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2006年01月31日

『グラン・モーヌ』 アラン=フルニエ (みすず書房)

グラン・モーヌ →bookwebで購入

 アラン=フルニエのファン・サイト、legrandmeaulnes.comで、『グラン・モーヌ』の映画のリメイクが今秋公開されるという記事を見つけた。

 『グラン・モーヌ』は1913年に発表されたアラン=フルニエの長編小説で、フランスでは青春文学の傑作として広く読まれている。日本でいうと漱石の『三四郎』のようなものだろうか(発表年は『グラン・モーヌ』の方が5年遅いだけなので、同時代の作品といっていい)。

 『グラン・モーヌ』は1966年にブリジット・フォッセー主演、アルビコッコ監督で映画化され、日本では『さすらいの青春』という題名で公開されたが、残念ながら未見である(ビデオにもDVDにもなっていない)。リメイク版はクレメンス・ポエジー主演、ヴェルハージュ監督だそうである。

 クレメンス・ポエジーは『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』でフラー・デラクール(湖の中でハリーに助けられる魔女)を演じた新人。監督のジャン=ダニエル・ヴェルハージュは聞かない名前だが、TV畑の人で『ウジェニー・グランデ』、『ブヴァールとペキシュ』、『チボー家の人々』といった文芸作品を手がけているよし。日本で公開されるとしても先の話だろう。

 先に『三四郎』を引きあいに出したが、どちらも主要な登場人物が18歳前後で、ロマンチックな悲恋物語の体裁をとっている点は同じだが、作品の方向は正反対である。『三四郎』が新興日本の若いエリートの潑剌とした息吹にあふれているのに対し、『グラン・モーヌ』は象徴派的というか世紀末の色が濃く、夢が醒めた後のやるせない喪失感をたたえている。

 物語はサント・アガート村の学校の上級クラスにオーギュスタン・モーヌが入学してくるところからはじまる。学校といっても校長とその妻の二人だけで切盛りしており、校舎は校長の住まいと役場の出張所を兼ねている。モーヌは家が遠いので、学校というか校長の家に下宿することになる。物語の語り手のフランソワは校長の一人息子で、モーヌが転入した上級クラスで小学校教師になるための勉強をしている。

 クリスマスの前、校長の両親がやってくることになり、モーヌは勝手に馬車を借りだして駅にむかえにいくが、途中で道に迷い行方不明になる。

 三日後、モーヌは疲労困憊して学校にもどってくる。彼は三日の間に何があったのか口を閉ざして語らなかったが、フランソワにだけは廃墟のような城館に迷いこんだこと、仮装した子供たちと若い城主の結婚パーティに出て、城主の妹のイヴォンヌに恋をしたこと、結婚式は肝心の花嫁が逃げだしたために混乱のうちに終わったことを打ち明ける。フランソワはモーヌの三日間の冒険を心の中で反芻し、宝物にする。

 モーヌは帰りに乗せてもらった馬車の中で寝てしまったために、城館がどこにあるのかわからかった。彼は春になってからイヴォンヌに会うために城館を探すが、どうしても見つからない。この後、どんでん返しが二重三重にしかけられているので、物語の紹介はここまでにしておこう。

 『三四郎』との比較をつづけるなら、『三四郎』が直接経験の世界であるのに対し、『グラン・モーヌ』の語り手はボードレール的な幻想の球体の中にとじこめられている。傍観者的な立場に身を置いているので目だ立たないが、フランソワはドン・キホーテやボヴァリー夫人に近いのだ。

 『グラン・モーヌ』は田辺保訳(旺文社文庫)と、天沢退二郎訳(岩波文庫)で読んだが、今回は「大人の本棚」シリーズの一冊として新版が出た長谷川四郎訳で読んでみた。

 長谷川四郎は『シベリア物語』で知られる詩人・小説家で、評論、戯曲、翻訳など多方面で活躍している(筑摩書房から出ている文庫版日本文学全集の『)長谷川四郎集』で代表作を読むことができる)。長谷川訳の『グラン・モーヌ』は1952年初版だから、半世紀ぶりの復刊である。

 長谷川訳は素直できびきびしており、流麗な天沢退二郎訳とはずいぶん印象が違う。二ヶ所、比較してみよう。

 まず城館の仮想パーティの場面から。

 この食堂の戸の一つが大きく開かれていた。その隣室からはピアノを弾く音が聞こえていた。モーヌは好奇心にかられて頭を伸ばして見た。それは一種の小さな応接間のような広間で、若い女か、或いは娘が一人、肩に大きな栗色のマントを羽織つて、こちらに背を向け、輪踊りか子守歌のような曲を非常にしずかに弾いていた。その直ぐ傍らのソファには六・七人の小さな男の子や女の子が、絵の中における如くきちんと並んで、夜も更けた時の子供たちのようにおとなしく、謹聴していた。ただ時たま、彼らの一人が両手で体を支え起して立ち上がり、床の上に辷り下りて、食堂へ入つていつた、――そして絵を見てしまつた子供たちの一人が今度はその後の席に来て坐るのだつた……。

 同じ箇所を天沢訳で引く。

 この食堂の扉は、大きく開け放たれていた。隣の部屋でピアノを弾いている音が聞こえていた。モーヌは好奇心をそそられて首を前に伸ばした。そこは一種の小さな客間・応接間だった。ひとりの婦人、あるいは若い娘が、大きな栗色のマントを肩にかけたまま、こっちに背を向けて、輪舞曲か小唄ふうの曲を、とても静に弾いていた。すぐ傍らの長椅子に、六、七人の小さな男の子・女の子が、夜おそくなったときの子どもたちらしくおとなしく、まるで絵の中の姿のようにちょこんと座って、聴き入っていた。ときどき、子どもたちの一人が、手首に体重をかけて身を起こし、床の上をすべるように動いて、食堂へ入って行ったりした。すると、絵本を見終わった子どもたちの一人が、代わりにこっちへ聴きに来るのだった……

 細部で解釈の違いがある。「床の上に辷り下りて、食堂へ入つていつた」(長谷川訳)のか、「床の上をすべるように動いて、食堂へ入って行ったりした」(天沢訳)のか。原文が手元にないので、わからない。

 次はレ・サブロニエールを訪ねたフランソワをイヴォンヌがむかえる場面。

 その時、私は頭をもたげて、眼前二歩のところに近づいた彼女を見たのだつた。彼女の靴は、砂の中で軽やかな音を立て、私はそれを、生け垣から垂れる水滴の音と混同したのである。彼女は頭と肩に、黒い毛糸のショールをかけ、こまかい雨が彼女の額の上の髪に、粉のようにかかつていた。きつと彼女は、部屋の中から、庭に面した窓から、私を認めたのだつた。そして、私の方へ来たのである。このように、昔、私の母は〈もうお帰りなさい〉というために、私を捜しに来たが、しかし、雨の夜の散歩が好きだつた彼女は、ただやさしく言うのだつた〈風邪を引きますよ!〉と、そして、私の話し相手として、そのまま、そこにいたものである……。
 イヴォンヌ・ド・ガレーは熱い手を私に差し出した。そして、私をサブロニエール家にへ入らせることを諦めた彼女は、苔むして緑青色のベンチの、あんまり濡れていない側に腰かけた。一方、私は立つたまま、その同じベンチに膝でもたれて、身を傾けて彼女の話を聞いた。

 天沢訳。

 そのとき、顔を上げると、すぐまぢかに、彼女が見えた。砂を踏むその軽い足音を、私は生垣に降る雨の音と混同していたのだった。彼女は頭と肩に、黒いウールの大きなショールを被っていて、額にかかった髪の毛に、こまかい雨粒がついていた。たぶん、彼女の部屋の庭に面した窓から、私に気付いて、それで下りて来てくれたのだ。以前に、これと同じように、母が、心配して私に「中へ入らなければ」と言いに下りて来て、そのくせこんな、雨の中の散歩が気に入って、やさしく「風邪を引きますよ」とだけ言うと、私につきあって長々と話しこんだものだ……
 イヴォンヌ・ド・ガレーは、熱い手を私にさし出したが、レ・サブロニエールの中へ招き入れようとはせず、苔が生えて緑青色をしたベンチの、いちばん濡れていないところに腰をおろし、一方私は、同じベンチに膝でもたれて立ち、イヴォンヌの方へ身をかがめて、彼女の言葉に耳を傾けた。

 「しかし、雨の夜の散歩が好きだつた彼女は、ただやさしく言うのだつた〈風邪を引きますよ!〉と」(長谷川訳)と、「そのくせこんな、雨の中の散歩が気に入って、やさしく「風邪を引きますよ」とだけ言うと」(天沢訳)は、フランソワの母が以前から雨の夜の散歩が好きだったのだ、その時たまたま雨の夜の散歩が気に入ったのかの違いがある。

 長谷川訳の巻末には森まゆみ氏による解説がついているが、これがなかなかおもしろい。『グラン・モーヌ』には熱狂的なファンが多いが、森氏もその一人で2004年にサント・アガート村のモデルであるエピヌイユ村を訪ねており、この時の紀行文が解説の主要部分を占めている。

 『グラン・モーヌ』は自伝的要素が多いといわれているが、村の地理も学校の建物も登場人物もすべて小説の通りで、『グラン・モーヌ』がロングセラーになってしまったために、改名を余儀なくされた村人までいたとか。こんなことは文学的評価とは無関係だが、ファンとしてはトリビアである。

 なお、エピヌイユ村を訪れた日本人はかなりいるらしく、訪問記をネットで公開している人もいる。国立民族学博物館の大森康宏氏のページでは『グラン・モーヌ』の舞台となったソローニュ地方の野鳥ハンティングの映像を見ることができる。

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2006年01月27日

『ロートレアモン全集』 イジドール・デュカス (ちくま文庫)

ロートレアモン全集 →bookwebで購入

 『マルドロールの歌』を二十数年ぶりに読んだ。今でも新鮮であり、面白かった。

 昨今子供を狙ったおぞましい事件があいついでいるが、その原型といえるような残虐行為がここには颯爽と描かれているのだ。

 わたしが『マルドロールの歌』をはじめて読んだのは現代思潮社から出ている栗田勇訳だった。携帯用の辞書のようなずんぐりした本で、退色したような色合の貼箱にはいっており、秘密の経典のようだった。その後、栗田訳にははいっていない「ポエジー」を読むために、思潮社から出ている渡辺広士訳の『ロートレアモン全集』をもとめた。こちらは真っ白な箱にはいった真っ白な装丁の本で、やや縦長の版型とあいまって怜悧な印象だった。

 栗田訳は毒気とか瘴気と訳すべき語を「放射能」と訳すように、かなりクセのある翻訳だったが、散文詩としての格調をそなえた日本語になっていたと思う。それに対して渡辺訳はやや幼児口調をまじえた平明な口語体で、栗田訳で立ち止まらなければならなかった箇所もすらすら読めた。両訳とも版を重ねており、現在でも入手可能である。

 今回はちくま文庫版の石井洋二郎訳『ロートレアモン全集』で読んだ。石井訳全集は2001年に箱入りで出版されたが、昨年、注と解説を簡略にした文庫版が出た。

 ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスは24才で没しており、書き残したものとしては『マルドロールの歌』と短い「ポエジー」二篇、六通の書簡しかないので、厚目の文庫一冊におさまるのである。

 翻訳の出来をうんぬんするような力はないが、訳文を読んだ感想としてはニュートラルで折り目正しい日本語になっているものの、静的な印象を受けた。

 「第六の歌」から、メリヴィンヌ少年がマルドロールの手紙を開く場面を引く。

 太陽光線がプリズム状の輝きを注ぎ、ヴェネチア製の鏡や西洋緞子ダマスクのカーテンに反射させている。勉強机の表面を覆う打ち出し細工の革張りの上に散らかっている金装小口本や螺鈿表紙のアルバムのあいだに、彼は書簡を放り出す。ピアノの蓋を開け、ほっそりした指を象牙の鍵盤の上に走らせる。真鍮の弦はまったく音を響かせなかった。この間接的な警告を受けて、彼はふたたび上質ヴェラム紙の手紙を手に取る。ところがそれは、まるで宛名人が躊躇したのに気を悪くしたかのように後ずさりした。この罠にはまって、メルヴィンヌは好奇心をそそられ、読まれる準備のできている紙きれを開く。彼はそのときまで、自分自身の筆跡しか見ていなかった。

 同じ箇所が栗田勇訳ではこうなる。

 太陽の光線がそのプリズムの光の発散をヴェニスのガラスとドンスのカーテンのうえに反射している。彼はその信書をわきになげる。彼の勉強机の表面に張ってある打ち出し皮のうえにちらばった、金ぶちの本や螺鈿の上表紙のアルバムのあいだに。彼はピアノの蓋をあけ、そのほっそりした指を象牙の鍵盤のうえにはしらす。ピアノの真鍮線は全然鳴らない。この間接的な警告は彼がふたたびその羊皮紙を手にとるようにしむけたが、しかし紙は、まるで受取人の躊躇によって侮辱をうけたかのように、後ずさりする。このわなにかかってメルヴァンの好奇心はいや増し、彼はこの仕込まれた一片の紙片をひらく。かれはこのときまで自分じしんの筆跡以外はまだみたことがなかった。

 栗田訳の「羊皮紙」は「羊皮紙に似せた紙」とすべきだが、手紙が意志をもった生き物のように動きだす機微を伝えてもいる(それをうるさいと感じる人もいるかもしれないが)。

 次に同じく「第六の歌」から、アゴーヌが父親の横暴を打ちあけるくだり。

 親父は何度も、鳥籠とその中味をどこかへやってしまえと命令していた。カナリアが母音唱法才能を発揮して、空気のように軽やかな独唱曲カヴァティーナの花束を投げかけながら、自分のことを馬鹿にしていると思いこんでいたんだ。あいつは鳥籠を釘から外しに行ったが、怒りで逆上して、椅子から滑り落ちてしまった。膝をちょっとすりむいたのが、このもくろみの戦利品という次第。腫れ上がった部分をしばらくおがくずで押さえてから、眉をひそめてズボンのすそを下ろすと、前より用心深くして、鳥籠を小脇に抱えて作業場の奥に向かった。そこで、家族が泣き叫んで懇願したのに(おれたちはこの小鳥にずいぶん愛着を感じていた。家の守り神みたいなものだったから)、あいつは鋲を打った踵で柳の籠を踏みつぶしやがった。そのあいだ大鉋を頭上でぐるぐる振り回していたから、その場にいた連中は近づけなかったんだ。

 同じ箇所を渡辺広士訳で。

 でも父は、鳥籠とその中味をどこかへやってしまえとなん度も命令していた。なぜかというと、カナリヤが声楽家の素質たっぷりに軽やかな歌の花束を父に向かって投げると、彼は自分の人柄を笑われたと思い込むんだ。彼は籠を釘からはずしに行って、怒りで目がくらんでいたもんだから、椅子からすべり落ちちゃった。膝の軽いかすり傷が作戦の戦利品というわけなんだ。ふくれあがったところを暫く木切れで押さえていてから、彼はズボンをおろして、眉をしかめて、今度はもっと用心して鳥籠を小脇に抱えて仕事場のすみへ行った。そして家中みんなの悲鳴と嘆願も無視して(ぼくたちはその鳥をずいぶん大事にしていて、家の守り神のように考えていたんだ)鋲のついた靴の踵で柳の籠をふみつぶしたんだけど、その間じゅう頭のまわりに大きなカンナをふりまわしてみんなを近寄れないようにしてるんだよ。

 カンナを自分の頭のふりまわすことはできない。ここは「頭上でぐるぐる振り回していた」という石井訳の方が適当ということになるが、「頭のまわりに大きなカンナをふりまわして」という渡辺訳は、物理的に不可能であっても臨場感がある。

 石井訳の特徴は注が多いことである。栗田訳は方針として注をつけておらず、渡辺訳は本文250ページに対して注は20ページほどだが、石井訳は本文380ページに対して95ページの注がついている(活字は本文よりかなり小さい)。最新の研究を参照しているという点でも石井訳に長がある。

 注は細かい話がつづく中、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」というロートレアモンの代名詞となった比喩について「これら多様なオブジェの奇妙な結合は、何か雑誌の広告ページにそれらが一緒に載っていたことから出てきたもの」ではないかという説があり、近年それが実証されたという記述に出くわした。

 その後四十年間にわたって、この推測は裏づけを得られぬまま単なる予感にとどまっていたが、ルフレールの熱心な調査によって、実際にモンテビデオで発行されていた企業・個人名鑑の広告篇に、ミシンと雨傘、それに解剖台そのものではないが、外科手術の道具の宣伝が(ページは異なるが)同時に掲載されていたことが発見された。この名鑑の刊行は一八六九年で、『マルドロールの歌』全編の刊行はこの年の八月であるから、第六歌の執筆中にデュカスがたまたまこれを見てヒントを得た可能性はじゅうぶんにある。

 こんなことがわかったからといって、ロートレアモン評価が変わるわけではないが、トリビアではある。

 検索して意外だったのは、この20年ほどの間に『マルドロールの歌』が何度も邦訳・刊行されていたという事実である。白水社からは豊崎光一訳全集が出ているし、『マルドロールの歌』単独では集英社文庫の前川嘉男訳、講談社文芸文庫の青柳瑞穂訳、福武文庫の藤井寛訳がある(豊崎訳と前川訳は入手可能)。栗田訳も一時期、角川文庫から出ていた。

 これだけいろいろな邦訳が出版されているということはそれなりに売れているのだろう。マルドロールの歌』は『坊ちゃん』や『伊豆の踊り子』のような青春の書になっているのだろうか。

 一方、ロートレアモンに関する評論は全滅状態である。基本図書というべきブランショの『ロートレアモンとサド』も、ブランショの明快丸かじりの『ロートレアモンの世界』も、出口裕弘の『ロートレアモンとパリ』も、現在では入手できない。

 ロートレアモンはおもしろく読んで、それでおしまいではもったいない。せめて『ロートレアモンとサド』くらいは平凡社ライブラリーかちくま学芸文庫あたりにはいって、いつでも買えるようになってほしいものだ。

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2006年01月20日

『繻子の靴』 クローデル (岩波文庫)

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 ポール・クローデルの『繻子の靴』の新訳が岩波文庫から出た。訳者はクローデル研究の第一人者渡辺守章で、本文と同じくらいの分量の注と解説が付されている。

 とかなり興奮して書いているのだが、ポール・クローデルの名前を知る人は今ではあまり多くないかもしれない。知っていたとしても映画になったカミーユ・クローデルの弟、あるいは日本にフランス大使として駐箚したことのある詩人外交官としてだろうか。

 二十年ほど前までは『繻子の靴』をふくむ代表作の多くが日本語で読めたし、渡辺による浩瀚な評伝も書店に並んでいたが、現時点で入手可能な本は駐日大使時代の外交書簡をまとめた『孤独な帝国 日本の1920年代』くらいしかない。

 なじみのない読者のためにあらためて紹介すると、ポール・クローデルは1868年生まれの詩人・劇作家で、長姉にロダンの女弟子となり悲劇的な最期をむかえたカミーユがいる。青年時代マラルメの薫陶をうけるが、20代でカトリックの回心を経験し、キャリア外交官としてアメリカ、チェコ、ブラジル、中国、日本などで勤務するかたわら、詩劇を書きつづけ、20世紀の反リアリズム演劇を開拓した。日本の感覚ではぴんと来ないが、現在フランスでもっとも多く上演される20世紀の劇作家はジュネとクローデルだという。

 『繻子の靴』全曲版は副題に「四日間のスペイン芝居」とあるように四部にわかれており、完全上演すると10時間近くかかる。クローデル自身が「集大成的な作品」と自負するだけに、16世紀の大航海時代を背景にスペイン、モロッコ、メキシコ、パナマ、フィリピン、日本、地中海と舞台は地球規模に広がり、物語の時間は20年以上におよぶ。

 長大なためになかなか上演されなかったが、発表後19年たってジャン・ルイ・バロー(『天井桟敷の人々』のあのバロー)がコメディ・フランセーズで上演を企画し、クローデル自身とバローによって第一日から三日目までを中心に抜粋した上演台本が作られた。バロー演出の初演は好評を博し、以後バローの劇団の十八番になった。

 ストーリーは複雑で登場人物が多いが、おおよそのところを紹介しておこう。

 第一日目から三日目まではスペイン王から新大陸の統治をゆだねられた副王ロドリッグと、アフリカ総督ペラージュの妻、プルエーズの道ならぬ恋をめぐる物語である。二人は深く愛しあい、一時は駆け落ちの約束までするが、プルエーズは夫の家を出る時、霊感にかられたように繻子の靴の片方をマリア像にささげ、「悪へ向かって走る時には、片方の足が萎えておりますように!」と誓いをたてる。そのため二人はすれ違いをくりかえし、結ばれることはなかった。

 この頃にはスペインのアフリカ支配は破綻に瀕しており、ペラージュは死を覚悟して任地のセウタに出発しようとするが、自分の死後、妻がロドリッグに走らぬように手を打つ。ペラージュは彼女に、従弟のカミーユが攻略した南部のモガドールにゆき、自分の代わりに治めよと命じたのだ。

 プルエーズがモガドールに着くとイスラム勢力の中で孤立したカミーユはキリスト教を棄て、オキアリと名乗って自立し、新大陸からスペインに金銀を運ぶ船を襲いはじめる。かねてプルエーズに邪な思いをいだいていたカミーユは夫を亡くした彼女に結婚を迫る。彼女はロドリッグに救けを求める手紙を出すが、手紙はなかなかとどかない。彼女は結婚を承諾する代わりに形式的にモガドール要塞の司令官となり、カミーユの反スペイン行為に箍をはめることに成功する。

 10年後、地球を一周した手紙を受けとったロドリッグは副王の地位を棄て、スペイン艦隊を率いて大西洋をわたり、モガドール沖に遊弋してカミーユの政権に圧力をかける。周囲のイスラム勢力や部下の離反にあい、万事休したカミーユはプルエーズと彼女との間に生まれた娘をロドリッグに差しだす。ロドリッグとプルエーズは十年ぶりに再会するが、プルエーズは永遠に結ばれるためにはこの世で結ばれてはならないと言いのこし、娘を彼の手にゆだねてモガドール要塞に帰っていき、カミーユとともに爆死する。

 ここで三日目が終わるが、三日目の半分は魂の救済をめぐるディスカッション・ドラマである。心理分析と形而上学的議論がないまぜになっており、筋金入りのカトリック文学だなと思った。

 日本でカトリック文学というと遠藤周作やグレアム・グリーンを思い浮かべ、罪意識におののく女々しい文学と思う人が多いかもしれない。しかしそれだけがカトリックではない。16世紀の大航海時代には多くの宣教師が危険をものともせず未開の地や異文化の地にわけいり、世界布教をくりひろげ、今日のカトリック圏をつくりあげたが、『繻子の靴』が舞台とするのはまさにその時代なのだ。

 ロドリッグもプルエーズも弱者ではない。ロドリッグは征服者コンキスタドールの頂点に立つ副王だし、プルエーズは単身敵地におもむき、背教者となった将軍を手玉にとる女丈夫である。しかしその強者が自己の限界に直面し、絶対者の存在に気づいて自己放棄にいたる存在論的ドラマが、この芝居の眼目なのだ。この芝居で言及される神は怒ったり嫉妬したりする『聖書』の人格神ではなく、抽象的な絶対者としての神であり、戦わされる議論は宗教的というより存在論的である。この芝居には能や歌舞伎の趣向がとりいれられているが、表面的な日本趣味に終わっていないのは自己放棄という主題が能や歌舞伎に通ずるところがあるからだろう。

 自己放棄の究極の姿があらわれてくるのは四日目である。

 プルエーズの死から十後、副王の地位を失ったロドリッグはフィリピンを征服し日本に攻めこむが、片脚を失って捕虜になり、名古屋城に幽閉される。ロドリッグは日本人絵師をともなって脱出し、スペインにもどるが、代替わりしたスペイン王の不興をかい、聖人画を売って老残の身を養っている。

 スペイン王は無敵艦隊アルマダによる英国征服とトルコと雌雄を決するレパントの海戦をひかえ、百官の船をしたがえた御座船でマヨルカ島沖に乗りだしている。無敵艦隊が英国艦隊を撃滅したという誤報がとどき、英国の統治を誰にまかせるかが議論になるが、無敵艦隊全滅の幻を見た王はロドリッグを指名する。ロドリッグ自身が志願したという形式をつくるために、女優をロンドン塔を脱出してきたメアリ女王というふれこみで彼に近づける。ロドリッグは王の計略にはまり、英国副王に志願するが、海上の宮廷には無敵艦隊敗れるの報がとどく。王はロドリッグに真相を知らせず、麗々しく英国副王の任命式をおこなった後、彼を奴隷の身分に落としてしまう。奴隷といっても片脚の老人には一文の価値もなく、下げわたされた兵士はかつての英雄をさんざんに愚弄し、ガラクタを買いにきたマヨルカ島の修道女におまけでつけてくれてやる。奴隷以下、ガラクタ以下の存在に落ちたロドリッグははじめて自由の身になったと感じ、全身全霊で美しい夜を讃美する。

 すべてを放下したロドリッグの姿はカトリックと縁のない人間が読んでも感動的である。

 四日目は上演台本から省かれていたために上演されてこなかったが、1972年にルノー=バロー劇団が冒頭に一日目~三日目のハイライト場面をくわえた台本を「バレアレス諸島の風の下に」という題名で上演して以来、『繻子の靴』の核心部分と評価されるようになったという。1978年のルノー=バロー劇団の来日公演でもこの台本が上演された。

 わたしはこの時の公演を国立劇場で見ているが、わけがわからなかった。壮大な叙事詩を期待して出かけたのだが、ハイライト部分は舞台の両袖に交互にスポットライトをあて、かわるがわる登場する役者が絶叫するだけ。本編がはじまってみるとろくな舞台装置はなく、船といっても一枚帆の筏のよう。果ては一列に並んだ役者が電車ごっこをはじめ、まったくのドタバタ芝居。なんだこれは、と当惑したものだった。

 今回渡辺訳を読んで、道化芝居の意味がようやく腑に落ちた。ロドリッグを愚弄するのは直接的には新しいスペイン王だが、その背後には人智を越えた秩序が厳然と存し、ロドリッグはその秩序にへりくだり讃えるのだ。カトリック的にいえば信仰告白だが、そんなことにこだわる必要はない。宗教を越えた、普遍的な敬虔さがそこにはあるのだから。

 今にして思えば、バローは神の道化となっていたのだろう。余計なことを考えて舞台が見えていなかったのだと思う。なんともったいないことをしたものだ。

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