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2006年03月28日

『輝く平原の物語』 ウィリアム・モリス(晶文社)

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 ウィリアム・モリスはかつては非マルクス主義系社会主義者として、最近では近代デザインの創始者として著名だが、ファンタジーの祖という一面ももっている。
 不思議な物語は太古の昔から語られてきたが、この世ならぬ異世界を宗教心とは無関係に作りあげ、そこで主人公が冒険するという作品はモリスをもって嚆矢とする。C.S.ルイスもトールキンもモリスの物語を愛し、影響を受けている。
 モリスは学生時代から中世の文化に引かれていたが、24歳で発表した物語詩「グイネヴィアの抗弁」で一躍文名を上げ、その後、中世風の韻文物語を次々と発表して詩人としての地位を確立した。今となっては想像がつかないが、同時代におけるモリスはなによりも詩人であり、デザインや社会主義に関する活動は詩人の余技と見なされていたらしい。
 モリスの活躍した時代はヴィクトリア女王の治世に重なる。産業革命の勃興期である。モリスは大量生産によって失われていく中世以来の職人の手仕事を惜しみ、みずからモリス商会を設立して手仕事の伝承にとりくんだが、資本主義批判の立場を鮮明にしていき、51歳で社会主義同盟の結成にくわわって機関紙「コモンウィール」を創刊した。『ユートピアだより』は「コモンウィール」に連載された。
 だが、手仕事の喜びと、中世以来のクラフトマンシップの復活を説くモリスは現実の社会主義運動の中では浮き上がるしかなかった。晩年のモリスは政治活動からは一歩身を引き、ケルムスコットプレスを拠点とする出版事業に活動の中心を移すことになる。この時期に書かれたのが『輝く平原の物語』にはじまる五篇の中世風散文ロマンスであり、『ナルニア国物語』や『指輪物語』のようなハイファンタジーの源流となった。
 さて、『輝く平原の物語』である。
 この作品は1890年に「イングリッシュ・イラストレイテッド・マガジン」に連載され、翌年、ケルムスコットプレスの最初の出版物として刊行された。初版は装飾のあまりない簡素な作りだったそうだが、モリスは1894年に23葉の挿画をいれた再版本を刊行している(福岡大学所蔵の初版本再版本)。モリス自身が再刊した作品は他にないから、かなり思いいれのある作品だったのだろう。
 主人公のホルブライズは海辺の土地に住む若者だが、結婚式を目前にひかえて、許婚のホスティッジを海賊にさらわれてしまう。単身、海岸にやってきたホルブライズに、海賊の一味のフォックスは、ホスティッジは海賊の本拠のランサム島の市場で売られようとしていると告げる。ホルブライズはフォックスの舟でランサム島にわたるが、そこにはホスティッジの姿はなく、「輝く平原の国」に彼女がいるという夢を見る。
 ホルブライズは「輝く平原の国」に向かうシー・イーグルの船に同乗する。シー・イーグルは海賊の族長だったが、余命いくばくもない寝たきりの状態だった。
 ところが、「輝く平原の国」に着いてみると、シー・イーグルは見る見る若さを取りもどし、30代の壮年にもどる。「輝く平原の国」は人間を不死にする国だったのだ。
 ホルブライズは「輝く平原の国」の王に面会し、ホスティッジの行方を尋ねるが、王はホルブライズを愛する女性がいるから会えと命ずる。その女性はホスティッジではなく、王の娘だった。実は海賊にホスティッジをさらわせ、ホルブライズに「輝く平原の国」の夢を見せたのは王だった。王は王女の結婚相手にするためにホルブライズを呼び寄せたのである。
 ホルブライズは永遠の幸福を約束されるが、彼からみれば偽りの幸福にすぎなかった。彼はホスティッジを探して「輝く平原の国」をくまなく歩きまわり、この国にはいないと悟る。彼は彼女をさがすために永遠の生命を捨て、「輝く平原の国」を脱出しようとするが、果たして脱出できるのか。
 以上が物語のあらましである。永遠の生命を拒絶し、有限の生命を選ぶのは、世界の果てへの旅とともにモリスの中心的なテーマで、他の作品でも形を変えて出てくる。
 わたしはこの作品を学生時代に読んだ。当時、アメリカで何度目かのファンタジー・ブームが起こり、バランタイン・ブックスがアダルトファンタジーというシリーズを立ちあげたが、そこからモリスの散文ロマンスがまとめて再刊されたのだった。モリスの作風そのままの美しい、涼やかな表紙画が記憶に残っている。久しぶりに邦訳で読み返したが、読みやすすぎてちょっとあっけなかった。
 モリスのファンタジーは中世ロマンスに範をとっており、心理描写が一切ない。近代小説を読みなれた目で見ると、粗筋しか書いていないということになる。こういう作品を楽しむにはところどころで立ち止まり、自分の想像力で文章に書かれていない部分を埋める必要があるが、訳文は読みやすいこなれた日本語になっているので、あっという間に読み切ってしまった。
 読みやすいのは結構だが、こういう作品の場合、原文のように擬古文にするとか、読者を立ち止まらせる工夫があってもよかったのではないだろうか。

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