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2006年03月15日

『ファンタジー万華鏡』 井辻朱美(研究社)

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 ファンタジーの紹介と翻訳で著名な著者によるファンタジー論である。
 前著の『ファンタジーの魔法空間』は『ナルニア国ものがたり』や 『ゲド戦記』、『クローディアの秘密』のような古典的な作品が中心だったが、今回の本は『ハウルの動く城』で一躍メジャーになったダイアナ・ウィン・ジョーンズのようなネオ・ファンタジー作家や、小野不由美や恩田陸のような日本人作家を大きくとりあげている。『指輪物語』と『ハリー・ポッター』は前著では伝統との連続性の観点から論じられていたのに対し、今回はネオ・ファンタジー的な視点からながめられている。
 ネオ・ファンタジーも日本人作家のファンタジーも読んだことがないので、こんなことになっていたのかと新鮮だった。母校のある駅で久しぶりに降りたら、コンビニやマクドナルドの進出で街がすっかり様変わりし、今浦島になったような気分に近い。
 著者はネオ・ファンタジーの特徴は平面性にあるという。伝統的なファンタジーの作家は異世界を構築するのに切実な動機というか、ちょっと大袈裟な言い方だが、人生を賭けていた。それに対して、ネオ・ファンタジーの作家はファーストフードで異世界を作っており、芝居の書き割りのように平面的だというのである(このあたりは、アニメ版『ハウルの動く城』でも十分感じられたことである)。
 もしここで、今のファンタジーは小粒になった、昔はよかったという話になったら、ただの団菊爺であるが、著者はそんな後ろ向きの議論には踏みこまず、CGを駆使した映画とゲームの普及によって、われわれの身体感覚が変容してしまった事実を指摘し、ネオ・ファンタジーをその適応形と評価している。
 「フィギュアの物語」と題した章では、アンドロイド・ロボットに自由に魂をダウンロードするという押井守のアニメ、『イノセンス』の基本アイデアが、リン・リード・バンクスの『リトルベアーの冒険』やリチャード・ケネディの『ふしぎをのせたアリエル号』のような作品で先取りされていたこと、ヒトガタという民俗的な想像力に淵源する一方、身体から分離した精神というアイデアがいともやすやすと受け入れられた背景にはコンピュータとインターネットの普及があると指摘されている。キアヌ・リーブス主演でヒットした『マトリックス』も引きあいに出されているが、一昔前だったらコアなSFファンにしか通じなかっただろう突飛な設定が、ごく普通の観客にもリアルなものと受けとられたのは、われわれの身体感覚の変容なしには考えられない事態である。
 本書の一番の読みどころはタイム・ファンタジーを論じた章である。タイム・ファンタジーという言葉は、不勉強にも本書ではじめて知ったが、時間の流れる速さの違う登場人物が出会うタイプの作品を一括りにした分類で、ネイサンの『ジェニーの肖像』やヒルダ・ルイスの『 とぶ船』などがはいる。
 著者は身体と分離した精神という観点からタイム・ファンタジーを論じ、『指輪物語』における歌謡が時間の流れの複数性を橋渡しすることにあると指摘する。『指輪物語』の歌物語的な側面は視覚化しにくいだけに、ピーター・ジャクソンの映画三部作ではばっさり削られていた。映像作品には吸いとれない、文学の固有性に係わるだけに、重要な着眼である。
 なお、アニメ版では、歌謡が活かされているという。どう活かされているのだろう。かなり気になる。

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