« 『グラン・モーヌ』 アラン=フルニエ (みすず書房) | メイン | 『NHKにようこそ!』滝本竜彦(角川文庫) »

2006年02月23日

『告白』町田康(中央公論社)

告白 →bookwebで購入

 昨年の文芸界最大の話題作であり、町田康の(現在までの)最高傑作といっていいだろう。
 この小説は明治23年(1893)に実際に起きた「河内十人斬り」をモデルにしている。事件のあらましは帯に紹介されているが、Wikipediaをリンクしておこう。
 チンピラ二人組が痴情と金のもつれから、村の顔役一族十人を惨殺するという猟奇的な事件だが、民衆の同情はむしろ犯人側に集まり、主犯の城戸熊太郎の物語は河内音頭や芝居、浪曲に仕立てられ、関西では国定忠次や雷電為衛門なみに有名らしい。河内音頭はCDになっている。河内家菊水丸の三枚組の口演は絶版だが、熊太郎の妻が弟分の弥五郎にまでちょっかいを出すというバージョンが『唄う爆弾30連発!河内家菊水丸の新聞詠み河内音頭』に活字化されている。また、本宮泰風口演のDVD『修羅場の侠たち 伝説・河内十人斬り』が入手可能である。
 こういう民衆のヒーローはピカレスク・ロマンとして書いてもよかったはずだが、町田康は近代小説として書き、主人公の城戸熊太郎を自意識の強い「思弁的」な男に設定した。
 熊太郎は百姓仕事を馬鹿にして遊び暮らし、いっぱしの侠客を気どっていたが、それが虚勢であり、「贋の侠客」にすぎないことは本人が一番よく知っていた。

 俺は侠客っぽく振る舞っているけれども心のどこかでこうして百姓仕事をしないで極道をしていることを申し訳なく思っていて、だから人がきたりすると咄嗟に、あっ、すんません、などと言って自分が避けてしまう。だから俺が駒太郎に手伝いを申し込んだのも実は、俺の立場を悪くしないため、と俺は思っていたけれど本当はそうではなく、それは俺のみなに申し訳ないという基本的な思いから出たものかも知れず、その申し訳ないという気持ちがどことなく態度に表れているからみなが俺にばかり、退け、というのか。案外それが一番大きいかも知れない。

 現実の熊太郎がこんなにしおらしい男だったかどうかはわからない。多分、違うだろう。しかし、町田康は熊太郎をインテリになりそこなった男として描くことで、内面と外面の齟齬という近代小説の王道をなぞってみせる。この小説は最初から最後まで、恥ずかしい内面の「告白」なのだ。ただし、その「告白」は無色透明な標準語ではなく、コテコテの河内弁でおこなわれており、抱腹絶倒のパロディと化している。
 しかし、パロディにせよ、内面描写が身体描写というか、器官描写に切れ目なしに移行していく先鋭的な作品を書いてきた町田康が近代小説への本卦がえりするなど、後退ではないのか。
 この後退は戦略的なものだ。というのも、熊太郎の悲劇の根本原因は内面を表現する言葉をもっていないことに求められているからだ。

 そんななかでひとり思弁的な熊太郎はその思弁を共有する者もなかったし、他の者と同様、河内弁以外の言語を持たず、いきおい内省・内向的になった。もちろん熊太郎がそのことを明確に自覚していたわけではなかったが、このことが熊太郎の根本の不幸であったことは間違いない。

 事件の起きた1893年は日本の近代小説の揺籃期にあたる。二葉亭四迷が『浮雲』を放りだしたのは6年前の1887年、『其面影』を書きはじめるのは3年後の1896年。河内の片田舎だけではない。当時の日本には内面を語る言語などなかったのだ。
 熊太郎は日常の言語では掬いきれない思いを楠木正成に託す。自らを楠公の生まれ変わりと思いこもうとし、「義」を自分の行動の裏づけにしようとする。物語のどんづまりで十人斬りの凶行に踏み切らせるのも、「正義」の実現という妄念である。
 もちろん、この妄念は破れる。正義の審判者のはずだった妻はただの淫乱女だったし、十人殺しても何も変わらなかった。救いは訪れなかった(「ここが行き止まりだとおもってぶち当たった壁は紙でできていて、ぶち当たった途端に破れ、その先には変わらぬ世界があったのだから笑う」)。
 最後の最後に熊太郎が見た内面の風景は空虚そのものだった。

 矌野であった。
 なんらの言葉もなかった。
 なんらの思いもなかった。
 なにひとつ出てこなかった。
 ただ涙があふれるばかりだった。
 熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
 銃声が谺した。

最期の言葉が「あかんかった」だったとは、なんともやりきれない。
 町田康は近代小説が後生大事に祭りあげてきた内面が空虚でしかないことを、近代小説誕生の時点において暴いてみせたのである。『告白』は近代小説への贋の回帰であり、日本近代文学の伝統に風穴を開けるものとなっている。

→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/457