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2006年04月30日

『起源のインターネット』 喜多千草 (青土社)

起源のインターネット →bookwebで購入

 『インターネットの思想史』につづく本である。『インターネットの思想史』が実質的には『パソコンの思想史』だったように、本書も『起源のパソコン』と題すべき内容である。

 起源のパソコンとは、ゼロックスのパロアルト研究所が開発した伝説的なマシン、Altoをさす。

 今日、われわれはモニターの画面上のアイコンやボタンをマウスポインタでクリックすることで、パソコンを操作している。しかし、つい十年ほど前までは、そうではなかった。一般的なパソコンの場合、キーボードからコマンドを打ちこんで操作するしかなかったのだ。

 例外はMacだった。Macは1984年の発売時点から、現在のWindowsとよく似た操作系を実現していたが、Macにはお手本があった。それがAltoである。

 Altoはアラン・ケイのダイナブック構想がもとになって作られたとされてきたが、著者はまたしても通説をくつがえし、ARPAからパロアルト研究所に移ってきたテイラーの個人用の小型コンピュータによるネットワーク構想が核になっていた事実を発掘する。

 Altoがネットワーク環境をそなえていたことは、これまで、イーサネットの関連で注目されるくらいだったと思うが、実は本質的な意味をもっていたのである。

 Alto開発にARPAやNASAの資金が入っていたという事実も、これまでほとんど語られて来なかったのではないか。アメリカのコンピュータ開発は、シリコンバレーのサクセス・ストーリーや草の根的なオープンソースばかりにひかりがあたってきたので、民間主導という印象が強かったが、実は国家の関与が大きかったのだ。そして、プロジェクトを推進する側も、国の資金を獲得するために、国策の影響を受けざるをえなかったわけである。

 本書はパソコンのルーツ探しを突きつめた結果、国家と科学研究の関連にまで光をあてることに成功している。

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『インターネットの思想史』 喜多千草 (青土社)

インターネットの思想史 →bookwebで購入

 インターネットが中心をもたない分散型のネットワークになっているのは、核戦争に耐えられるようにするためだという説がある。たいていのインターネット入門書にはそう書いてあるし、インターネットの前身がアメリカ国防総省の肝いりで作られたARPAネットだといわれると、なるほどと思えてくる。

 だが、それは誤りだった。核戦争を想定して、分散型ネットワークを提案した研究者はいたが、APRAネットはそれとは別のグループが別の開発思想で構築したのだ。

 この忘れられた事実を発掘したのは本書の著者、喜多千草氏である。喜多氏は本書の最後の部分でARPAネット開発のもつれた経緯を解きほぐし、一次資料にもとづいて核戦争説の誤りを指摘しているが、本書はARPAネットだけをあつかった本ではない。

 著者はもともとNHKのディレクターだったが、マッキントッシュを仕事に使ううちに、マッキントッシュの背後にある開発思想に興味を持つようになった。そして、マッキントッシュが手本にしたパロアルト研究所のAltoと、Altoに影響をあたえたリックライダーの存在を知り、調査をつづけるうちに、パーソナル・コンピュータ誕生史を学問的に研究しようと考えるようになって、京大大学院で本格的な研究にとりかかった。その成果は博士論文にまとめられたが、本書は論文の前半部分を一般向けに書き直したものだという(後半は同じ青土社から『起源のインターネット』として上梓されている)。

 したがって、表題は『インターネットの思想史』となっているが、正確には『パーソナル・コンピュータの思想史』と呼ぶべき内容であり、ARPAネットの解明は探索の一部に過ぎない。

 本書の主人公はリックライダーである。リックライダーはARPAのコンピュータ部門であるIPTOの初代部長であり、巨額の研究費を差配する立場にあったばかりでなく、1960年に発表した「コンピュータと人間の共生」という論文で、コンピュータを思考支援の道具にする方向を定めた先駆者として顕彰されてきた。
 だが、著者によると、ことはそんなに単純ではなかった。1950年代、60年代はコンピュータの性能がまだ低かった上に、台数が限られていたので、限られた計算パワーを人間が操作しやすくする方向に振りむけるべきか、多数の人間が同時に使用するマルチユーザー・システム(時分割処理システム)を開発する方向に振りむけるべきかで路線対立があった。

 わかりやすくするために、この書評では前者を対話型路線、後者をマルチユーザー路線と呼んでおこう(著者はこういう言い方はしていない。念のため)。
 従来の説では、リックライダーは対話型路線を提唱したことになっていたが、実はマルチユーザー路線の推進者で、IPTOの部長になってからは、かなり露骨にマルチユーザー路線を贔屓し、対話型路線を冷遇していた。なお、対話型路線を推進していたのはウェルデン・クラークとその弟子たちである。

 リックライダーがマルチユーザー路線に肩いれした理由の一つは、実験心理学畑の出身だったことがあげられる。実験結果の統計処理にはコンピュータを使う必要があったが、当時はコンピュータがすくなかったので、心理学者にはなかなか番が回ってこなかったらしい。

 もう一つの理由としては、中心となる大型コンピュータに情報を貯えておき、図書館のように利用する「情報センター」もしくは「思考センター」という構想があげられる。この構想は「コンピュータと人間の共生」の1957年草稿の中に出てくるが、1960年代にはネットワークを通じて遠隔地からもアクセスできるようにする「銀河間ネットワーク」構想に発展していく。

 対話型路線をとるクラークは現在のパーソナル・コンピュータを予見するように、安い小型コンピュータをたくさん使うことを提唱したが、リックライダーは「情報センター」には大きな記憶容量が必要だとして、大型機を共同利用する方式に固執した。

 その一方、クラークの弟子のサザランドが、ライトペンを使った対話型システムを発表すると、いち早くその可能性に注目し、若干26才のサザランドを自分の後任のIPTO部長に推挙するという思いきった決断をくだした。リックライダーは対話型コンピュータの必要性を十分認識していたのである。

 対話型路線とマルチユーザー路線が対立していたのはコンピュータの性能が低かったからにすぎない。コンピュータの性能が向上し安価になれば、どちらを優先すべきかなどという不毛な二者択一にとらわれなくてもよくなる。実際、1970年代には二つの路線が融合し、ARPAネットとして結実することになった。
 ARPAネットはリックライダーの「情報センター」構想の発展したものといえるが、大型機を共同利用するマルチユーザー・システムの欠点があきらかになっきたので、小型機を多数接続した、クラークの構想に近い分散システムとして実現されることになった。パケット通信の技術がとりいれられたのは分散システムを効率的に運用するためで、核戦争にそなえたためではなかった。

 本書にはARPAネット以外にも、多くの発見がある。キュブリックの『博士の異常な愛情』に、壁一面の地図に不審な飛行物体の位置を投影する北米防空管制システム(SAGE)が登場するが、リックライダーは実験心理学者として、あのシステムの開発に深く係わっていた。コンピュータを単なる計算機ではなく、人間の判断を支援する道具として使おうという構想はSAGE開発の中で練りあげられていった。1950年代後半には「人工知能」という言葉が一人歩きし、判断までコンピュータにゆだねることができるのではないかという過剰な期待が生まれた。リックライダーが「コンピュータと人間の共生」というスローガンを考えだしたのは、人工知能に対する根拠のない熱狂を牽制するためだったという指摘には、目から鱗がとれる思いがした。ARPAの実態も興味深い。

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2006年04月27日

『アルファブロガー』 FPN(翔泳社)

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 多くの人から読まれトラックバックされる、強い影響力をもったブロガーを「アルファブロガー」という。

 Future Planning Netというグループが「日本のアルファブロガーを探せ」というアンケートを2004年と2005年におこなったが、本書は2004年度のベスト11に選ばれた11人のブロガーのインタビューをまとめた本である。

(FPNは現在は活動を休止しているということだが、投票結果のページは今でも閲覧可能。2005年度の結果も公開されている。)

 投票した人たちと畑が違うのか、11人のうち、わたしが定期的に閲覧しているのは梅田望夫氏の「英語で読むITトレンド」だけである。山本一郎氏の「切込隊長BLOG」と、finalvent氏の「極東ブログ」、田口元氏の「百式」はのぞいたことがある程度、他のblogは存在すら知らなかった。

 サーチエンジンにばかり頼っていると、必要な範囲しか見なくなるので、時には本書のような本で間口を広げるのはいいことだと思った。

 Webが出てきた時と違うのは、本業との密着度合である。日本の個人Webサイトは趣味の色彩が強いが、blogは本業と関連しているものが多い印象がある。特に本書に登場したblogの場合、大体が本業とリンクしているようだ。自分用のデータベースでもあると答えている人が複数いるが、blog(> Weblog = Web + log)とはもともとそういうものだった。

 blogの更新にあてる時間は一様に30分から1時間と答えているが、それだけの時間で中味のある記事が書けるのは、本業と重なっているからだろう。

 人気のあるblogは本業の方にも影響をおよぼす。blogのおかげで新規の仕事が増えたり、営業が楽になったという人がすくなくない。「マーケティング社会時評」のR30氏は出版社で雑誌を担当していたが、blogで表現欲が充たされたので、別分野の会社に転職したとのことである。

 業界ウォッチ的なblogが多いのは、日本でblogが注目されはじめた2004年時点のアンケートだということが関係しているかもしれない。blogをいち早く書いたり、読んだりしはじめたのはIT業界のトレンドに敏感な人たちだった。2005年の結果はもう少しばらけているような気がする。

 Webが世に知られるようになった1996年から1999年頃にかけて、有力Webサイトの内容を紹介したり、URLを電話帳のように集めた本がおびただしく出版されたが、blogの場合はあまりない。URLリストを紙の本で出すなどという馬鹿げた企画がなくなったのは結構なことだが、本書のように作り手にじっくり話を聞いた本はもっと出てもいい。

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2006年04月24日

『ブログ 世界を変える個人メディア』 ダン・ギルモア(朝日新聞社)

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 最近は日本でもblogという言葉がすっかり定着したが、本書はblogの可能性を熱っぽく語った本である。

 従来のジャーナリズムは権威ある新聞社や放送局、出版社が一方的に読者・聴取者に御高説をたれる「講義」型だったが、blogの登場により、市民記者が自由に情報を発信し、互いに協力し、批判しあう「対話」型の草の根ジャーナリズムに転換していくというのが著者のビジョンである。

 こういう主張自体は珍しくない。Webが普及しはじめた頃も、マスコミのような一対多型コミュニケーションから、多対多型コミュニケーションへというスローガンが語られた。またか、と感じる人もいるだろう。

 しかし、Webは読むのは簡単だったが、作るには若干の知識を要した。Webを創始したティム・バーナーズ=リーはWebの発展のためには、誰にでも簡単にWebを作れるツールが必要だと主張していたが(『Webの創成』)、ブラウザは急速に進化したものの、作る方は進歩しなかった。

 blogがブレイクスルーとなった。blogは作る方の敷居を低くしただけでなく、トラックバックという機能によってリンクの密度を高めた。足踏みしていた革命がもう一度はじまった。Web黎明期のビジョンが新しい意味をもつようになった。

 本書の特徴は変革の種々相を、豊富な実例で具体的に語っていることである。

 アメリカでblogが認知されるきっかけになったのは 9.11同時多発テロだといわれているが、本書では各所でどんな動きがあったかを俯瞰し、ケネディ暗殺時と比較して、従来型のジャーナリズムとの違いを浮き彫りにしている。

 著者は「草の根ジャーナリズム」を提唱するだけではなく、実践してもいる。著者はシリコンバレーに本拠をおくサンノゼ・マーキュリーズ紙の記者だったが、1999年から「Dan Gillmor's eJournal」というblogを立ちあげた。本書も原稿をネット上で公開し、寄せられたコメントを参考に推敲したという。現在は記者を辞め、「Bayosphere」という草の根ニュースサイトを運営している。

 草の根ジャーナリズムは記事をチェックする人間がいないので、情報の信頼性に疑問があるという指摘がある。名誉棄損で訴訟になるリスクもある。また、blogで食べていけるのかという問題もある。

 こうした問題に明確な答えはまだないが、著者は多くの実例を提供してくれている。

 オーストラリアの最高裁が、裁判管轄権は原告の在住地にあるという判決を2002年にくだした話ははじめて知った。オーストラリアの人や会社を誹謗すると、発信地が外国でも、オーストラリア国内で提訴され、世界で一番厳しいといわれているオーストラリアの名誉棄損法で裁かれることになるのだ。無茶な判断だと思うが、インターネットはグローバルなメディアだから、裁判管轄権の問題は避けてとおることができない。

 blogで収入がえられるかという問題については広告、アフリエイト、投銭と、日本でもおなじみの収益源がひとわたり検討されるが、ナノ・パブリッシングという日本では聞きなれないビジネスモデルが紹介されている。

 専門雑誌が成り立つほどではないが、ある程度の読者が見こめるニッチな分野向けの専門サイトを立ちあげ、広告やアフリエイトで稼ぐというもので、ロングテールの一種といえるだろう。専門性の高いblogにスポンサーを見つけ、収益を筆者と折半するというビジネスもあるという。しかし、例としてあげられているサイトを見た限りでは、特別うまく言っているとも思えない。

 梅田望夫氏は『ウェブ進化論』で懐疑的な見通しを述べているが、梅田氏の方が説得力があるように感じた。

 経済的な裏づけがない以上、blogは著者が考えるような既存ジャーナリズムにとってかわる存在になることはなく、隙間メディアにとどまるという見方をした方がいいだろう。

 皮肉なことだが、blogの恩恵に一番浴するのは、ジャーナリストに取材される側かもしれない。

 アメリカ国防総省はラムズフェルド国防長官が受けたインタビューをテキストに起こし、全文をネットで公開している。たとえば、2002年1月9日にワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者がおこなったインタビューは翌月掲載されており、今でも読むことができる。

 記事というものは料理の仕方で随分印象が変わるものだ。取材の一部始終が公開されると、記事を書く側にとってはかなりのプレッシャーとなる。ジャーナリズムを委縮させるという人がいるかもしれないが、言いっぱなしの「講義」型ジャーナリズムの慢心を防止するためにも、こうした緊張関係は必要だろう。

 原著が出たのは2004年だが、ネットの世界は動きが速いので、2年とはいえ、古くなった部分やズレが顕在化した部分がある。しかし、blog黎明期の雰囲気を伝えており、blogの原点がどこにあったかを確認させてくれる。本書はこれからも読みつがれていくだろ。

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