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2006年02月27日

『NHKにようこそ!』滝本竜彦(角川文庫)

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 引きこもり問題をあつかった記事や座談会でよく言及される作品で、引きこもり小説の傑作ということになっているようだ。
 ご大層な解釈をする論者が多いが、実物はコミカルなライトノベルで、あっという間に読めた。ナイーブというか、衒ったところのない、普通におもしろい小説である。
 主人公の佐藤は大学を中退し、4年間、アパートに引きこもっている若者である。たまたま隣室に高校時代の後輩が引っ越してきて、二人でエロゲーをつくり、一旗揚げようということになるが、資料としてわたされた画像に刺激され、彼は重度のロリコンになってしまい、引きこもりがさらに深刻化する。
 ここで、岬ちゃんという美少女のヒロインが登場する。彼女は新興宗教の熱心な信者である叔母について、主人公のアパートを訪れるが、彼が重症の引きこもりだと見てとると、引きこもり脱出のためのカウンセリングを無料でやってあげるともちかける。
 カウンセリングといっても、彼女は高校を中退し、大学検定試験を準備中の十代の少女で、図書館で借りてきた本の受け売りをするくらいのことしかできない。  彼女がカウンセリングを口実に彼に接近したのは、彼女自身が親にネグレクトされて育ち、深い心の傷を負っているからだった。彼女はすべての他人から嫌われていると思いこんでおり、他人と親しくなろうとすると、見捨てられ不安が昂じてしまう。しかし、彼はロリコンで引きこもりという二重苦を負った最低のダメ人間だった。こういう男が相手なら、「あたしでも見下せる」と安心することができたのだ。
 カウンセリングが一段落したところで発せられる次のセリフはあまりにも痛い。

「佐藤君なら、あたしを好きになってくれるよね」と言った。
「だってさ、あたしよりもダメ人間だもん。……こうやって長い間、頑張って計略を推し進めてきたんだから、もう、あたしのとりこでしょ?」

 通常、対人不安をかかえた者どうしの相互依存の関係は距離がとれなくなり、ヤマアラシジレンマと呼ばれる深刻な葛藤を引きおこすことがおおいというが、この作品の場合はそうはならない。
 岬ちゃんはカウンセリングをはじめるにあたり、佐藤と契約を結んでいる。精神分析やカウンセリングの治療契約は、治療者とクライアントが接近しすぎるのを防ぐために結ばれるが、この二人の場合は逆である。
 契約といっても、破ったら罰金百万円というような幼稚な代物だが、両者ともおっかなびっくりで人格的に交流しておらず、契約という形で拘束しあうことで、距離が広がるのをかろうじて防いでいるのだ。
 この小説には人格的な交流が一切欠如している。最後の部分にクライマックスと呼べそうな条があるが、そこですら、本当には人格は触れあっておらず、レモン水のように、さらさらとライト感覚で流れている。
 コミカルに語られているが、そこには深刻なシニシズムが底流している。それがもっともよくあらわれているのは表題である。
 表題の「NHK」とは「日本引きこもり協会」の略で、佐藤は自分が引きこもりをつづけざるをえないのはNHKの陰謀だと思いこもうとし、岬ちゃんに対して、こんな臭いセリフを吐く。

「俺がひきこもりになったのも、実はNHKのせいだ。岬ちゃんが苦しんでいるのも、奴らのせいだ。それが真実だ。俺はとあるルートから、その真理を教えて貰ったんだ。そうして俺は、奴らと戦っていた。ずっと奴らと戦っていた。……だけどな、もうダメだ。奴らの魔手が、とうとう俺を捕まえた。俺はもうすぐ奴らに殺される。だけど岬ちゃんは大丈夫だ。君は元気に生きていくんだ」

 しかし、そんな陰謀論が嘘だということは本人自身が一番よく知っているし、崇高な自己犠牲となるはずの行動もみっともない結末をむかえる。
 佐藤と岬は宗教的妄想を信じることもできなければ、陰謀論を信じることもできない。この作品は最後までさらりとして口当たりがよいが、読み終わった後になんともいえぬ苦さが残る。現代を描いた作品である所以である。

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