態にひきこもってしまわなければ、世界の支配者はヨーロッパではなく、中国になっていたはずだ。

 現在品切のようだが、中公新書から宮崎正勝『鄭和の南海大遠征』という本が出ている。この本は鄭和の遠征を明史や東西交易史の中に位置づけ直した好著で、メンジーズが見逃している多くの事実が指摘されている。

 たとえば永楽帝が派遣した朝貢をうながす使節は鄭和の艦隊だけではなかった。チベットとベンガルには侯顕、内陸シルクロードには李達、黒龍江の北には亦矢晗を送っていた。いずれも辺境出身の宦官である(鄭和のように、拉致されて宦官にされた異民族の子弟だったのだろう)。小室直樹は『日本人のための宗教原論』で、諸悪の根源のようにいわれてきた宦官は、官僚制の欠陥を補うためのカウンターバランス機構として機能したと指摘していたが、正確な指摘だろう。

 そもそも中国人の海洋進出は唐代からはじまっていた。宮崎は広州とペルシャ湾を結ぶルートが確立した8世紀を第一次大航海時代、東南アジアのジャンク船交易圏とインド洋のダウ船交易圏が交流した宋代を第二次大航海時代、元の開いた海上交易路を明が継承した鄭和の時代を第三次大航海時代と呼んでいる。世界各地に残る中国文明の遺物は鄭和の第六回航海だけが残したと考えるより、600年におよぶ中国人の交易活動の厚みが背景にあると考えた方が無理がないだろう。

 なお、メンジーズは1421.comというサイトを開いて最新情報を提供している。メールマガジンも発行していて、数ヶ月に一度新しい発見を知らせてくれるので、興味のある人は登録するといい。

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